知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

高齢者は行儀が悪いの話

 現代では、100歳以上の方が9万人を超える長生きの時代になりました。ですから70歳以上の高齢者などどこにでもいる時代です。そして、この70歳から80歳の高齢者こそ曲者で行儀が一番悪いと言えるのです。この辺の高齢者は、実は総じて面白い時代を生きた世代でもあるのです。確かに一人一人は大変な事や苦労も沢山あったのですが、全体としての世代では正にスリルとサスペンス冒険の時代でもあったと言えるのです。何故なら、戦前の酷い時代を知らず、戦後の貧しい時代から高度成長期とバブルによって派手な成金時代を経験して、社会的規範に捕らわれない我儘な生き方がまかり通ってきた世代なのです。日本の儒教的家父長制や権威、制度を壊すことがかっこいいと思われた時代で、日本古来からの伝統的社会規範を破壊した世代ですから、行儀見習いをしたことがないのです。基本単位の家族制についても「家付き、カー付き、ばばあ抜き」と嫁と姑の確執が社会問題として襲い掛かる前に、核家族化と言う家族単位での生活を可能にする時代に入り、伝統的な「家制度」は崩れていったのです。そして、「断絶時代」とまで言われた世代間の価値観の違いが、大きな社会問題化のように騒がれながらも、経済の発展がそんなことさえも丸ごと飲み込んでいきました。西洋のような宗教的バックボーンを持たない民主主義は、個人主義も利己主義も混濁して成立し、期待される人間像に反するような、競争社会では、受験戦争、交通戦争と言うように制度や体制が追いついていかない前のめりに拡大し、現状の方が空中浮遊するのを法規制が追いかけていくと言う構図が青春時代に出現していたのです。日本古来の保守的社会制度を批判する事が最新であると期待されたこの世代は、ベトナム戦争、公害、沖縄返還と学生・市民運動と言う中で、価値観の空洞化を招きながら、高度経済成長と言う中で、自己主張が何かを実現していくような、それでいて政治的には何も変わらないと言う虚無的な中で走り続けたのです。そこには沢山の犠牲者も飲み込まれましたが、乞食がいなくなったように、飢餓で亡くなる人がいなくなり社会の片隅でも生活は成り立つような時代でもあったのです。飢えと貧困に戦う労働者群像とは違い意見はバラバラで統一性がないのになぜか押し上げられていくのです。やってきたバブルも、望みでもなく、成果でもなく、海面上昇の如く飲み込まれただけですが、普段は出来ないような良い思いをした人もたくさんいた時代でもあるのです。ジャパンイズナンバーワンなどと世界に雄たけびを上げていながら後ろめたい猜疑心を持ち、今日の繁栄は俺たちが作ってきたんだと言う根拠の薄いプライドに乗っかってもいるのです。まだまだ働けるという事と次の世代に渡していかなければならない作法を知らないだけに政治でも、経済でも思い上がった権力を握りしめている世代なのです。今日の少子化の原因でもありながら、老害なんてことに自分ではないと言い切れる身勝手な人たちの群れでもあるのです。つまり、行儀作法としての「引き際の美学」なんてことも習っていませんから往生際が悪いなんてことは「恥」とも思っていません。ですから、多少の不祥事を起こしても権力や利益にしがみ付いて離さないと言うのもこの世代の特徴です。では、行儀がいいとは何かというと歳を取ったら自分の利益の為でなく社会の為に「正論を吐く」事なのだと思うのです。組織やしがらみ、保身の為に言えなかった、正論を吐いて嫌がられる事だと思うのです。学生運動市民運動なんかにちょっぴりでも関りながら結局は長いものに撒かれて大きなうねりに身を任せていた世代でもあります。行儀が悪い世代ですから晩年は次の世代が暮らしやすいように最後は立て付いてもいいのではないかと思うのです社会に向けて、そうでないとただの、怒りっぽい老人でしかなくなりますから。