知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

天皇家は国家が飼育するの話

 天皇家の在り方を臣民が決めると言うのは、既に天皇家には権限がないという事を証明しています。権力があれば、下々に言われる事などないし、無礼千万の話でしかありません。承久の乱で軍事クーデターを起こした軍部が権力を略取して以来お飾りとされてきた天皇家にとって未だに臣民の籠の鳥にされています。徳川軍事政権は、禁中並びに武家諸法度でお飾りであることを法文化しました。明治の中央集権軍事政権は、王政復古と言いながら、王の権限を取り上げる皇室典範などを作り天皇家が上位にいるような形だけ作って、臣民権力構造を維持しました。それは、戦後にも受け継がれ天皇家の王としての権力を奪うものでした。イギリスの王家と同じように紹介していますが、日本の天皇家は、財政的基盤の所有も自立を認められていません。イギリスの王家は、国家からの支援も受けていますがそれは国王としての義務を果たすことへの謝礼のようなもので、それが無くても生活に全く困らないだけの財産を所有しています。ですから、王家として国民ごときに口出しさせない毅然とした態度も示しているのです。ところが日本の天皇家は、家一軒持っていませんし財政基盤は全くないのです。つまり、国家によって大事に飼育されているのと同じ状態なのです。ですから、今日では、由緒正しい血統などとは関係のない有識者会議などと言う庶民が、皇位継承論議まで出来てしまうのです。例えば新聞等の文面にも見える様に「皇族数の確保を図ることが喫緊の課題だ」などと、無礼にも、皇族を一人二人と頭数で数を数えて「足りない」「増やさなければ」と言っているのですから、飼育している家畜と何ら変わりありません。天皇家に関わらず、自分の家系の事など、一族郎党で決めることで、他の家系の者が口を出すべきものでもありません。まして、検討委員会で女性・女系天皇女性宮家の是非を話し合うなど、非礼極まりない事でもあります。その根拠は、今の天皇家は、税金で賄っているのだから国民が納得するような対応が必要だという事で、それを今日では、誰もが不思議には思っていません。しかし、天皇家の歴史で言えば、自分の所有する直轄地を持っていたにも関わらず、軍事政権によって取り上げられ、蓄積してきた財産も国もものだと取り上げられたというだけの事です。天皇家としてみれば、平氏も源氏も遠い親戚で、本家が挙兵すると言えば兵士を携えて集まると言うのが基本でした。だから軍事政権のように常時軍を配置する必要もなかったし、私兵としての自軍を確保してはいなかったのです。その為、権力を失ってから、天皇家は、武装出来ず軍事政権から権力を取り戻すことは出来なかったのです。明治維新軍閥に良いように利用されたという事が明白です。王家が、祭り上げられ生活費を支給されて生き延びさせられているのは、生まれ素性だけは乗っ取れない為政者の軍事政権にとつて、所有したい生きる金の鳥であるからです。だから、子供を産めなんてことを平気で言うのです。家族をどう作ろうと他人に言われる事じゃないし、誰に家を継がせるかも自分で決めることで法律で決める事でもありません。自立した一族なら、反旗を翻してもいいのですが、家畜の如く従順に振舞うように長く訓練されて来たのが天皇家であると言うのも事実なのです。もっと考えてみると、国家の税金で暮らしているのだから天皇家の事に臣民が関わるのは仕方がないと言うのなら、生活保護や何らかの状況で税金の支援を受けている人々に、子供の事や家族の事であれこれ言われたら人権問題だと言って大騒ぎになると思うのです。ところが天皇家は、国家に言われるままに家族を形成しなければなら無くなってしまっているのです。国家の象徴だろうと、首相だろうと、公務としての仕事があってその報酬として税金が払われていたところで、家族の形成迄、頭数で数えられる必要などないと思うのです。でも、今日では、天皇を敬っていると言う偽の臣民たちは、天皇のいう事を聞かないだけでなく、上様押し込みの如く自分たちの利益の為に天皇家を利用するのです。本来なら偉い人のいう事には「仰せの通り」「御意」で済むことで、ああしろ、こうしろなんて言える立場にないはずの臣民のくせに言うのです。畏れ多くも天皇家の跡継ぎはどうするか話し合うこと自体が、もう悪人なのです。天皇家が権力を掌握していた時代には、時間を決める、名前を与える、官位を与えると言う重要な権威を持っていました。特に官位を頂くことは権力の正当性を証明する根拠に利用されました。軍事政権での頭目たちは氏素性が実はあいまいな連中が多くて、箔を付ける意味で、天皇家からのお墨付きを欲しがったのです。そして、天皇家は、利用されているのも承知の上で、上納金方式での経営を続け、独自の領地や軍事力を抱えてこなかったのです。一方で天皇家は、金のかかる秘儀としての儀式を一子相伝の技法として温め続けてきたのです。この儀式は今も権威を持ち続けそれを権力の正当性に使おうとしているから天皇家が必要なのです。でも、その家族を頭数でどうするか他人が考えなければならない状態なんて「飼育されている家畜」か「絶滅危機にある生物の繁殖計画」ぐらいで特殊とはいえ人間の家庭や家族に当てはめることは、適切だとは思わないのです。