知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

無人販売の窃盗被害ネット動画は犯罪者を誘導した罠仕掛け宣伝ではの話

 冷凍餃子の無人販売所を運営する会社が防犯カメラの映像をインターネットに流して怒りを強調したり、肉の無人販売所が同じように窃盗被害現場映像を晒して、犯罪者の画像をテレビにまで流させていることは、案外「宣伝の為」わざとやっているのではと疑われても仕方のない事だと思うのです。それは、商売をしている人が、世の中を善意あふれる社会で万引きなどありえないなんて思っている訳がないのに、テレビのインタビューで怒っているのにはもっと違和感があるのです。盗みは古来から人間社会の犯罪として存在してきたことは誰もが知っている事です。人の物を盗まないは小さい時から延々と諭されている事項でもありますが、現実には延々と続いている犯罪でもあるのです。だから、商売をする人は盗まれない様に店員と言う投資をしています。つまり、通常の商売では防犯費用を払う事で、商品を守っているのです。ところが冷凍餃子屋さんも肉屋さんも何を勘違いしているのか販売と言う商売を行っているのにこの防犯費用を負担しなくてもいいほど善意に溢れた社会だと思っているのです。そんなわけありません。落し物が届けられる社会であると言うのは商売ではないからで、商売として「利益」を求める限り「不利益」に対応するのは商売者の責任で行う事は当然のことです。犯罪として窃盗がある限り商品の防衛は社会の法律と共に自己責任も伴うという事を認識しなければならないと思うのです。近年では、農作物の窃盗がネットに流れている事から同様な被害者感覚になったのかもしれませんが、農作物に対しての生産物管理と商売品としての商品の管理は異なるのです。簡単に言えば、農作物は流通経路がある程度確立していますので販売は簡単ではありません。個人として盗むとしても、成育の状態などが見極められなければ盗んでも価値ある物とはなっていない場合もあります。商品は、既に完成したものですから、自分で食べることも、知人等へ転売しても可能な価値を持っています。又、無人販売と言う方法は、農産物で市場には出荷できないようなものを都市部に近く住宅地の中の農家が、「小遣い稼ぎ」的に発生したもので商売としての範囲ではありません。最近の「道の駅」などの農産物販売は明確な商品としての販売で、それなりの商品として流通させていますから一緒には出来ない事です。さらに人ととしての関係性では、生産者の農家と地域の購入者と言う顔見知りの関係での無人販売で、不特定多数の見知らぬ人を対象とした商品の無人販売ではありません。野菜の無人販売は、冷凍餃子や肉などと違い、販売価格においても、販売総額においても店員の人件費どころか自分が店番する事の方が効率が悪い程度の金額だから無人販売なのです。それでも万引きや窃盗が気になる人は、支払い箱に鍵を付けたり、ロッカー方式で現金を入れると鍵が開くなどの工夫をしています。商品を商売として利益を求めて販売するには、必要経費として商品管理や支払金の管理などに支払うべき負担は当然のことで、それを行わなければ不利益が生じても仕方のない事です。逆に言うなら、相当の価値あるものを無人で置いておくことの方が犯罪を誘導する不適切な行為としか言いようがありません。普通に店員がいたり、自動販売機のように現金を投入しなければ商品が出てこない様に投資しているなら、万引きしようと言う感情など生まれません。しかし、お金もなく腹が減っていれば転売してでも空腹を満たしたい人には魅力的な場所になってしまいます。そんな人を引き寄せるような対応は「罠」を仕掛けて被害者を装って宣伝しているのかと疑われても仕方のない事です。人には「出来心」と言う日常ではやらない事も、環境と条件が整っていると犯罪を犯してしまう事があります。そのような誘導となるような行為を行う事は、本来慎むべきことなのです。それを敢えて行った挙句に、誰も無人では盗難に遭うと想定出来た窃盗が発生した途端にその画像を公開するような行為は、被害者になって商品の宣伝しているのではないかと疑われても仕方がない事だと思うのです。無人販売では、普通に万引きは発生しています。それでも「憐れみ」から不問にしている事でもあることを知るべきだとも思うのです。それが出来ないのなら、誘発行為となる無人販売など行うべきではないと思うのです。