知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

神様は、見てはいけない、聞いてはいけない、話してはならないの話

 日本の神様に対する原点は、「見てはならない」「聞いてはならない」「話してはならない」からはじまります。ですから、仏教以前の古代の神事は、夜、暗闇の中で行われました。まさに草木も眠る丑三つ時に行われていたのです。その事からすれば、今の神様への世間の態度は、失礼極まりないものであることは間違いありません。見たり聞いたり話したりしてもよいのは、人間の政治でこちらは昼間に行われたのですが、その見たい聞きたい話したいに満ち溢れた態度で神の領域にテレビカメラなんかが初潜入などと関わる事を畏れおおいと畏怖しない社会そのものが既に日本の神様への冒涜でもあります。神の儀式は、人間が野次馬の如く参加する行事ではなく、畏れおおい儀式そのものなのです。何故なら、人間が見ただけで「けがれ」てしまうからです。日本の神信仰の原点は、「けがれ」と「はらい」と言われるように、「神の世界」は清いもので一物の汚れたものがあってはならないものなのです。ところが人間はと言えばそうはいかない。人間は「けがれる」から問題が起きるとなるので、その「けがれ」を「はらう」のが神でもあるという事です。「けがれ」てしまったなら儀式は成立しないという事ですから、儀式といいながらもで 「形式」ではなく実質的に清くなければならないのです。日本の神事は、まず「はらい」によって、清められ、清められたことで「けがれ」のない神の領域が出来るという事なのです。ですから、「はらい」を受けていないような「穢れた」人間が参加したならもうその場は「穢れている」のですから神は存在しないのです。「見られると穢れる」といってやり直すといったことがあるほどで、仏教に言う仏の足元に近づいて見て、聞いて、話すと言うこととは全く異質なものなのです。ここに仏教との決定的な違いがあります。仏教は、救いであり導きでありますが、日本の言う神信仰は、神との交信です。世界の宗教 の多くも神との交信であり、その交信者が宗教者でもあるのです。キリスト教であったりイスラム教は、神との交信を宗教者が独占する事で、国家や政治の上に君臨してきたのです。日本では、神との交信を天皇家が独占する事で、権威の裏付けをしてきたとも言えますし、「見せない」「聞かせない」「話させない」事で実態を隠して一部の人間だけの一子相伝にしたのが日本の天皇家と言えます。権力者は、権力者であることを権威づける認証を求めています。それが神からの認証であることは重要なのです。ですから、日本の天皇制は軍事政権であってもその皇統の継続性として利用しなければならなかったのです。最も無礼なのが、1615年に、徳川政権が施行した「禁中並公家諸法度」で、朝廷や公家を廃止するのではなく統制してしまうのです。「禁中」とは皇族のことで、第1条には、天皇がやるべきことは学問だと記し、政治に関わるなと明確に言い、天皇が政治に関われないことが、幕末まで続くから、明治維新が王政復古なのです。政治と宗教が並び立つことを祭礼一致ともいいますが、日本の天皇は、承久の乱以後政治家らは遠ざけられていたとも言えます。今でもイスラムの世界では祭礼一致の国もありますが、どうしても、通常社会は経済や生活が主となりますから宗教と政治が双頭となっていると無理が出てくると言うのは仕方がない事とも言えます。日本の王政復古として明治維新で祭礼一致の体制を試みましたが政治の暴走を止められずに瓦解しました。話を戻して、天皇の権威は、時々政治に加担したことはありますが、承久の乱に見られるように利権が関わってくると、危険だという事になり天皇は、神との交信により時の権力者の承認者と言う地位についていくのです。それが現憲法で言う象徴という事でもあって、首相を選ぶ選挙権もなく儀礼として承認するのです。結局、神との交信術がなかったなら、既に没落していたかもしれないのです。ですから今でも、穢れた人間が、神様を、見てはいけない、聞いてはいけない、話してはならないのです。

