知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

当事者意識のない管理者こそ問題だろうの話

 社会福祉法人かながわ共同会が運営している津久井やまゆり園(相模原市緑区)では7年前、入所者ら計45人が殺傷される事件が起きました。この法人は、複数の県立障害者施設を運営する県立民営下請け委託法人です。そこの職員による虐待事件が繰り返し報道されることになりました。共同会が運営する障害者施設の一つ、厚木精華園(厚木市)で8月に18年の勤務歴があった、職員による虐待が発覚しました。今度は、愛名やまゆり園の職員で、態勢が手薄になる状況のなかで焦って暴力を振るってしまったという事でした。問題は、山下理事長の発言です。記者団に「支援のやり方も知っていて講習も十分受けている職員による虐待が起きた。見られているという意識がない。悪いことと認識していないのでは」といったことです。この「見られていると言う意識がない」と「悪いことと認識していない」は当事者の管理者として当事者意識があまりにも低いものです。見られているというのは、監視カメラが設置されていて今回の事案が明確に映っていたことを指しますが、「誰が見ている」は指していません。つまり、録画されても誰もモニタリングしていないのです。監視カメラも設置されていたが、抑止力にはならなかったと新聞記事も書いていますが、どんなに記録しても確認する者がいないのなら、意識することなどありません。また、研修であり人材育成の責任者が、新聞沙汰になるような不祥事を起こした自分の部下に「自分の業務の正悪の判断が出来ない」と言うのです。誰が指導しているのですかと厳しく問われなければならない事で、このような管理者に対して本来の報道なら「当事者意識がない」と言うべきです。つまり、加害者が見られているという感覚があるなら見られないところでやればいいだけです。見られているという意識がないのではなく、カメラの映像を見る人がいないから意識されないのです。設置すればそれで抑止効果になるなんてことが機械に任せてしまう無責任な感覚なのです。仮に抜き打ちでカメラ映像確認を管理者が行っていれば誰だって写っていることに気を使います。また、盗みは犯罪ですと子供の時から言われているから人は盗むという事に無意識でも反応します。自分の法人で繰り返し虐待の研修をしていたのなら何が虐待に該当するぐらい誰でもわかるようになります。まして「暴力」ですから認識していないとするならどれほどひどい研修をしていたのかその質が問われなければなりません。ここにも、自分の部下意識がありませんし、管理者として利用者を守るという感覚がありません。監視カメラに任せるのではなく現場を管理者が訪れていればその雰囲気で「力技」が使われているかどうかは分かります。問題のある強度行動障害の支援現場を観察すれば、分かります。管理者が現場に行かないから分からなかっただけの事だと思うのです。管理者は、講演したなら誰もが分かると思っていることが思い上がりだと思うのです。支援の現場はきれいごとでは回っていかないことが理解されていないのはこの管理者そのものだとしか思えません。結局、このような県立民営施設では、偉い人は案外「天下り」同然で数年間して去っていきます。このような大きな組織では、管理者と言いながら、自分の施設を見学さえしたことがない場合まであります。福祉の現場は、正論には絶対に勝てません。しかし、生きている現場は、一秒も待ってはくれず進んでいくのです。その時に「理不尽な利用者の要求」が有ったり「理解不能な行動があったり」「不条理な反発があったり」「無謀な加害行為があったり」しているのです。その時どうしたらいいのか、職員自身も興奮してしまったり、パニックになってしまったり、混乱してしまったりすることが起きるのです。この時の解決は一つで応援が必要なのです。緊急時に駆け付けられる応援が必要なのです。それが管理者でもあるのです。管理者として不適格な、こんな管理者が高給で県立施設の業務委託をしているから起きるのだと思うのです。駆け付けることもできないから管理者として、当事者意識、緊張感もないのです。他人事の見解しか言えないのです。ですから、加害の職員は罰せられるでしょうが、この法人の管理者は罰せられることもなくのうのうと福祉を語り、職員に偉そうな説教だけを語るのです。再発防止委員会の会議しかできず、部下に現場を任せっぱなしの当事者意識のない管理者こそ問題だろうと思うのです。