知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

選択肢があれば悪者は衰退するの話

     障害者に対して施設職員による虐待が繰り返し報道されていますが、職員の被害についてはほとんど報道されることがありません。その理由は、「仕事上我慢するのが当然」「うまくできないのは技術不足」「給料もらっているのだから出来て当然」と捉えるムードが、介護の職場にあるからとも言われています。その為、我慢するか辞めるかしか選択肢がないと言う事まで言う人もいます。過去に障害者入所施設は利用者虐待の温床のように言われ、施設を利用していること自体が被害者のような報道が背景にあって職員は、利用者に対して悪役のような言われ方までしました。特に、サービス支援になった時から尚更に、介護職が被害を訴える事を遠慮し、諦めざるを得ない状況に置かれてきました。しかし、加害と被害が福祉施設にある事自体がおかしいと誰もが思っています。職員も守られるべきだと誰もが思っています。確かに、サービス支援の前は、利用者は「訓練生」や「園生」と呼ばれ「訓練指導」による「社会復帰」が施設の目的でしたから、職員と利用者の関係は「上下関係」そのものでした。職員は、専門職として、威張っていましたし、優越的な立場で「園生」に接していました。結果として厳しい指導や暴力的な訓練、いじめや虐待もありました。その反省の上で、利用者との対等な関係が今は求められています。しかし、職員の意識が変わっても利用者の障害が消失したり緩和されたりしていませんから、手段方法を変えなければ、介護時に加害されることが増えるという事になってしまいました。前々から、福祉事業は、3K職場と言われ、「きつい」「きたない」「危険」と呼ばれ「給料が安い」を加えて4Kなどと言われてもいます。辞める職員の言葉に「利用者が怖い」と言うこともあります。一方で、障害者を持つ親からは入所施設が根強く支持されています。それは、「親亡き後の」保障がこれしかないからです。グループホームには地域生活移行という目的があって終身利用の保証はなく、疾病・老齢介護度の進行などの理由により退所させられたという事が度々起こっています。また、脱施設化と言って入所施設を制限することで、ますます利用の門が狭くなって逆に価値を上げてしまっているという事もあります。つまり、入所施設に代わる親亡き後の制度や保証があれば自然に入所施設に不備があれば衰退していくものです。国連の障害者権利条約から「脱施設・地域移行」の国レベル施策がないと批判された国は、とにかく入所施設を無くしグループホームへ移行すればいいという方針で、問題がある株式会社のグループホーム建設でも認可しています。その根拠は、入所施設は虐待の温床だという認識から来ています。しかし、グループホームと言いながら隣り合っていても分筆登記されていれば10人定員を3棟建てても認可されますし、日中活動型の場合には、日中活動に移動できない重度者を対象としているのに定員20名で2棟建てられますから、定員40名となりどこに少人数で地域に暮らすというのが成り立っているのか説明してもらいたいものです。しかも、入所施設と何ら定員規模では変わらないのに、本人からは、部屋代から食事代と負担をしっかりさせたうえで、職員数は入所より少なくてもいいし、設備も低下したもので認可されるのです。これことでは、推奨して散々できたころには、国連から「脱グループホーム」となりかねません。本来の障害を持つ人の安定した生活の場が保証されるグループホームではないのです。国連の脱施設化は、地域生活一辺倒で、一時保護以外の施設そのものを認めていませんが、欧米の地域環境と日本の地域環境の違いも考慮されていませんし、欧米の家族形態と日本の家族形態の違いも考慮されていません。ですから、日本で問題となっているグループホーム福祉ビジネスの弊害も関係なく「地域で暮らす」だけが強調されているのです。国連とそれを国連に訴えている人たちは、根本が施設不要論ですから、「施設で働く人を守る」という考えもありません。しかし、今の日本の地域環境の整備状況では、障害の重い人や行動障害の重い人の暮らしが成り立っていないから、地域で暮らす障害者が入所施設を求めているというのも事実です。国は、社会保障費の膨張に直面していることから、脱施設を逆に利用して、入所施設より税金負担の少ないグループホームを推奨していますが、グループホームの職員環境は、入所施設より劣悪になっています。そこには、福祉に働く職員を守るという姿勢は見られていません。本来、入所施設とかグループホームの制度論ではなく、障害者の生活や働く場が確保され人権が守られる状況を作ることですから、人的環境こそが重要で、適正な人的環境と職員を守ることによって確保されるものでなければなりません。福祉の環境が大きく変化していますが、施設に働く職員をどのように守っていくかの方策も模索しなければ担い手そのものがいなくなります。どんなに悪評があってもそれしかなければ依存せざるを得ません。選択肢があればそこに優劣が出来淘汰と言う働きが起きます。入所施設より、低下しているグループホームは、入所施設を淘汰できるとは思えません。ただ障害者が振り回されることになると思うのです。