知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

人間様の善意は、自然破壊につながっているの話

 人間の善意は、人間社会だけでしか通用しません。対自然の場合には、人間の善意で努力している事なんて自然からするなら余計なお世話、破壊行為だという事が今回も証明されました。報道されたのは、北大などが試算と実地調査結果として長年続けられる「稚魚の放流は生態系を崩すだけで、魚増えない」と言うものでした。人間は、自分たちの生活の為に、河川工事やダム建設などで人間が食べたり釣ったりする川魚の数が減ったとして、子どもたちを招待したりしてアユやヤマメなどの稚魚放流を日本全国の川で行っています。ところが、こうした放流では魚は増えないどころか、長い目で見ると、自然の生態系を破壊して、魚は減ってしまう可能性が高いとする論文なのです。水産庁によると、2018年に日本の河川では、アユ1億800万匹、ヤマメ1000万匹、アマゴ700万匹、イワナ400万匹が放流されているという事ですから、目論見通りなら、川に行けば魚はうようよいるはずですし、水鳥はエサだらけでどんどん増えているはずなのです。一時は農薬使用の田畑からの流水、工場排水、家庭洗剤による界面活性剤などによる汚染がひどく実際に川魚が食卓へ上る状況にはなくなり、一部の観光的なものとなりました。漁業法では、海と比べ魚の数が少ない川の資源を守るため、河川の漁業権を持つ漁協に対して、水産資源の「増殖義務」が課せられていますが、河川管理の厳しい川では、実施しているのは放流だけです。それしか何も出来ていないと言うのが現実で、全国の漁協が放流を長年の「慣例」として増殖義務の証明として行っているのです。しかし、放流に対しては以前から問題が指摘されていたと言われています。サケなどのように川から海へ出てしまう魚の回帰率も高くないだけでなく、川で成長する魚にとって川そのものが、養殖場ではありませんから養える魚の量は限られているという事です。まして自然のバランスで言えば人間の都合の良い種だけが生き延びて繁殖するなんてことはありません。野原に野菜の種を大量にまいているのと同じです。さらに、養殖業者にとってはその川の固有種を繁殖させることは困難なので、繁殖に適している種を大量に生産しますから、その川に合うかなんてことは関係ありません。野生生物は、同じ種でも地域により少しずつ遺伝子が異なるとも言われていますから、国内で養殖されたと言っても結果としては「外来種」を放流しているのと同じ効果にしかならないという事でもあるのです。つまり、野生とは違う遺伝子を持つ稚魚が大量に放流されると、地域の生物多様性が乱される事になるとも言われているのです。単純に考えても、川に養殖のようにエサをまくことは出来ないのですから、放流された種とその他の種で、餌や隠れ場所を巡る競争が激しくなることは当然で大量に放流されるのですから過密状態となり、放流された稚魚の中でも同様に競争が激化するのは当たり前でもあるのです。誰が地図を見ても分かりますが、川の面積は実に小さいのです。よく考えてみればが証明されただけかもしれませんが、放流数が多いほど生き残れる魚の種類も数も低下する傾向がはっきりたしたと言われたのです。逆に言うと、余程魚が住みたい川がたくさんあって、放流された外来魚のような養殖魚でさえも生活できる、余裕のある環境があって、自然では淘汰されただろう魚までもが生きられ、しかも種の間で競争が少ないという状況なんて現在の管理された日本の河川ではありえないという事です。さらに、放流魚は天然魚に比べて生き延びる率が低いとのデータもありますが、実際は、放流がどのくらい効果を発揮しているかは調査などしていないのです。そして、水産庁でさえ、「放流が常に優れた増殖方法ではないことは明らかになっている」と認め、適切な禁漁区を設けて天然魚を維持する方法を提案しているぐらいです。川は、豊かではありません。狭く住める魚の量は限定されているのです。繰り返しますが、野原に人間が作り出した野菜の種をいくら蒔いたって育たない様に、川と言う野原に、放流と言う名の稚魚をどれだけ蒔いても育たないという事が証明されたという事です。でも、稚魚の放流は誰もがほほえましく「いい事だ」と思い善意とされているのです。