知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

オオカミは悪者かの話

       物語には悪役が必要です。そして悪役は凶暴で強くないと物語のメリハリが薄くなります。ところが悪人となる凶暴な動物を探して見ると意外といないことに気が付きます。凶暴である肉食獣の、虎やライオンは紋章にも使われるほど畏怖されて、強さの象徴になっている場合の方が多いという事に気づきます。ですから、強い者の象徴にはなっていますが、案外悪役にはなっていません。日本の食物連鎖とされた頂点は、ニホンオオカミですが、明治時代までは神の使いとして崇められていました。逆に農作物を荒らすイノシシやシカと言った動物を駆除してくれるとして悪役としての物語には出てきません。ツキノワグマも神の一人として出てきません。鳥獣戯画は、平安から鎌倉にかけての動物の画ですが、猿やウサギ、馬・牛・鷹・犬・鶏・山羊といった身の回りの動物だけでなく、豹・虎・象・獅子・麒麟・竜・獏まで出てくるのに、オオカミは出てはきません。その一方でキツネは神の使いなのに、騙す役で出てきます。騙す役は、キツネとタヌキが有名ですが、凶暴な悪役としては出てきません。なのに、なんとなく「オオカミ」は悪役と言うイメージが日本には蔓延しています。悪役としてのオオカミのイメージはどこから来るのかと言うと子供の時に読んだ、「おおかみと七匹の子やぎ」「赤ずきん」「三匹のこぶた」などからだという事が分かります。どれも日本の話ではなく欧州の話なので、ヨーロッパの童話を調べたという人の文で確認すると、欧州でも悪役としてのオオカミの童話は上記の三作品程度で全然少ないというのです。日本より、牧畜が盛んな欧州では、家畜を狙うオオカミは害獣のはずですが、悪役として描かれているのは極少数だという事です。まして、冷酷無残な知能犯としては出てこないという事なのです。農耕文化の日本では、家畜は、牛馬鳥ですが、牛馬は人家の中で飼われることが多いし、鳥はキツネが狙う事の方が多かったと思うのです。日本では、家族集団で行動するオオカミは、人間と同居する牛や馬を襲う事は危険でしたし、シカやイノシシが山にはいたのですから敢えて近づく必要もなかったのではないかと思うのです。最近はクマが出没して被害が出たり、戦った人の武勇伝が出ていますが、明治時代に絶滅したオオカミのことなど誰も遭遇したことがありませんから、日本にはオオカミがいたと言われてもどんな生活だったのかを想像できないのが実情です。ですから、オオカミが怖いという事にはなっていません。むしろ、上の童話でのオオカミ像しか知らないというのが実情だと思うのです。そして、歳を重ねて童話を過ぎると日本ではオオカミに育てられた子供の話の方が大きくなります。ですから、ジブリの「もののけ姫」には山犬に育てられた子供が出てくるのですが、誰も違和感を感じません。昔々の英語の教科書には、ローマを建国した王が、オオカミに育てられたというものもあり、英雄チンギス・ハーン蒼き狼と聞いている日本では、オオカミは凶悪な悪役にはなれないのです。ところが、漢字では、オオカミはすごい事に為るのです。狼藉・餓狼之口・狐狼盗難・虎狼之心・周章狼狽等々で、強欲で残忍な性質やこの上なく危険で人に害をなすものとして悪役そのものの言葉が並びます。そうです。中国では家畜に害をなすオオカミを「餓狼」と呼び、忌み嫌っていたという事なのです。それは、中国では盛んだった食肉用の家畜である豚や羊と言った動物がいたからです。豚や羊は、身体的にもオオカミにとっては狩猟しやすい対象ですし、大量に飼われており人の管理が疎かな部分が狙いでもあったと思うのです。特に北方の遊牧民にとっては森林にすむ虎などと違い草原に住むオオカミは害獣だったと思うのです。つまり、草原の無い日本では農耕に適した牛や馬は飼育されましたが肉食としての豚や羊は飼育されなかったことからオオカミの狩猟対象動物が人の周りにはいなかったという事だと思うのです。ですから日本人は漢字からオオカミは怖いという先入観を得ていると思うのです。それは、青龍、白虎、鳳凰の類と同じことだと思うのです。明治になって簡単に絶滅させられたという事を考えれば、日本のオオカミは、怖いどころかとてもひ弱だったことが分かります。