知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

対人関係はいやらしさに満ちているの話

 人付き合いは思うより大変で、人との係わりで苦労していない人などいないというのが現実だと思うのです。その為に対人関係をいかにうまくやれるかという書籍も大量に出回っていますし、コミュニケーションなどという言葉もやたらかたらと溢れています。でも整理しなければならないのは、言葉は相手を動かすためにあるのであって自分を動かすためではないという事です。ですから、相手を責める言葉や攻撃の言葉は沢山あってうまく使い分けられた者が有利になっているのです。人は責めるときの方が多弁で長時間語り、人を活用するときは寡黙で短時間です。結果おとなしく誠実な者は、多弁で多くを語る者に言いくるめられ騙されるのです。本来人は騙されるように出来ているというのは、人は勝手に錯覚し推測し騙される習慣が出来ているからです。詐欺まがいの広告の方が、魅力的で誘惑的です。キャッチフレーズは、騙される入り口で、人はきれいごとを言うなという反面で、きれいごとを語り心酔します。そして言葉は、相手に自由にイメージを想起させ拡張も肥大化もさせることが出来ます。その典型は宗教で、見てきたような嘘を言うと言われ、天国も地獄もすべてがイメージにすぎません。ですから悪意なく「勘違いは」必ず起きますし、「誤解」も「曲会」も起きます。善意であれ、悪意であれ、時間つぶしであれ、言語は相手があってこそ大きな役割をします。結果悪意ある者は、人を責めることに専念し誠意ある者は発せられた言葉をまともに受けて自分を責めることもします。自己反省などしていたならトラブルの時には防ぐことさえせずただ立ち続けているようなものでサンドバック状態になってしまいます。一方的に指弾されてしまいます。それだけにトラブルとなった場合には、言葉は武器以外の何物でもない事を知らなければなりません。相手の言葉はその発する人により、短銃から大砲にまで化けることが出来ます。相手を説得するのも納得させるのも言葉です。『バカの壁』(養老孟司著書)という本は450万部を超えるベストセラーとなり、同年に毎日出版文化賞特別賞、新語・流行語大賞を受賞しました。帯紙に「『話せば分かる』なんて大ウソ!」と書かれたように、話せばわかるではなく、「話せば騙される」が言葉の世界なのです。人は話すことが好きと思われますが、それは相手との関係性を探る重要な手段だからです。集団生活を基本とする人間にとっては集団の中での位置確認は重要です。猿人の時代から、ネアンデルタールになっても、クロマニヨンになっても集団で暮らすときにはその上下縦横の関係は重要で、複雑になるほど動作・行動ではなく言語によって関係性を確認する事に為るのです。その時誠実よりも騙しのテクニックの優秀な方がはるかに自分の位置を高める効果を発するのです。人は、加害被害と言う関係においても「付け込む」と言う手段で自分を優位に持って行こうとします。そして優位に立つと自己の利益誘導が始まります。よくきれいごとでは済まされないとか、水清ければ魚棲まずと言うような、きれいであることより世俗はすごしの悪があっていいのだという論法もあります。正義も混濁している方が世俗だと言います。でも、それは自分にとって都合がいいように盛り込まれたもので他者の為ではありません。つまり、対人関係とは如何に自分が不利な状態にならないように防御することに気を使えという事でしかないという事です。人と人の関係は、「いやらしい」と思えるほど複雑怪奇で正直な人ほど損をする様に出来ているのです。