障害者支援の指針として、「役に立つ」「必要とされる」「他者からの承認」などを挙げていますが、それは社会の漫然とした障害者排除観を説得する為に、障害があっても、社会に役に立つことを証明すればいい、障害者があっても社会に必要とされていることを証明すればいい、障害者は他者から承認されるように生きることが出来ることを証明すればいいという障害者擁護の為に支援者たちが考えた現実社会へのアプローチとして間違えではありません。しかし、これは排除論理に引きずり込まれてしまうだけで審理ではありません。何故なら、障害の最重度者とのかかわりの中では、どれ一つ証明できない現実に突き当たるからです。重度の障害者にはどんなに教えても役に立つようにはならない事、社会が思うような必要に応えられる可能性が極端に低いという現実に直面する事になるからです。仕方がないから、人によっては感性的に社会に訴えなければならないという方法しか見つけることが出来なくなって、生存する必要が無いと言い出されても反論が出来なくなってしまうのです。
私が主張しているのは、「障害者が生きる価値を社会に証明する必要」などないという事です。人は誰もかれも生を受けた時から社会が望もうと拒否しようと「生きてる権利」があるという事です。歴史的には、社会は、社会防衛として社会に適合しない者の排除を様々な方法で行ってきました。ですから障害者の歴史は排除との戦いと言えます。
社会が必要とされるなら生きる事が承認され、社会が不必要とされたなら、「穀潰し」「役立たず」「能無」とされ、排除されてきました。家族や共同体の中で貢献出来ないとなれば「口減らし」の対象ともなったのが歴史です。
戦後の知的障害者の指針は、知的障害であっても「訓練・指導」の方法さえ確立されれば社会の荷物から「役に立つ」に変えられると体罰を含めて指導訓練としての施設を作り、様々な方法手段を繰り返し無理強いしてきました。初めは確かに効果もありましたが、期待に応えられない重い障害の人たちが取り残された結果、知的障害重度者の「社会に役立つ能力改造計画」は挫折するのです。行き先を失った「社会に役に立つ」「社会に必要とされる」能力開発計画は、限界だけを露呈して「重度障害者」は、不要だという排除に至る証明をすることにもなって、排除論者を作り出していったのです。つまり、能力開発ばかりを中核に据えた、障害者行政と、専門家と言う反省亡き集団によって、障害者だけでなく、社会に役に立つか立たないかなどと言う物差しで人間を図ろうとすることが間違っているのだという事が明確になったのに未だに社会を説得する方法として、障害者の社会的役割論を繰り返しています。そんなことは障害の重い人たちだけでなく、生きている人に対して無礼であるという事が理解できない行政や専門家がいます。明確な事は、生きている人間に「生きる価値がありますか」と問う事は「虐待」そのものであり犯罪行為だという事です。
社会に受け入れてもらえる為に障害者が頑張らなければならない、がんばっているのだから支援しなければならない論は、排除に対して懇願しているだけのものにすぎません。「誰の稼ぎで食べていけると思っているんだ」と言う社会は、稼いでいる人からの承認を求めます。それに応え様と嘘でもいいから「頑張っている形」を作ろうとしてきた行政と専門家がいます。でも、そんな頑張りをさせることは間違いであると多くの障害者支援者が気付いています。社会参加の切符も資格証も必要ではありません。何故なら、生まれた時からその障害があろうとも社会の一員そのものだからです。
「人が生きる価値」は生まれた時から始まっています。障害者に生きていたければ何かやってみろと条件を付けるのは、社会が行う事ではなく、社会が義務を放棄している事を証明しているだけです。早く「障害者へ条件を付ける」事を止めて、「人に生きる価値」を問うようなとうような「くびき」から抜け出さなければなりません。
「障害者ビジネスモデル」が企業に広まっています。障害者のサービス費はその障害による区分がありますが障害の内容は個人で大きく違い、同じ区分であっても支援に困難がある場合と単なる介助が必要な場合などで違うのですが支払われる経費の単価は全国一律で決められています。その為同じ単価・同じ障害区分なら個々人の支援が軽微であるほど同じお金でも介護量が少なくて済むので利益率が高いと値踏みされることが発生しています。人件費としての職員は、支援サービスの知識や技能など関係なく雇用できますから、未経験者でも安い人件費で対応するなら、大きな新規投資をしなくて利益を十分に得られるようになってしまったのです。全国一律の単価で、その内容は介護と言うあいまいな基準で虐待さえしなければ何の成果効果も求められず、人件費などの割合の決まりもないのです。
それだけではありません。ビジネスモデルとして広報する事でグループホームは作りすぎて「内容のチェック」を行政が管理出来ない事にまでなっています。質を問わないビジネスモデルは、虐待で告発されない限りチェックされることはありません。厚労省は、専門性を担保しようと、サービス管理責任者を置かなければならないなどの制度を設けて解決しようとしていますが資格取得要件が経験年数だけで井戸端会議並みのグループワークに数日参加すればみんなもらえる資格ですから、資格は同じでも資格者間のレベルは天地の差がありますし、利用する障害者から見るなら職員の「当たりはずれ」が著しい制度でもあるのです。
「儲かるビジネスモデル」としてして紹介されていますから、企業で成功しない人が障害者ビジネスに進出してきています。一人の障害者を確保すれば、月収がいくらで人件費がいくらで、利益がいくらとなるという事を明確にして、事業起業を促す広告も頻繁に出されるようになりました。つまり、障害者一人一人の単価計算が先に立って障害者の福祉など掲げなくても事業展開が出来ることから、単価のつけられた障害者が、商品棚に並ぶようになってしまったという事です。