アメリカの民主主義を笑うの話

 独裁国家では、選挙と言っても権力に都合のいいように利用されていると言うのが民主主義の国の人からの非難ですが、その民主主義のトップで、現職の権力者だった時に自分が立候補して落選したなら、選挙が盗まれたと結果を否定するトランプ氏に賛同するアメリカの民主主義を非難しない民主主義国家はみんな専制主義国家と同じ感性だという事が分かります。私の想像では、トランプ氏は、媚びたりしなくても自分が好きなだけ権力の座に居られる習氏に特別に憧れていたと思うぐらい、民主主義が本当はひどい制度だと思っていたと思うのです。民主主義の、一人一票と言う制度で権力者を選択すると言う方法は決して公平でも平等でもありません。実際には組織票と言われる利益団体が背後について選挙は行われ、清き一票など路傍の枯葉よりも軽く吹き飛ばされています。例えば、アメリカで行われている10年に一度の選挙区割り制度では自分の政党に都合のいいように区割りを変えてしまう、ゲリマンダーの手法という事があり、一票の格差を意図的に上下させていると言われています。第一アメリカの大統領選出の方法は、直接選挙が行われているように見えますが、間接選挙で一人一票の重みはなく、全体の得票数が多くても大統領にはなれないという事が現実には起きています。それでも、民主主義と言い張り、多数決で大統領を決める方式には改めないのです。挙句に、現職大統領が立候補して負けるとなったら選挙制度を非難した上に、盗まれたと言うのを4割近くのアメリカ人が支持しているのです。日本の首相選びと同じで国民の直接投票ではないのがアメリカの大統領選挙です。ですから、民主主義によって公平・平等に選ばれたリーダーが国を統率していると言うのは建前で実際は利益代表が選ばれているのです。単純な考え方として、一人一票なら、通常の資本主義の社会では、貧困層の方が人数は多いのですから、社会に不満のある貧困層の票数が代表を選ぶはずなのに、そうはならないのです。アメリカを見るなら、白人に対して黒人・移民という構造なら、リーダーは黒人や移民だらけになり兼ねないのにそうはならないのです。今の民主主義方式で守りたいのは、移民の国アメリカの古い移民たちが持っていた権力や利益を、新興の移民が多数になる事によって乗っ取られることを防ぎたいだけなのです。やがて、白人はリーダーになれなくなるの恐怖です。さらに、アメリカのキリスト教は、神からの試練にさらされています。その一つが、無宗教者が増えていることです。一つが、南米からくる移民は同じキリスト教でもカトリックであるという事です。そこに、イスラム教徒が、貧民として増加しているという事です。ユダヤ教徒と結びついたアメリカのキリスト教は、衰退という試練に立たされ大きく転換しなければならない時期に来ているのです。経済を動かしていた個人主義は、利己主義と一緒になって、世界から集めた富の分配に失敗して格差の幅を大きく広げています。二つの世界大戦で大儲けした事で世界一になったアメリカは、戦争の利益がないと衰退していく国家ともなっています。法と契約と神の社会であるアメリカは、既に自分たちの唱えている民主主義が何かさえ分からなくなっています。ですから、ヤクザの因縁の様な民主主義を世界に振り回していますが、それが原因の局地的戦争や内戦ばかりが起きているのです。利益を求めて軍事力の力で得ていた経済の仕組みは破綻し始めています。その経済の陰りがアメリカの民主主義という自己中心主義の破綻にも今繋がっています。力の衰退が、経済の衰退になり、アメリカ民主主義の衰退に向かっていると思うのです。

