知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

揉み消し出来る検察の危うさの話

      54歳の男性が去年11月、足立区のマンションの一室に無施錠の玄関から侵入し、寝ていた女子高校生にわいせつな行為をした疑いで逮捕され、男性は取り調べに対して「間違いありません」と容疑を認めていましたが、東京地検は今月3日付で男性を不起訴処分にし、その理由を明らかにしていないという事が報道されました。自から犯罪を認めているのに、不起訴処分というのは、犯罪がなかったことと同じ事です。不起訴処分とは、容疑をかけられている人に対して、検察官が罰を求めない(公訴を提起しない)ことです。事件の捜査は警察が行いますが、警察には、罰を与える事が必要だと言う起訴は出来ません。ですから、通常、検察官は警察から送致された事件や自ら認知した事件について、被疑者の取り調べや証拠物の捜索などの捜査を行ったうえで、起訴・不起訴処分を判断します。不起訴処分となれば、身柄は釈放され、前科もつかず日常生活へと戻ることができます。一方、公訴の提起(起訴)とは、裁判所に対し、特定の刑事事件について刑事裁判で審理するよう求めることです。起訴されると被疑者は被告人へと呼び名が変わり、刑事裁判にかけられます。いったん起訴されると有罪になるおそれが極めて高いと日本ではされていますが、それは警察から送られたすべてが裁判にかけられるのではなく検察の段階で確実性が薄いとされるものは、不起訴にしてしまっているからに過ぎません。しかも自白していても不起訴になる判断は検察がしているのです。不起訴になれば、刑事事件で逮捕されても、裁判にはなりませんから罰を受ける事も前科もつきません。ですから弁護士は、不起訴処分を目指して活動するのです。となると、検察の段階ではいくらでも匙加減が出来るという事でもあり、裁判所なんて量刑を決めるだけのところではないかと思ってしまいます。つまり、警察が捜査して黒だと言ったものしか送られてきませんから、検察が調べて白という事になるのは警察の誤認逮捕であることを認めているという事でもあります。その点では、犯罪捜査としてのダブルチェック機能として好い事だと思うのです。しかし、犯人か疑わしいが証拠が乏しく本人も否定していて有罪とするだけの自信がないから不起訴にすることも出来るという事です。これは、悪い奴にはとても有利な話です。最後までしらを切り続けて証拠さえなければ罪は問われないのですからこれも完全犯罪という事も出来ます。そして問題となるのは、犯人だが罰は必要ないと検察が判断して不起訴にしてしまう事が出来るという事です。よくドラマに出てくるようなお涙頂戴的な場合だけならそんな人情判断でも良いのですが、それが出来るという事は有力者たちのもみ消し工作も可能だと言うことを否定できないシステムであるという事です。何せ、不起訴にした理由はほとんど開示されないのですからその判断基準はとても公正とは言えないと思うのは、この検察の持っている裁量権が実は非常に大きいという事なのです。ですから、自白していても罪を問わない事例などこの裁量の範囲でどうにでもなり兼ねないという事です。確かに、和解と言う方法で被害者を守る立場から被害が回復されていると言う事が条件として成立する場合もありますが、この場合も、犯罪歴が残りませんから再犯する可能性の高い犯罪で起きれば被害者が再び出るという事になるのです。先日の新聞で、安倍晋三元首相の銃撃事件で引責辞任した中村格警察庁長官が、2月1日付で日本生命保険の特別顧問に就任したと報道されました。中村氏が有名なのは、警視庁の刑事部長だった2015年、ジャーナリストの伊藤詩織さんが、元TBS記者から性加害を受けたと訴えた件で、捜査の結果、2017年に逮捕状が出たものの、逮捕する直前に中村氏が逮捕状執行の取りやめを命じたと揉み消し疑惑が『週刊新潮』に報道されている人物なのです。こんな有名な事件でも不起訴の裁量が行われ、揉み消しが出来て手柄になるのですから、もっと底辺では多数行われているのではないかと疑わざるを得ないのです。不起訴にする理由は「起訴猶予」「嫌疑不十分」「嫌疑なし」「告訴の欠如」「時効完成」などがあり、歯止めとして検察審査会に対する審査申立てとか、上級検察庁の長に対する不服申立てとか、付審判の請求とかあると法律家はもっともな理由を並べますが現実には、「その理由は明らかにされない」のですから、誰も審査に訴えるだけの理由を見出すことなど出来ません。つまり、公平でも公開でもないのですから関係者でもない限りおかしいとの声など上げられません。結果検察がどんなに揉み消しをしていても誰も分からないしそれを正す方法もないのです。