知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

人権の国フランスのいじめは大人になっても潜在する意識だの話

 フランスでいじめを苦に自殺する生徒らが相次ぎ、学校でのいじめが社会問題化して、事態を重く受けとめたマクロン政権は27日、「いじめに対する断固たる闘い」を宣言し、予防策や加害者への厳罰を定めた「いじめの総合対策」を発表したと報道されました。人権発祥の国などと言われたり、人権外交までしている国でありながら、未成年の学校に人権侵害の原点でもあるような「いじめが」あるというのです。フランス政府によると、フランスで過去3年間にいじめを経験した児童や生徒は約100万人上り、中学校ではいじめ被害に遭う生徒が平均で各学級に2人いると言う事ですが、子供の時代にいじめを経験し体験する子供が多くいるということです。キリスト教は自殺を認めていない国で、首相がいじめを理由に自ら命を絶った人の名前を挙げ、「すべて私たちの失敗だ」と述べながら語りかけるということまであったということです。しかし、その対策は、教育現場と司法の連携強化により学校側からいじめの通報を受けた場合に、司法当局が速やかに捜査に乗り出す体制を整えるということなのです。そこには、人権の国で学校でも人権を教えていながら学校現場では厳罰を導入しなければ人権が守れないということです。死刑は廃止すべきと言いながら結果としていじめであっても罰を与えなければ解決できないものの一つになっているということです。いじめの原点は、差別と偏見による相手の人権侵害による個人攻撃です。いじめが陰湿に行われた場合でも必ず知る人も見る人もいます。ですから当事者たちだけでなく、見て見ぬふりの人を含めるといじめは表出する以上に浅く広がっているものです。それは、厳罰化では解決しないことがすでに定説なのに、いまさらに厳罰化しか方法がないというのは、フランスのいじめの底辺がとても陰険で広がっていることが分かります。それは大人が世界の政治の中でダブルスタンダードで対応している嘘を子供が見ているからでもあります。大人の、建前としての人権そして本音としての偏見と差別感が、子供の時に表れているという事ですし、その感情や感性のままに大人になっていくとも思うのです。フランス人は、決して人権を守る人ではないとも言えます。その原因は移民にあります。フランスが移民を受け入れてきたことは結果として多様化や多民族国家としての体裁を作り上げなければならなかったのにそれを怠ったからです。移民の流入・異宗教の流入、そして多民族国家に移行するには、寛容だけでは成り立たない現実があります。異質のものがあるところには、必ず差別と偏見があります。建前として受け入れた移民が、実態として自分たちより優秀であったり、自分たちの職業や地位を奪うものであったならば、底辺からの大きな抵抗となります。新興国ならともかく長い歴史を持つ白人国家にとっては、乗っ取られていくような感覚は、排他的な敵対心にもなります。低下層民として受け入れたはずの移民や奴隷並みと見下して受け入れたのに、自分たちを追い抜いて社会的位置の逆転が起きるなら敵でしかありません。そんなフランスを見るなら、わかったふりの人権意識で移民を受け入れるより、日本のように移民を拒否する事の方がいいのかもしれません。結果として、経済的豊かさを求める移民は、国の富を侵食する国民としてしか映らなくなるのです。だからいじめが蔓延するのです。子供の時の意識としてのいじめの原因である「差別意識と偏見」は大人になっても残っていきます。まして、考えるのではなく「罰」で鎮静化するのは潜在意識として残るだけでなく加害者が被害者としての意識のまま罰を傷として残す結果にしかなりません。人権で厳罰しかできないことが新しい専制国家の台頭の中で、右翼が支持されることになる遠因でもあると思うのです。人権の曖昧さだけを振り回して後進国と非難しているうちに、自国の人権さえ危うくなっていることを知るべきだと思うと同時に、欧米崇拝の日本人に実態を見せるべきだと思うのです。