偏見と不安は同時にやって来るの話

暗くなったバス停でバスを待っていた時にゆっくりと近づいて来る人がいたので、歩道の端に寄りながら見つめると明らかにホームレスと思われる風体なのです。両手にぶら下がる紙袋は膨らんで肩から下げているいるバックも暗いながらもよれよれにしか見えないのです。そしてそれを感じると共に身構えてしまう自分がいるのです。下向きながら歩いてきたその人がそーっと顔を上げて目が合うとすぅっと前に目を移して歩いていきます。間近かに見えた上着は破れていましたし、服装は汚れて見えました。歩いていく先には大きな橋があるのでそこで寝るつもりなのか、やっぱりホームレスだなと勝手に確信してしまいました。ただ薄氷が張るような12月末の寒い夜に、歩いているのに、さっきの視線は穏やかなものでした。身構えている自分の方が可笑しな緊張をしている事に気づいているのか分かりませんが、何見てんだよみんな同じ目だなとでも思っているのか、歩く速さが変わる事はありませんでした。そうした威圧を感じながらも、去り行く後ろ姿の足取りはトボトボとしか見えないのです。暗さの中に小さく消えていく黒い塊に安堵しながら、結局身なりで身構え警戒してしまう自分がいる事に気が付くのですが、やはり警戒心を抱かせるものは視覚的先入観から発動されているのだと思うのです。同じように、電車に乗るとすぐに周りをぐるりと見回す癖がついているのですが、斜め向かい側の真ん中あたりに、フードをかぶり、黒マスクで、ショールのように子供用かと思える毛布を被っている男がいたのです。下を向いてもいたので年齢も風貌も分からないのですが変わった奴だなという事ははっきりと感じられました。その男が、電車が走り出してから突然立ってドアの前、自分の席の横に立ったのです。自分の席はドア側の端っこで隣の席も空いていました。全体にガラガラではありませんが、空席はあるのに、ドア前に立って背中を仕切り版に押し付けてくると子供用と思われる毛布が、自分の頭と数センチにまで近づいたのです。何だこいつ座っていたのに何故ここに立つかな。と思っていると何やらバックから出して飲み始めたようなのです。仮に酔っ払いだとしたならと頭の中ではよからぬ妄想の世界に入り込んでしまいます。ここにも姿かたちからの偏見と不安から身構え警戒している自分がいるのです。実際にトラブルに巻き込まれた人は意外と少ないものです。でも、マスコミでも、小説や漫画でもトラブルを中心に展開しますからそこからくる先入観として偏見や不安が蓄積されているという事は確実だと思うのです。だから、身構えて警戒しているのですが、相手は何もしていないのです。でも一言でも相手が「何見てるのだよ」とか「飲んじゃいけないの」と自分に言って来たら、先入観ではなく経験談としての確信に変わるわけですが、そんなことは起きません。固定されてしまった先入観は、偏見と言う意識を内在させ、偏見は不安を育成しています。だから偏見と不安が一緒にやってきて身構えてしまうのなら良いのですが何かの拍子で行動に移ってしまったらトラブルになるのだろうなと思うと、偏見を持てない意識の在り方とは何かと考えてしまうのです。

