知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

出てきたやつがふるさとと言うのはおかしいの話

 定説に従えばわれらの祖先はアフリカから出てきたことになっています。過去には、アメリカのアフリカ系国民の中でルーツ探しが流行したことがありましたが、何代も前のことなど分かったとしても現生活に大きな意味はありません。なぜなら、人の故郷感は生まれ育ったところに焦点を当てているからです。ですから、爺さんや婆さんが生まれ育った地に関しては親近感があっても郷愁は持てません。故郷というのは、自分のぼんやりとした記憶の地であり郷愁の対象でしかないと思うのです。何万年と旅をして日本列島にたどり着いた人達も、日本列島の中を旅をして動き回っていたでしょうし、その時も故郷なんて感情はなかったと思うのです。何故なら旅の始まりは気候の変動などによって生活が出来なくなり、安定した生活を求めて暮らしの場を探し続けただけだったからで、ふるさとは生活できない場所として捨てた場所だからです。この意味で遺跡なんて、旅人の痕跡でしかないと思うのです。そこに暮らした人々は既に旅だっただけでなく、故郷として帰ってくる場ではないと思うのです。そんな旅人たちの生まれた地を、日本で古里として人の心を揺さぶることになったのは、戦後だと思うのです。一代限りの郷愁としてのふるさとは、思い出の地として大切なものと認識されるようになったのは、高度経済成長の中で、仕事を求めて就職に、学生にと都会に出てきた人々が、古里という言葉に大きな反応をしたからだと思うのです。生まれた地方には生活する手段となる就労場所もなく、立身出世する学校もないことから地方から出ていかざるを得なかった人々にとっては、拠り所としての場所だったというのが実態だったと思うのです。実際に、感情移入してしまう歌謡の世界では「ふるさと」は常に人々の心を動かしています。例えば、日本テレビの放送でも有名で誰もが感情的になりやすい「サライ」という歌を見てみると、(下線は筆者)

「離れれば離れる程 なおさらにつのる

この想い忘れられずに ひらく古いアルバム

若い日の父と母に 包まれて過ぎた

やわらなか日々の暮らしを なぞりながら生きる

まぶたとじれば 浮かぶ景色が

迷いながらいつか帰る 愛の故郷

サクラ吹雪の サライの空へ

いつか帰るその時まで 夢はすてない

サクラ吹雪の サライの空へ

いつか帰る いつか帰る きっと帰るから」となっているのですが、本人の思いとは裏腹に帰っても仕方がないと思うのです。そこには生活の基盤はなく、年老いた父母や過疎化の進む町や生活を維持しようと頑張る地元民がいて、出て行った者は所詮出て行った者に過ぎないし、帰ってきてもわからないことの方が多いと思うのです。東北を含めたたくさんの出稼ぎの人は、みんな自分の生活の場へと帰っています。生活の基盤を持つものはみんな帰っています。だから、ふるさとと言う言葉を使えるのは、出て行った者ではなく、そこに暮らし続けている人にとってのものだと思うのです。少なくとも、都会なりに出てきた人は、田舎では暮らせないから帰へらないのですから、懐かしいのは個人的郷愁というよりも思い出だけのことでしかないと思うのです。ふるさとに錦を飾るという人であっても、生活の基盤はふるさとにはないということが明確です。ふるさとより、もっといい暮らしが出来たら帰りたいと思わないと思うのです。ですから、そこで暮らせなかった人が、幼い時に暮らした時の思い出に耽ることと現実はずっとかけ離れたものだと思うのです。郷愁としてのふるさとは、もうすぐなくなっていくと思うのです。それは、「うさぎ追いしかのやま………」の共感はもう多くの人に実体験がありませんから共感出来ませんし、フォークソング時代のふるさとも遠くなりつつあります。ひらく古いアルバムの歌詞のサライの空も遠くなっていっています。今日では、マクドナルドは全国にあって、生活の違いはどこに暮らしても同じ体験になってきています。ですから、「ふるさとと」といつてもみんな同じ風景でしかなければとりとめて語るものでもなくなると思うのです。むしろ、ふるさという言葉は、そこに暮らし続けている人のものだと思うのです。出てきた者が自慢げに使う言葉ではないと思うのです。