知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

少子化どこが悪いの話

 脅しのようによく少子化の問題点として、老人を支える人数が出てきます。今は5人の若者で一人でも何年後には一人で一人を支えなければならないと脅されます。そんなことを言ったら老人の保険の為にこどもが必要だという事にしかなりません。老人の生活など国家の問題ですから、社会保障は、国家が解決すべきことで、散々働かせて吸い取った上に老後はその子供たちが支えるべきだは実に無責任で、子供が支えるために必要だは見当違いのすり替え論にすぎません。子供なんかいなくても、国家が経済的に豊かで老後資金の蓄財をちゃんとしていればどうにでもなる問題です。日本の国が借金まみれの自転車操業をしているからの論議でしかありません。また、労働力が不足すると言いますが、労働者に十分な仕事と賃金の払えない国なら労働力なんていくらあっても役立てることは出来ません。例えばインドは世界一の人口で労働力は沢山ありますが、賃金は安く失業率も高く労働力を効果的に活用など出来ていません。労働力がいくらあっても活用する事の出来る国家であれば効果がありますが現代の日本の政治では活用など出来ません。その一つの事例として、これだけ人手不足と言われる現代で、実際には働ける成人の中で50万人と言われる引きこもりがあるのです。社会に幻滅して引き籠らざるを得ない人たちの対応もろくに出来ない政府が問題なのです。自分たちの都合のいい労働者しか考えていない育てようとしない国家の問題なのです。障害者を含めて活用できる人材が沢山あるのに活用できない現代の政治が問題で、労働不足が問題なのではありません。ここにもすり替えがあるのです。これだけでもわかる事は、現状維持をするにはどうしたらいいかの問題すり替えに「少子化」を悪用しているとしか言いようがないのです。例えば、世界の経済が苦境に怠り戦前のような世界恐慌が起こった時、日本のような資源はなく人口ばかりが多ければ、貧乏人の大家族状態に国家がなってしまいます。戦前は、その余りある人口に仕事をもたらすとして、朝鮮・中国東北部への侵略と言う戦争を行ったことからすれば、人口が多い事が国力ではない事など明確です。戦後の大きな労働争議や頻発したデモなどは戦争で多くの人が死んで労働力が減ったにも関わらず首切り解雇に対する闘争でした。労働者がいても仕事が提供できる経済環境でなければ人口など沢山いても意味はないのです。実際には、日本の食料自給率の方が問題で、こんな狭い領土の農地を宅地に変え、放棄地にしている農業施策の方があまりにも貧困と言えます。戦前の小作制度から戦後の農地解放の過程に拘った今日の農法の法律が時代遅れを越えて農業の衰退を招いています。もっと自由に農産物の生産効率を上げて農地の保全をしていかなければ、食べる物にさえ事欠く事になります。金があるから輸入できるように、金さえあれば社会保障など問題ではありません。借金ばかりしている国家だから働き手が減ると困るなどと言いますが、経済は労働力よりも大事なのは投資です。国が借金してでも一体何に投資しているかが問題です。例えばあんなに技能的に低いと言われていた中国は、宇宙ステーションを作ることが出来るまでに技術の先端が広くなっています。それは先端技術そのものが直ぐに追いつけるものだからです。特許技術という事がありますが、特許を取るためには詳細な技術の内容を明示しなければなりません。結果どうすればいいかは明確になってしまうように、情報化社会の今日では特許取得自体が情報開示であり模倣可能な時代でもあるのです。ですから、輸出をしない国内だけで利用していたなら特許侵害だって確認できない環境も作ることが出来ます。この様な世界情勢の中では、自国の資源とエネルギーの確保が最も重要な時代がやってきました。日本の資源としての海や風の活用など自然を如何に活用するかが投資として最重要で少子化ではありません。国力さえあれば老人の面倒も見れますし、労働力だって海外からでも得ることは出来ます。にも拘らず少子化と大騒ぎするのは国の借金財政がいつ破綻するか分からないからに過ぎませんし、その借金を払う若者が必要だ程度の事でしかないと思うのです。親が借金して子供が払うには、子供が多い方が良いと言う論理にしかなっていない少子化の問題は、国の不始末を子供世代に押し付けるためにしかなっていません。経済が豊かであれば、子供は自然増しますが、借金を払うために生まれてくるかと思えば辞めてしまうのは当たり前だと思うのです。