コロナ陰謀論は嘘だの話

 今年で3年目に入ると言われる新型コロナでの泣き笑いの一つにコロナ陰謀説があってマスクを否定したり、ワクチンを拒否する人がいるという事が報じられていましたので一言。世界中の戦争道具製造元がどうしても作りたいのがウイルス兵器である事は疑う余地のない事です。この死の商人たちにとって、今回の新型コロナウィルスが人工的なものならどれだけお金を払ってでも手に入れたいウイルス研究です。剣と盾そして弓と言う武器の長い時代の経過の中で、現代の武器は非常に高価な時代に入っています。実際、原水爆の維持費は通常の武器の比ではなく、航空機、空母艦船、ロケットは競争も激しく費用は国家予算の中でもとても大きなものとなっています。その事を考えれば、化学兵器生物兵器は費用が少なくて済むと、日本も戦争中には細菌兵器の開発の為に中国人の捕虜を含めた悪魔の人体実験を行っています。当時は、ペスト菌コレラ菌を如何に撒き散らして住民全体に被害を与えられるかという細菌戦と言われるものでした。ベトナム戦争ではアメリカは、農薬と同じ成分の有毒の枯葉剤を大量に化学兵器としてジャングルに投下してベトナムでは障害児がたくさん生まれました。オウム真理教は、兵器産業ではないにも関わらず、富士山の裾野のプレハブ小屋の中で必要な器具も原材料も自由に手に入れて、化学兵器サリンを製造しています。つまり、化学兵器生物兵器の原材料は、何が危険かさえ分からない位多様で、危険と指定されていないものなら、意外と勝手に研究が出来るのが現状です。実際に、土壌のウイルス研究だけでなく、農薬を含めた人間の医療から離れたところで研究は盛んにおこなわれています。そこで偶然にも、人間を殺傷できる細菌やウイルスを発見できればこんな金儲けはありません。死の商人たちは殺到します。仮にこのコロナウイルスがデモンストレーションだったとしたなら、凄い証明となりますが、これではワクチンを含めて研究されてしまい武器として次に使用することが出来ません。武器と言うのは、相手に知られていない謎の恐怖があるから効果も高いのです。ここまで、研究されてしまうと、武器としての効果は低下てしまいます。まして、人類破滅の陰謀なら密かに進めて行かないと効果はありません。ドラマや映画のように悪役の自己顕示の為に表に出てきてしまったなら、注目されてしまったのなら、みんなに研究されて兵器としての価値は落ちてしまいます。つまり、陰謀と言うのは、密かに行われていて一般人が知る所ではないところで進むもので、インターネットに出回っていると言う陰謀なんて「嘘」に決まっています。今でも、世界の政治は表舞台より、ロビーと言われる裏舞台で、顔の見えない死の商人たちの様な連中が盛んに行っているでしょうが、一般的な人がそれを知ることが出来るのは過去となった歴史の中であって自分が生きている時代に遭遇できるはずもありません。トランプ氏達が言いふらす自己都合のフェイクニュースだけでなく、人を疑心暗鬼にさせるようなデマを言いふらして楽しんでいる人たちのネット陰謀を信じている人がいると言うのも現実ですが、一般人が分かる陰謀なんてフェイクニュースにもならない程度だと思うべきだと思うのです。中国が研究していたコロナウィルスが原因だとしたら、敵対する米国のワクチンは適正でしょうし、中国が原因でなければ、利益が出ている製薬会社の陰謀と疑いをかけることも可能ですが、それならワクチンだけでなく治療薬迄用意してからの方がもっと儲かると思うのです。ただ言えることは、コロナワクチン接種程度で、人間の絶滅陰謀があっても効果は薄いと思います。人類は、細菌にもウィルスにも何度も襲われていますが、しぶとく生き残っているという事は歴史で証明できます。スペイン風邪と言われたインフルでも5000万人が死んでも絶滅しないのです。ですから、人間同士の陰謀程度では、地球にとって害ある人類は滅びたりはしないのです。コロナ陰謀論を信じて、感染症対策もしない、ワクチンもしないと言う人がいると報道されていましたが、ネットで知れる程度の情報で命や生活を守ろうとしていたら、オオカミ少年の軍勢の中で立ち往生しているのと同じです。世界は、グローバル化によってみんなが感染する確率を高めたと同時に様々な憶測や妄想も拡散されます。それを確認するすべもないような一般人は、最先端にいなくとも、平均点で情報を確認する冷静さは必要だと思うのです。それは、トランプ氏に代表されるアメリカの身勝手な民主主義の中で、操られている善良な市民が巻き込まれて右往左往している状況を観察するなら理解できる事だと思うのです。

