知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

僕らは戦場に行かなかっただけで戦争を知ってる世代ですの話

 「戦争を知らない子供たち」と言う歌が反戦と言う感じで歌われて、なんとなく満足していた世代に「だから平和ボケ」なんて言われるんですよという話です。「知らない」という事と「参加していない」という事は全く違うと思うのです。戦後日本は、長く戦場には参加しませんでしたが世界の戦争には間接的に加担してきました。第二次世界大戦後の日本の社会では、二枚舌を使い分けることで軍備も着々と整えてきましたし、世界で起きている戦争に経済という名で深く関与してきました。旗も上げない、人も出さない、だったら金を出せと脅されて税金を投入してきました。国がそんな加担をしていることを知りながら他人事のように、テレビで沢山の戦争を見てきたのは私たちの世代です。ですから、齢70歳を超えて自分が兵士として動員される事が無くなった今、子どもたちが兵士として動員される事など永遠にないように願うのがこの世代の務めだと思うのです。周囲にも様々な意見はありましたが、他者を「平和ボケ」と言いながら戦争を肯定する好戦的な煽りを叫ぶ高齢者に出会うととても残念でならないのです。そして、そんな風に戦争を煽る人が、実際の戦争には行かず打算で戦前・戦後を生きてきたことを歴史から学んでいるのも私たちの世代と思うのです。安部元首相が来ると言うので有名人見たさに憲法改正の集会に行ってみました。いろんな方が10分程度の演説で、自民党案が良いとか、戦後の憲法はGHQが作ったとかを、話していましたが、自衛隊の後援会会長と言う74歳(うる覚え)の女性が出てきて、自衛隊は軍隊にしなければならないとか、自衛隊員は、命を懸けて国を守っていると言うパフォーマンスを声高に始めました。日本人は、サムライだ、自衛隊は武士だと叫ぶのです。自衛隊に後援会がある事も知りませんでしたが、後援会と言えば通常は応援団であって後方支援者でもあると思うのです。それが挑発者の如く自衛隊が軍隊になりたがっているような事を叫ぶのは、当の自衛隊でも迷惑ではないかとしか思えませんでした。それに、70歳過ぎのあなたは、戦場へ行く事はないでしょうが、仮に隣国が攻めてきたときに、ためらうことなく、自分の子供や孫に兵士になって軍隊へ行けと言った時子供や孫は何と答えますかと質問したいぐらいでした。戦場へ行く兵士が他人の子供であったとしても、過去、誰一人の兵士だって死にたいなんて人はいなかったと思うのです。その女性が日本人が戦場に行かなくてよかったことを感謝することなく、逆に「日本は平和ボケしている」と叫ぶことに、「日本文化の礼」の精神さえも学んでいないという事を感じました。有名な孫子の兵法にも「百戦百勝は善(ぜん)の善なるものに非(あら)ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」(謀攻篇)とあるのは、戦うなら必ず損害が出る。それを繰り返せば、国力は低下していつかは負けてしまうという事を書いています。つまり、目の前の戦争よりも長い目で国の存続を考えていかないとならないとも言っているのです。「平和ボケ」などと言っていますが、労働力としての若者を軍人として待機させたり、戦場に送らなかったからこそ、戦後の経済を支えられたという事をもっと認識すべきだとも思うのです。私たちの世代は、銃は持たなかったけれど世界の経済戦争にはずっと参戦し続けてきたから今の経済があると思うのです。そして、僕らは、世界の命を交換する沢山の戦争を知ってる世代です。朝鮮戦争に始まる戦後の世界に起きた沢山の戦争で、どれだけ人が死んだかを知っている世代です。そんな私から見るなら、あなたが一番平和ボケしていると言いたい思いでした。「命」と「生活」が失われる戦争にならないように、喧嘩の仲裁をするのが年寄りの役目だと思うのです。戦争はスポーツではありませんから、勝っても負けても人が死に町が破壊され、生活が脅かされる事を知っているぼくたちの世代は、戦いを鼓舞する人達に「まあまあ」と言える世代であるべきだと思うのです。議論として防衛論を語る事は大切ですが、戦争を推進するような煽りは、ゲームじゃないと言うべきだと思うのです。身内が戦争で死んだことのない「平和ボケ」の世代と言われても、僕らは戦争をちゃんと知っている事を言いたいのです。チベット動乱、ラオス内戦、コンゴ動乱ベトナム戦争中東戦争、ビアフラ戦争、北アイルランド独立運動カンボジア内戦ナミビア戦争、アンゴラ内戦、 ウガンダタンザニア戦争、ソ連/アフガニスタン侵攻、ニカラグア内戦、クルド民族、ロヒンギャ民族、 イラン・イラク戦争アフガニスタン内戦、エチオピア内戦、湾岸戦争ユーゴスラビア紛争、ソマリア内戦、コソボ紛争チェチェン紛争東ティモール紛争、イラク戦争、死人が出なかった戦争などありませんでした。生活が破壊されなかった戦争などありませんでした。兵士だけでなく、市民が死ななかった戦争などありませんでした。その一方で命を懸けて守ったはずの国は、死者の気持ちなど顧みることなく、権力争いの中で利権を求めてうごめく連中にいいようにされてしまいます。生きていなければ守れない事が一杯あります。国の為に死ぬのではなく、国の為に生きているから国を守れるという事でもあると思うのです。