知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

エレベーター「優先」「優遇」の話

 電車を降りたところで駅員がスロープを取り付けていたので止まって見ていたら、電動車いすの方が降りてきました。その進行方向にエレベーターがあるのですが、入り口は進行方向に対しては反対向きになっています。ガラス越しにエレベーターの前には4~5人の人が並んでいるように見えました。エレベーターに向かう車いすの前をエレベータより遠方の階段へ向かって歩く人達がいましたが、声掛けもないのに道を譲っているのが見えました。譲った方の後方に並んで歩いていたので、車いすの方がUターンしてエレベーターの列に並んだところ迄は見えたのですが、遅れてエレベーターの前に着くとちょうど今エレベーターのドアが閉まり並んでいた4~5人の人を乗せて降りていくところでした。そこには、車いすの方が一人残り、エレベーターが下降するのを確認して押しボタンを押していました。ほんの数秒だと思うのですが何があったかは分かりません。並んでいた人はほとんど他人でしょうから、一人ぐらいは車椅子の方に譲ろうとしたかもしれません。そして一人でも声掛けすれば、他の方も遠慮したかもしれません。先に乗り込んだ人は、前だけを向いて車椅子を無視したのかもしれません。並んでいた人は嫌な奴が来たなと思ったのかもしれません。よく、エレベーターには、もう扉が閉まっても押しボタンを押す人、閉まるドアに向かって走りこんでも乗ろうとする人、ドアが開くボタンを押し続けて乗る人はいないのと探すような顔をした人と、その人の人柄を表すような行動をする人がいます。が、車いすの人が列に並んだ時どんな言動がそこに起きるのか考えてしまいました。その場面を逃がしたことが実に残念でもありました。車いすの方と言っても色々な人がいますが今回は、中年の男性で、駅員とのやり取りも慣れている感じではありました。ですから、車いすの方が「お先にどうぞ」と障害者優先よりも並ぶことを選んだのかもしれません。先に並んだ人たちが、前を向いて知らないふりをしてとても車いすが入るスペースはないと車椅子の方を諦めさせたとは考えたくはないのですが、事実としては、優先配慮されたなら乗れたと思われる状況だったけれど車いすの方が残っていたという事です。この駅には、エスカレーターがありません。ですから、階段かエレベーターしかなく、車椅子はもちろん、ベビーカーの子どもたちも、年寄りも、キャリーバックも、体調不良の方も、中年も、若者も使用します。ですから、時間帯によってはエレベーター前に列が出来てしまう事もしばしばです。列が出来ている時に、車いすがやってきたら、みんなは席を譲るのでしょうか。単純に言えば、一人で階段が利用できる者は、まず階段を使えが社会の通例だと思うのです。車いすは階段が利用できませんから当然利用するべきです。ベビーカーも子供用品で溢れている場合がほとんどです。着替え・オムツ・飲食物・おもちゃとなると母親一人でベビーカーを持って階段の上り下りをすることは、危険で転倒でもしたなら大事になります。でも、キャリーケースなど荷物を持っていると言うのは、エスカレーターやエレベーターがどこにも設置されているとは限りませんから自分が取り扱える分量で行えばよい事ですから階段の選択をすればいいと思うのです。では、CМでもよくやっている膝関節に老化や支障が来ている年寄りはどうでしょう。立っているだけではそんなことは分からない内部の個人情報でもあって人に言いふらしてエレベーターの優先券を貰おうとは思わないと思うのです。この課題では、電車の中の優先席でもそうですが、優先と言う言葉に対してほとんどの人が「優しい」という事よりも「ずるい」と感じるているからだと思うのです。エレベーターでも、並んでいるときは先着順と言う「平等・公平」感で我慢しているのに、優先する人の理由が納得できないと言うものだと思うのです。そこには「優先」と「優遇」が一体となるイメージがあるからだと思うのです。誰でも使用できるものなのに、「優遇」される理由は何だと問われたときに、精神的ではない合理的な回答がないからだと思うのです。つまり、社会インフラが貧しい中で、譲り合っていたら自分はいつも貧乏くじを引くと言う感覚だと思うのです。この駅も、エスカレーターを設置するなら並んで待つより確実なエスカレーターに人は分散されるはずです。通勤電車でも誰もが座れるほどに流れていたなら優先席の意味がなくなります。優先席を設けなければならないほど、奪い合わないとならない貧相な状況だから、精神論で弱者救済を話さなければならないと思うのです。日本は決して先進国ではない事を知る事例だと思うのです。