知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

釣り人は素行が悪いの話

  ふるさとと言う唱歌に、小鮒釣りしふるさとと出てきますが、それは遊びのない時代の遊びの一つであって、どうしてもやりたかった遊びとは言えないものだと思うのです。過去の小学校の夏休みの自由研究には、昆虫採集などと言うものもあって捕虫網と同時に防腐剤の入った注射器セットが駄菓子屋ででも売られていましたがもう何十年も前になくなりました。自然を大切にと言いながら野生の哺乳類は、ひとたび害獣と言われてしまうと捕殺の対象となってしまいますが、それでも誰でもが捕殺できるわけではありません。イノシシやサル・シカの狩猟も免許がなければ出来ない様になっています。殺傷を好まない日本の風土にあっては、生活のかかっていない欧米的なハンティングと言うレジャーは元々ありません。鷹狩りなどと言うものも殿様の軍事演習的な要素が多く、娯楽ではありませんでした。一方、釣りに対しては、海や川にも漁業権と言う利権があるほど管理されているように見えて、販売目的ではない自家消費としてなら、娯楽としても遊びとしても、これまで規制されてはいません。しかし、近年では、河川や海が汚れて食べられない事や欧米のフィッシングと言うレジャーの為のブラックバスを始めとした外来魚の放流で食べるための釣りではなく娯楽としてのハンティング的な釣りが多くなっています。昆虫採集が無くなったのは自然や命を守ろうと言う理由ではない事は明白で、ゴキブリやカの殺虫剤は様々出ていますし、農薬により減ったと言っても蝉やキリギリスなどは今でも季節になれば鳴き出しますが、興味を持つ子供はいなくなったことが原因だと思います。現代では汗だくになって虫を追いかけなくても遊びは沢山あります。むしろ、虫が嫌いな子供たちが増えているとも言われています。野鳥の巣から落ちてきたヒナを自分で育てようとすることも今日では野鳥の保護違反となると言われ、ペットショップで購入しない限り、野鳥を捕獲したり飼育したりすることは出来ません。それほどに、自然と人工という事が分離されて自然に接すると言うのは動かない植物との設定が多くなり、野生の動物と言う表現が多くなりました。が、魚釣りは今でも野生の魚を釣る事も、自宅で飼育することも出来ます。規制もないので、釣りをハンティングではなく、フィッシングと言ってスポーツだと言い出すメーカーや報道もあります。ハンティングというのは、一方的に相手の気持ちなど考えずに襲い掛かるもので、スポーツと言うのは双方が戦う事を認識して決まり事もありますが、釣りはどう見てもハンティングであり対等なフェアーな試合では全くありません。魚は普通の生活をしていて釣りと言う試合をさせられているなんて思ってもいません。人間の生活で言うなら、普通に道を歩いていたなら、ハンティングされていきなり因縁を付けられて恐喝されているようなものです。テレビでも、フィッシングとして釣りの番組は沢山あり、様々な釣り道具をひけらかせて魚を釣り上げ、勝ち誇ったような笑顔を画面いっぱいに写しだしますが魚は単なる被害者にすぎません。にもかかわらず、時にはリリースと言って逃がしてやるという事を自慢顔で行います。でも考えてみてください、力いっぱい抵抗した魚の力は、釣り針の掛かっている魚の口に集中して人間の手腕なら肩が抜けて腕がぶらぶらと言うぐらい傷ついています。リリースなどと戻されたところで傷の手当てもせず怪我させられた魚がその後普通に生活できると思っているのでしょうか。人間の社会なら、ハンティングされて殴られ蹴られて山林に捨てられるようなものです。なのに釣り人は、いい事をしているか顔をして虐待した魚にバイバイなどと言うのです。こんなことからも釣りから命の大切さなど学ぶことは絶対に出来ません。それは、ハンティングで命を学ぶことが出来ないのと同じです。結局殺してしまうだけの事です。そして、釣り人が集うような場所には、コンビニも駐車場もトイレも完備されてはいません。その為、不法駐車やゴミの投げ捨て、野外の放尿に放便と様々なひどい素行の悪さを繰り返します。確保できた駐車場所を維持するためにもトイレごときで移動はしないのです。特に男性は、どこにでも放尿します。釣りの漫画があったり、釣りの映画があったりで美化されていますが、現実は、駐車やゴミ、排泄行為に田畑への踏み荒らしなど様々な迷惑行為を行っています。さらに、釣りの用具である、釣り糸や針の投げ捨てなどは、鳥や魚に取って加害以外の何物でもありません。マスコミは、釣り具メーカーなどの広告料などを含めて利害関係にありますから、釣りの番組を流しても、釣り人の素行の悪さを取り上げることはありません。防波堤の立ち入り禁止区域に入って悪行をしている釣り人を非難する事もありませんし、そんな人は例外とでもいうかの如く正面から釣り人の素行について取り組むこともありません。太公望と言う言葉があり、釣り人は善い人の様に思い込みたい人もいるとは思いますが、大衆化はモラルの低下が付いて回るという事を隠してはならないのです。既に釣りは誰もが親しめるレジャーなどと賛美している状況ではなく、野外の釣り禁止や規制を行うべき時期に来ている程釣り人の素行は悪化しているのです。