知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

地域と仲良くの呪文は、差別を助長するの話

  福祉を語る時、地域と言う言葉は呪文より多く出てきます。福祉の事業の何にでも地域と言う関わりが出てきます。果ては地域福祉論なんてことを言い出す人までいます。そこでは、障害者は地域と仲良く、地域の資源を活用してこそ生きる道があるとも言います。でも考えてみてください。障がい者は地域から排除され、拒否されてきた人々なんですよ。地域で普通に暮らしたいのに地域から追い出された人が、施設に入ったりして苦労して地域へ帰る家探しをして、グループホームでもいいかと思ったら、地域の人に受け入れられるようにしてくださいと行政を含めて宣うのです。一族郎党と言う事から始まって同類で固まった集団の中で、足並みの揃えられないやつは追い出されるという単純なルールで一緒にさせて貰えなかった障がい者に、帰ってきてもいいよ、だけど地域に合わせた態度でいなさいと説教するのと同じです。ネアンデルタール人は家族単位で暮らして消えていき、クロマニヨンと言われる我らの祖先は、他人でありながら徒党を組んで狩りをして、敵を打ち負かして蔓延りました。ですから同質の集まりではないので、トラブルは起こりやすく、もめ事は日常的に発生しやすい体質です。それを解決した方法が権力関係と決まり事、掟です。どんな形であれ異質な集団をまとめるための力の構造の作り方と、力を浸透させる様々な掟(学者は法と言いますが制裁を伴うものは単なる掟です。だから時代で法の中身が変わるのです)の実行が必要なのです。そして、その力と掟によって、選別され、選ばれないやつは、排除されるのです。障がい者は、自分の意志ではなく権力の側から使えないやつとして排除された組なのです。つまり、異質な者の集団は、その集団を維持するために、負担と感じるものを排除することを常としてきました。地域と言うのはその流れの端にあるもので負担と感じるものに対しては排除したい、受け入れないという感情に満たされています。ですから、受け入れてもらうには、同情でもいいから地域の方にお願いしますと頭を下げて受け入れてもらうことがまず第一の通過点と言うのが今の地域福祉であり、地域移行なのです。グループホーム設置の申請書類には地域説明会の議事録が必要です。議事録は説明会をしなければ書けませんから、説明会は必須になってしまいます。すると地域の住民は自分たちの了解なしには建設できないと誤解し思いこんでしまうのです。そのようにならないために、行政は説明会に先駆けて差別とは何かを啓発する義務があるのに実行しません。地域の反対にあったら、揉めないように歩み寄れないかと言うだけです。こんなことはおかしなことです。法の元、どこに住んでもいいですよとなっているのに、先に住んでいる人がいたなら、先に住んでいる人に挨拶ぐらいしろと言うのではなく、同意してもらうまで交渉し譲歩しろと言うのです。法の平等など無視されますし、法は最低ラインだと言いますが、そのライン以下の対応を地域にされても行政は何も言わないのです。地域は無知なのではなく、差別・区別・選別を平気でするものなのです。そして行政に承認しないように要請するのです。そんな反対で断念することもしばしばあります。

では説明会がなくなれば、施設が乱立するかと言うとそんなことはありません。何故なら営利を含めてても、障害者の人数には限界があるからです。何故障がい者は住むことさえお願いしなければならないのか。それは、行政が障害者は、地域と仲良くしなければならないと呪文を唱えて、地域の差別を助長しているからです。地域の反対者は、反対の理由が枯渇すると今度は利用者の安全を心配しているとさもさも障がい者の事を心配しているような言動をしますが、下心一杯です。仲良く出来そうもない反対者が、安全な施設なら賛成と言う発言まで出てきます。逆に、安全でない施設ってどんな施設か説明して頂きたいぐらいです。こういった人たちは自分のそばに近づかないなら安全で、人権があり大事にしなければならないが、自分のそばに近づいてくるなら安全ではないと考えているのです。こうして、地域と仲良くの呪文は、差別を助長する大事な役割を果たしているのです。