知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

グループホーム悪用のペテンの話

     地域で暮らすとは何かは明確にされていません。自治会に入る事なのか。地域の行事に参加する事なのか。しかし、一般のアパートでは自治会なんかに入っていない場合がたくさんあります。自治会に入会しないと一番揉めるのはゴミ出しぐらいで、自治会に入会すると一番大変なのが、集金係の班長などに輪番でなってしまう事があげられ、学者が述べるような理想の自治会など探すことは大変です。自治会はだいたい一軒家が対象で、団地なら団地だけで自治会を作っています。その自治会の役員が高齢化し、祭り一つできなくなっているのが現実で、日本の地域は大きく変質してきています。過去には、障害者を排除した自治会も排除運動をするだけの力はなくなっていて、障害者を受け入れる余地があるという事よりも、排除する力もなくなっているだけです。つまり、障害者は、地域と言う集団の中で暮らすことが良いとされていながら地域集団は崩壊しかかっているという事です。過去のような「隣の人はどんな人」を知る事さえもない、付き合いはありませんの集団になりつつあるという事です。一方で、障害者の入所施設の集団生活が非難されています。過去には、「何をするかわからない精神障害や知的障害」は刑務所的発想で地域から離れた場所で隔離することを目指していました。だから危険な施設が来るというので設置反対の運動もあったのです。しかし、人権問題だけでなく、地域力の低下により、社会安全確保のための隔離収容が社会全体から薄れてきたのを良いことに、グループホームなら街中でも設置できそうだという状況に、入所施設のデメリットを強調して、脱施設化と大声で叫ぶ人が増えてきました。グループホームが入所施設のデメリットを克服してグレードアップするならそれは歓迎されるべきことですが、実際は、入所施設に、グループホームが近づいて行っているだけで、名前を変えた入所施設の改悪版となっていることです。なぜなら、本来、グループホームは少人数の家庭に近い集団とされているのに、現在の規程の介護サービス包括型と言う一般的なグループホームでは、1棟の定員は10以下とされていますがこれだけでも少人数とは言えません。こんな家族は今どき大家族と言われます。その規模でさえ大きいのに、実際は隣接しているのに敷地が別で玄関さえ別ならと3棟まで可能で、実質 定員30人のグループホームが出来てしまうのです。もっとひどい日中サービス支援型のグループホームでは、定員は20人で、2棟まで可能ですから定員40人のグループホームが出来てしまうのです。こんなグループホームのどこが少人数の暮らしと言えますか。この日中活動型では、日中の活動もグループホームの外へ移動する必要はありませんから外へ出るという事がなくてもいいというものなのです。これは街中の隔離施設といってもおかしくないものです。さらに、条件面でも入所施設では家賃が自己負担ではないのに、グループホームは家賃を払わなければなりません。なのに、入所施設は、一人当たりが6畳間なのにグループホームは4.5畳です。ここでも畳1畳半減らされた挙句に家賃とられるという事です。このように、脱施設の原点、集団生活だから入所施設はダメだと非難した、集団生活体制と変わらず、居住しスペースが狭くなり、費用負担まで発生することが改悪ではないと誰が言えますか。行政が旗を振って脱施設化と言いながら、出ていく先は非難されている入所施設より悪い条件なのですから親が慎重になるのは当然です。悪条件は他にもあります。入所施設は、社会福祉法人が経営していますから、退所の制限が強く簡単に退所させられるという事が出来ませんでした。しかし、グループホームは、終生保護は目的としていませんから簡単に退所させられてしまうという事例が多くみられます。理由は様々ですが、グループホームには看護師が配置されていず、慢性疾患や医療ケア、老齢生活介護等が悪化ないし重度化すると退所が勧告されます。さらに、「65歳の壁」があって、65歳以上の障害者は、介護保険と障害者総合支援法に同一内容のサービスがある場合には、介護保険の適用が優先されます。ところが介護保険サービスになると、サービス量が減る、利用者の自己負担額が増えますから、65歳になっても、介護保険ではなく、障害福祉サービスを継続利用したいという障害者のニーズがあってもグループホームでは対応できないのです。入所施設を悪者にして脱施設化を叫ぶ人たちは悪質なグループホームへ障害者を追い立てる役割を担っています。入所施設より劣悪なグループホームはペテンです。入所施設が回転しないのは、他の選択肢がないからに過ぎない。