監視カメラは正直者には今は味方の話

 監視カメラが犯罪防止に実に役立っています。でも、いまだに個人のプライバシー侵害になると言って設置に反対している人もいます。その反対している人でさえ、電子機器の使用を多く使っています。例えば、新型コロナでの人出についての増減報道は、携帯電話位置情報からなのに、そのことに抗議もせずになるほどと聞いていますし、自分の位置が特定されることも、その情報だけを追いかけることもできると言う事にも危機感は持っていません。電子マネー、スイカを使用したって記録が残っていきます。その記録が誰がどの様に保管しどうしているかという事での法整備はされていません。逆に言うとあなたが自ら自分の行動を相手に情報提供しているのに、その情報がどこにどのように保管されたり利用されたりしているのかを自分は知らないという現象が今日では当たり前のように存在しているという事です。その電子機器の技能を使用して監視社会が実現している国もあります。国家が個人の情報をケースファイルとして確認できるようになっているとも言われています。監視カメラの機能によっては顔認証システムの発達で指名手配犯を確認できるようになりますが、同時に法的整備が適時行われていないと、政治的対応に使われる可能性は非常に高いことは明確です。しかし、全ての機能には長所と短所があるように敵となれば恐るべきことも味方となれば頼もしい限りという事もあります。権力による悪用がなされないようにするには今から検討していかないとならない事も明確ですが、個人のプライバシーだけで反対しても機械の方がどんどん先に進んで法整備なんていわゆる周回遅れなんてことにしかなりません。むしろ正直者には、監視カメラが味方としか言いようのない時代ともなってきています。監視カメラが犯罪抑制に非常に効果が上がっているという事は周知の事実です。口達者な犯罪者に対しても言い逃れできないような映像や嘘が上手な犯罪者、繰り返す犯罪による学習し狡猾になる犯罪にも映像は効果的です。指名手配犯の顔を覚えて探すことも顔認証で実行すればずっと可能性は高くなりそうです。電車の中での痴漢冤罪などが話題となったように犯罪には、冤罪が付きまといます。しかし、映像はこの冤罪を少しでも減らす可能性を秘めています。また、少し前には、大きな目のポスターで「誰かが見ているぞ」がありましたが、近所の人が見ているという事もなくなった地域社会では防犯にもう少しの効果もなくなっています。むしろ、「防犯カメラ作動中」の方が、はるかに効果的になってきました。勝手に撮られている事に、プライバシーの侵害を心配する声は多くありますが、逆に、ただの通行人として何もしていない人には何かあった時には、疑いを晴らす客観的な証明ともなっています。過去には、権力者たちの権力維持の為に、科学技術が悪用されたという事は周知の事実です。ですから、多くの人が、権力者のアイテムにならないようにしたいと願っているのも事実です。しかし、科学は常に、盾と矛となって戦争と生活に密着してしています。インターネットも軍事目的で開発されましたし、ロケットだって人殺しの空飛ぶ爆弾から始まっています。支配と反支配と言う関係で社会を見たなら支配者たちは常にその正当性の証明は大きなテーマですが、国民への説得と納得させるべき証明は近年になるほど大変になっています。ですから、個人の情報を悪用してでも、支持を取り付けたいと言う思いは憎悪を超えて強いものとされますが、その手段としての利用情報は、今日一番の武器でもあるかもしれません。それだけに反権力側の人からするなら非常に危険な監視社会実現の一歩ともされますが、庶民で言うところの監視カメラは、犯罪防止とアリバイの証明として冤罪に巻き込まれない手段の一つとなっている事も事実です。つまり、政治が権力争いをしている限り国民の情報収集は政治争いの一つのテーマですが、淡々とした普通の生活の中では、監視カメラは正直者には今は味方であることも事実だと思うのです。

