知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

宗教の教祖こそサタンの手下だろうと言う話

「人間の堕落によって世界はサタンの王国になったので、クリスチャン以外の全世界はサタンに支配され、サタンの腕に抱かれており、人間はサタンの奴隷であり、クリスチャンになるとはサタンの支配から神の支配に移されることを示している」と言うのがサタンについてのクリスチャンの大まかな話だと思うのですが、そんな話をそれこそ見てきたように話しているのが「神」ではない、ただの人間である「教祖」だという事が大きな問題だと思うのです。何故なら、教祖自身がクリスチャンだと言う証明など一つもないのです。キリストの13人の弟子でさえ裏切り者がいたのに、そのずっと後の教祖がクリスチャンだなんて誰が認定できますか。権威者が王であることをどうしても民衆に認められる方法を探し続けたように、教団なんて仲間内で証明書を発行しあっているにすぎず、教祖の誰もキリストや神から認証されてはいないのです。つまり、自称「クリスチャン」「坊主」であって本当はサタンのしもべでありスパイかもしれないのです。サタンの事を「悪魔・悪霊の統率者」などと言われますが、神はサタンの状態はどんな形か示さなかったので、教祖だってサタンにあったって分からないのです。人間は、神の形を模して創られたと明確に大事な本には書かれていますが、サタンはないのです。アダムとイブの話では蛇がそうだと言う話もありますが、「角が生えて尻尾があり、三つに分かれた武器を持つ」という「悪魔の典型的な姿」は中世の終わりの頃に描かれることが増えただけで神が教えてくれたものではありません。このサタン像は、布教に使用する絵画の為に、必要に迫られて人間が勝手に創造したものにすぎず、偶像崇拝を禁止するキリスト教の布教上、視覚的要件として絵画などが盛んに用いられた時に、悪役としてのサタンを描かなければならなくなっただけなのです。悪魔に関しては、キリスト教を信じる人からは、もっともっと深い理論があるとして、「大天使ルシファー」のことも知らない癖に勝手な事を言うなと言われそうですが、悪役を作って自分を正当化すると言うのは人間の狡さの原点ですし、宗教というものの成り立ちの原点でもあると思うのです。最初に神を作り、その偉大さの引き立て役としいて作り上げられたのもサタンですし、地獄だと思うのです。それだけではなく、宗教には、来世という考え方を持つものが多くあって、今世で頑張らないと来世はもっと不幸になると脅し、教祖と教団が現生の利益を貪ると言う事は普通です。特に先祖を持ち出す宗教は、今世の苦労は、前世に何もしなかったためとなり、今世の不幸の原因は、先祖の不始末が原因となります。だから先祖から救われていかないと今世の自分も来世の自分も救われない事になるので、自分が先祖の不始末を今世で浄化することによって、来世には地獄へ行かなくてよくなると言う風に組み立てられてしまいます。信者は、艱難辛苦を乗り越えて今世で頑張らなければならない事になるのです。そこまで追い詰めさえすれば、信者は、救済される為に、どんなに動員されようと財産を全て捧げようと、祖先と自分を救う手段ですから何の不思議もない事になります。そして、宗教の狡さは、絶対に教祖は、悪くなく、すべてのいい事は神の祝福で、すべての悪い事は信心が足りない事に帰結しますから信者に自発的な言動をさせることは簡単な事になるのです。こんな単純な事でも世界で見るならこの現世でさえいまだに宗教が信者に不利益を振り撒いていても神は教授し解決し助けてはくれないのです。例えば日本では科学的だと進化論が定番ですが、アメリカでは天地創造は神がしたと信じる人は半分いると言われています。もう一つ厄介なのは、自分が救われるには、他者を入信させなければならないと言う宗教のねずみ講方式です。相手を助けることが自分を助けることになると言う事は、自分の為に相手を巻き込んてしまう事は親切でも人助けでもない事に気が付かない事です。新興宗教ほど布教と言う勢力拡大に熱心ですから信者にサタンの奴隷となっている人々を救う事が命じられます。布教活動は人を救う事だと教えられ信じていますから、相手を救おうと言い寄ってくるのです。余計なお世話であり加害行為であっても正しい事だと洗脳されていますからなおさら厄介なのです。信者に、あんたは騙されていると言えば、あなたこそ騙されているの世界になってしまうのです。そうやって、信者の不幸は洗脳が解けるきっかけがあるまで続くのです。私に言わせれば、全知全能の神なら、サタンだろうと悪魔だろうと人間に悪さするものは、神がさっさと退治すれば良いだけなのです。グズグズとキリスト教は2000年も放置していると言うのもいかがなものかなのです。それに、何も、信者が戦わなくても神がサタンを退治して、サタンの国から解放すればいいだけなのです。そうすればどんな宗教であろうとサタンから解放されますので、キリスト教と平和に共存できるのです。ところが、みんなが平和に共存するという事が嫌いな教祖は、布教という活動を起こさせるために、悪役を殺したりはしないのです。この様に言うと無神論は、地獄に落ちることになるのですが、古代から現代に至るまで無神論と信仰、進化論と創造論など、さまざまな対立軸で人間は議論を繰り返していますが、その論議の一部をつまみ食いして、教祖と教団が現世利益を得ている連中がいるという事が問題なのです。最近の事例では、旧統一教会など信者の不幸の上に教団があるのですから教祖はサタンの配下と言うべきだと思うのです。