知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

世襲制は日本社会に隅々まで浸透しているの話

      政治家の世襲が批判されますが、遺産相続は家族が引き継ぐものである以上、議員になれる権益があるなら無形の相続資産として世襲になるのは当然のことです。遺産は土地・建物だけとは言えず、文化的なものにも十分すぎる位しみ込んでいます。歌舞伎なんて世襲そのものですし、古典芸能や文化であるお茶・生け花・舞踏などの家元制度も多くは世襲です。もっとはっきりしているのは、職業としての農業・林業・漁業などの権利や資本が関わっている物はみんな世襲的です。「国税庁の会社標本調査(2020年度)によれば、全国278万社余りのうち96.3%は『同族会社』で、資本金100億円超の会社をとってみても、その割合は49.9%を占めていると報告されています。つまり戦前から生き延びてきた財閥を含めて、戦後次々と生まれたその他大勢の会社を含めて、日本企業のほとんどは創業一族による経営で、企業の成長によって見えなくなっている、大企業でも依然ほぼ半数は一族経営だという事なのです。ですから、会社も私有財産として、世襲は当然と考えています。いざ会社に入ってみたら同族会社で、能力に関係なく上司がいるという事も当然起きるのです。今日では社長を目指す青年は少なくなったと言っても、起業したいと言う青年は増えており、起業した会社が、同族会社となって行ってもおかしくはないのです。また、創業者の高齢化と後継者不足がいま大きな課題となっていますが、一国一城に憧れ頑張った経営者は、会社を公的なものなどとは考えず城は家族に引き継いでほしいと願っているのです。そして、それが一族郎党の利益でもあるのです。現代、一門、一族と言う感覚は薄れてきている様に思いますが、資産・財産・利益となると別です。中国では昔から「罪は九族に及ぶ」といわれ、1人が罪を犯すと九親等までの親族を皆殺しにするという刑罰制度が、清(1644−1912年)の時代まで続いていました。親族に連帯責任を負わせるという事での制御と同時に、出世も一族郎党の為という事もありました。権力争いが絡めば、たとえ血のつながった兄弟姉妹でも容赦せず、殺戮する一方で、一定の規模の利益を維持するには一定の人材が必要でそれは親族が信頼としては有利と考えているからです。中国は古代から家族主義が第一でした。国家より個人より家族という単位が最も重んじられ、権力を代々引き継ぐ世襲も中国の「伝統文化」です。その中国の影響下にあった日本ではさらに狭い国土の中での利益の奪い合いでは世襲は当然と言う相続制度が成立しました。そんな長い歴史ある世襲としての権力の移譲はあらゆることに浸透していますから、政治家が世襲だったとしても問題とは言えません。一方、戦国時代では世襲する人物の能力で一家そのものが大きな影響を受けましたが江戸時代のように安定した場合には世襲の順位は能力より出生の優位に従うようになりました。つまり戦国のように一族の命運がかかっているときは世襲の為の一族間の闘争が頻繁に行われましたが、平和になると誰でもいいからトラブルは避ける体質へと変わっていきます。ですから、江戸時代には「お家騒動」は大きな話題ともなりました。逆に考えると、世襲で成り立っているような時代は平穏で能力が必要とされていない時代を反映しているとも言えます。今日政治家が世襲しても当選するような状況にあると言うのは、政治が人材を求めていないという事の証明でもあると思うのです。経済活動では、世襲であっても無くても倒産と言う破綻がやってきますから淘汰の原理によって運営されます。ですから、常に人材としての要請がありますから世襲であってもそれなりの節度が保たれてもいると思われます。それに比べ今日の日本の政治の場面では、人材が求められるほどの状況にないから世襲でも人々は不便がないという事だと思うのです。もっと言えば、「期待されていない」存在であるから世襲という事さえ関心がないという事だと思うのです。