欧米基準の言いがかり民主主義が世界を混乱させているの話

    フランスでは、2024年以降ペットショップでの犬や猫の販売を禁止するとの報道がありました。その根拠は動物愛護で、犬・猫などペットの数が人口並みにいる国では、捨てることも虐待も頻繁に起こっておりその禁止が目的でもあります。適正な飼育を求めるものですが、そもそも、人間が自分の癒しの為に動物を拘束飼育している事が動物福祉の中で、動物の奴隷化とどう違うのかと言う問いには答えていない内容でもあります。さらに、2026年からはイルカやシャチのショーも禁止し、2028年からは移動式サーカスでの野生動物の利用も禁止されます。そしてこれが数年後には、日本の水族館や動物園のショーは野蛮な動物虐待として非難を浴びる事へときっと繋がっていくのです。ミンクの養殖農場も閉鎖されると言うような毛皮を着る着ないは、本人たちの自由ですが、さんざん自分たちが楽しんだり着用した挙句に動物虐待はだめだと言い出す欧米人の態度は、差別意識と裏腹としか思えないのです。それがイギリスになると、動物福祉法案の保護対象に、頭足動物や十脚甲殻類を追加しイカやタコ、カニにも痛みの感覚があると、政府が認定して、「生きたまま茹でるのは非人道的」と言い出すのです。世界の移民問題や戦争問題で人が死ぬことに深く関与してきたイギリスは、罪なき人間が殺されている世界の情勢の原罪者でありながら、イカ、タコを動物福祉の対象にしているのです。イギリスは、イスラエルとアラブの対立の原因であり、イスラエルが嫌うイランへの制裁に参加し、イラク戦争にも参加し、アフガンへの戦争に協力し、アラブの春の混乱と内戦の原因となる外交を展開した張本人でもあるのです。イギリスもフランスも人権と民主主義を御旗にして人間の生死を左右する事にさんざん加担して散々人間の死に関わっている国です。そして、今度は、ペットや家畜、野生動物の福祉施策の名の元自国で何年かすると他国への押し付けを始めると言うのがパターンです。日本叩きに使われたクジラもイルカもこの方式の典型です。報告書では、生物を生きたまま冷凍したり、茹でて調理したりすることは「非人道的」な屠殺方法だとも指摘しており、動物福祉において、イギリスが世界でリードするための一歩となるでしょうとコメントしているように、自分たちが食べるために家畜を屠殺している方法は正しくて動物の福祉も進んでいると自賛しているのです。これを殺される側から言うなら、殺すことの正当性を語る殺人鬼と同じで、殺すことを止めてから言えとしか言えません。生きる物を人間が管理するという事の優越感からくる動物福祉は金持ちの道楽のようなものでしかありません。実際に、野生動物保護を言いながら、増えると適正管理の元駆除していますし、狩猟が全面禁止されている訳でもありません。問題なのは、さんざん自分たちがやってきたことを他者にやるなと言う言いがかり民主主義としばしば結びついて後進国差別の材料に使う事です。例えば、死刑廃止は一人の人間の命の重さを主張しますが、中東を火薬庫にし、南米の貧困を誘導し、インド東南アジア民族対立をもたらしたのは、イギリスでありフランスです。ペットの幸せどころかペットも飼えない、ペットも食料にしなければならない、難民が聞いたならどんな贅沢な話をしているのだとしか言えません。何故なら難民にとっては、ペット以下の生活を押し付けられているからです。薪にも困窮している人々からするならキッチンなんてない野原でどんな料理方法が選べると言うのだとしか言いようがありません。ところが、こんなニュースを先進国はすごいねなどと素通りしていると、数年後にはこの事が民主主義の基準となって押し付けられてくるのです。差し詰め「和食」の調理方法は民主主義ではなくなります。何せ「活きづくり」なんて虐待ですし、まだ動いている魚を食べるなんてとんでもない事になるからです。先進意識、キリスト教の教科主義、ご都合主義の民主主義の言いがかり押し付けが、世界の文化をいたるところで破壊し混乱を招いてきました。そして動物福祉なる得体のしれない「生類憐みの令」が数年後には日本にやってくることになるのです。

 