利益を求めて福祉事業を選択する企業が多数出現したにも関わらず、この障害者単価を利用して国は障害福祉事業のコントロールを始めました。それは、国が設定する事業に事業者の応募がなければ、この単価を高く設定し事業の目的や内容よりも利益に誘導された企業を配置するという事を繰り返しているのです。これまでも就労A型が不足しているとみるや不正まがいの事も可能な制度にして誘導しその後利益が出ないように制度変更をしました。その為、儲かると思って進出した就労A型の事業所の閉鎖が今でも続いています。同様に狙われた訪問介護事業所の閉鎖も続いていますし、このあくどい方法の繰り返しで、児童ティサービスなども振り回されています。
どこかで、障害者サービスが「障害者ビジネス」に変身してしまったのです。福祉の経費の多くは人件費ですから、当然都道府県による最低賃金の違いはありますが、制度規定のない人件費を如何に抑えるかさえできれば地方の方が「利益」を一般企業よりも多く生み出すことも可能です。高齢者介護福祉では、不要なサービスまで利用させることで利益を得ているという会社もありましたが、今日では「障害者が金」になるという事が現実となりました。つまり、障害者福祉利用者の商品化が進んでいるのです。
福祉は「サービス」と今日では言われていますから、「サービス」の価値を金額に換算して「商品」と考えても不適切とは言えません。営利を目的とした会社組織では販売品が「サービス」であればそれが「商品」ですから当然「原価」も「売価」も設定します。福祉事業は、社会福祉法人が大勢を占めていた時代が終わり様々な業種からの参入が可能になった今日、福祉業界では「福祉サービスの商品化」が当然のように進んでいます。
1970年代に入ってから日本でも、「福祉サービス」という言い方がありましたが、1990(平成2)年の社会福祉事業法(現:社会福祉法)の改正からは法文にも見られるようになりました。この為従来の、「慈善事業」「救貧事業」「社会事業」「厚生事業」とされた、貧困や弱者救済と言う「与える」という福祉事業が継続する一方で、「人権」などの権利としての福祉が混在する時代となりました。「やってやる」的な従来の福祉事業従事者への批判的な意味でサービス福祉が使用されたこともあります。
それが、令和2年の社会福祉法では、人権としての福祉サービスの適切な利用に統一されていきました。一部負担を除いて公的負担は変わりませんが、福祉事業に企業が参入できるようになり、初めて福祉事業で利益を出しても良いという事が示されました。
簡単に言えば、ほとんどのサービス料金の原資は税金であることは変わらずに、福祉の事業は誰でも行なえるし、そこで「儲けても良い」とされたという事です。福祉事業では、利用内容に応じた公的単価は固定ですから、定価が決まっている福祉サービスと言う商品を社会福祉法人が実施していた時には出ないとされていた「利益」を、企業と言う販売者ならどうやって利益をだすか、どれだけ出すことが出来るのか、様々な意見が出ましたが介護保険の如く定まらないままに制度は動き始めました。福祉事業は、設備投資も少なく簡単に参入できることから、統一価格の「商品」販売を、利益を求めてはならない社会福祉法人と利益を求める企業とが混合して展開する事になったのです。
この流れの中で、「福祉サービスの商品化」と「福祉サービスの市場化」が急激に進んだという事です。
サービスという言葉は、人々の役に立つことや物事を提供することを指すとされています。ですから、サービス業の範囲は非常に広く、情報提供サービス、生活関連サービス、専門サービス、娯楽業、交通機関、飲食業、販売業などさまざまな業種が含まれています。サービス業のサービス提供者としては、接客業だけでなく、法律事務所や会計士事務所、経営コンサルタント、デザイン業、著述業、宿泊業、美容業、冠婚葬祭業、廃棄物処理業など、さまざまな分野があります。これらの業種は、お客様に対して高品質なサービスを提供するために頑張っています。ですから、福祉事業がサービス業の一つだとしても商品化が進んだとしてもより良くなるならばそれは良いことと言えます。
ただ、上記のサービス業は、普通の生活の上で本人が望むことに「役に立つこと」がサービスの提供となり貨幣と交換している事です。しかし、障害は望んで障害者になったのではありませんし、人間としての生活そのものを送るうえで必要なサポートです。障害福祉サービスは、障害のある方が地域で当たり前に暮らせるように、生活や自立・就労をサポートするものです。サービスがなければ生活が困る人に手を貸して必要経費以上に、利益迄求めることが普通になってきて、障害者が商品として見られるような時代になってきました。
今商品化ビジネスモデルとなっているのは、障害者雇用現場です。民間企業の雇用状況は、令和4年時点で、障がい者雇用数は 61 万 3958 人、前年より 1 万 6172 人増加(2.7%アップ)となっており、19 年連続で過去最高の数字となっています。障害者雇用は右肩上がりの状況で、推移しています。その為「障がい者活躍推進研修」などと言う障害者雇用会社へ障がい者の正しい理解や受入れに対して必要な知識や対応スキル、障がい者の採用や、その受入れの環境整備などについて学び障がい者雇用そのものを企業の経営戦略や成長に結びつけという研修が利益が出るという事まで出ています。
一方で、実際の会社で働かない方式での疑似雇用のような形での障害者の商品化が複数の方式で進んでいます。
「障害福祉サービス」とは、障害のある方が日常生活・社会生活を送るために必要な支援を提供する公的支援サービスですが、今日の制度では、「福祉サービスも商品」として営利企業の参入を促すことが日常的になりました。福祉事業で利益を上げてもいいという「福祉サービスの商品化」が進んでいます。
障害者の支援サービスも商品の一つだと思いますか。