だから女はだめなんだと嘆いただろう人たちの話

   小室夫妻の経過の中で、権力を動かしている男社会信奉者の人たちは、だから女はだめだと強く思われたのではないかと想像してしまいます。小室眞子氏の行動で思う事は、男に眼がくらんでしまい、天皇制の権威などすっ飛ばすような事を意地でもやるし、権威としての儀式を吹き飛ばしてしまう等の行動に出られると、過去の皇統存続最大の危機といえる道鏡事件を思い浮かべたに違いありません。皇統存続を第一に考える人々にとっては、男に騙されて、平民の血が天皇になる事でもあったら天皇制は御仕舞です。血統の正しさが根拠でしかない天皇制にとってそれは別家系になってしまうという事でもあります。これまでも、継体天皇だけでなく、南北朝の分裂で皇統について明治新政府が見解をしなければならなかったように、繰り返し国家として検討しなければならなかったこともありますし、明治天皇も疑われているように、皇統が疑われる事件は沢山あったにもかかわらず、疑いのままで乗り切ってきたのです。だから、女性天皇制もなどと軽々しく述べるものではないと言うメンバーにとっては、全く苦々しい内親王としか思えなかったと思うのです。皇統の原点は男系血の継続ですが、性そのものが秘儀の世界にあってDNA確認をしていない時代には身内がそうだと言えばそれしか確認の方法はありませんでした。その意味では、天皇なんて長く近習だって下を向いていろと言うぐらい顔を直接見る事なんてほとんどなかったのですから政治の表舞台で活躍でもしない限り入れ替わっていたって誰も分からなかったと言うのが現実だと私は思うのです。だから、天皇陵を発掘は絶対に許可されませんし、人骨があればそのDNA検査で現在の天皇の血統が正確だと証明すればいいのですがそんなことは絶対に許可されません。ですから、皇統がどこかで入違っていると言うのは話は繰り返し言われてしまう事でもあるのです。一方、天皇家と言うのは近親結婚の世界でもありますから血が濃いという事もあります。ヨーロッパの王家もそうですが、庶民の女に手を出す王は数え切れませんが世襲の中では格が低く中枢の血は濃く保たれていたという事もあります。日本でも、妾制度と言うスペアー制度で守ってきた皇統ですから、それなりに意義はあるかもしれません。戦後50人近い皇族が臣下になる事で近親婚は低下して庶民からの女を皇后に出来る事になったのですから、変な血が混ざってしまっても仕方がないと言えばそれまでですが、皇統にとっていちばん忌避されるべき「穢れ」が小室眞子氏の態度によって襲い掛かられ、形式と格式が唯一の根拠の皇統を穢したという事は間違いありません。小室眞子氏が臣下となったと言ったって、死ぬまでルーツはついて回るのですからこの後何をされるか分かったものではないと危惧を抱いていたって普通ですし、庶民になったのですから干渉も可能と考えている人はいると思うのです。某国並みのスパイがいたなら小室氏はアメリカの砂漠の中で交通事故にでもあっていたかと推理小説並みに飛躍できるのですが日本の権力維持機構には暗殺までは組み込まれていないのだなと証明された気がして安心しました。とは言っても、若造一人に人質に取られる可能性のある女性皇族は危険だという事をしみじみ感じたのではないかと思うのです。鈍重な態度で図太い信念を持った若造に陶酔してしまう女は手に負えないと。そして目が覚めるまで迷惑を掛け続けるに違いないと思っていると思うのです。そこには、天皇制そのものが時代の中で存続の危機が迫っていると思いもあるからだと思うのです。例えば財政。私有財産があってその利益によって生活をしていないという事です。今日の天皇制は、税金によって経営されています。イギリスの王族のように私有財産が主たるものではありません。当然、左翼政権になって税金は使えないと兵糧攻めにあったなら確実に廃止となる可能性があります。実現していない左翼政権がそんなことは言ってはいませんが、中国でもロシアでもフランスでも王政は廃止されていますが王政を利用する価値がないとしただけで権力は継続して存続しています。ですから日本の権力者は、明治維新の時も「朝敵にならない」があって天皇制を利用したように、この時代にあっても「錦の御旗」が重要と考えている人は大勢います。その錦の御旗の権威が落ちてしまう事は誠に誠にゆゆしきことなのです。小室眞子氏の様な、社会の報道やネットなどを通じた執拗な攻撃にも鈍重な態度で図太くわが道を行くことが、皇統として行っているならまさに称賛の嵐でしょうが、逆転してしまうと手に負えない痛手です。そんな男社会優先主義者にとっては、「だから女はだめなんだ」と言う一方で、若き次代の天皇候補者が姉の真似をしないようにするにはどうしたらいいかは頭の痛い事だろうとふと思うのです。