知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

モザイクかけたのでは犯罪防止には役に立たないの話

 ドライブレコーダーや防犯カメラの映像が最近は、テレビで流れることが多くなりました。その中で誰が考えても犯罪だろうと言うような映像までもが、顔にモザイクを入れています。これは、個人の肖像権や犯罪であろうとプライバシー保護と権利を保護すると言う自己規制と忖度によるのですが、本人からの異議申し立てがあれば受けて立つぐらいの気概がないなら放送すべきではないと思うのです。過去には、住民の誰かが昼間もいた時代があって余所者は警戒されたり、「誰かが見ているぞ」の張り紙で犯罪の抑止をしていました。そして、今日では「録画されてるぞ」で犯罪の抑止をしています。モザイクの言い訳に、刑が確定していない場合や、精神疾患がある場合や、未成年者だった場合の保護の義務があるなど色々あるのですが、テレビがそんな大人の対応などと気取っているうちに、既にネットでは流されているなどと言う事が多くなりました。人権を守るという事なら、犯罪になってから晒すよりも、犯罪にならない抑止効果で犯罪者を出さない事の方が重要だと思うのです。実際、防犯カメラは犯罪抑制に非常に効果を上げていますし、検挙にも大きな効果となっています。今では防犯カメラはどこにでもある事を多くの人が知っている事です。知っていて犯罪行為をしているのですから悪質でもあるのです。監視カメラ設置に反対する人より、安心の為に設置を希望する方が増えてきたのは、一人暮らしや近所付き合いの希薄な環境が影響しています。ですから、その映像に犯罪行為が写っていたなら公開すべきです。個人のプライバシー保護の名の元、犯罪者保護に今日では加害者の方が被害者より法的に守られていることがおかしいとも言われています。慎重にすることが加害者を守っている事になっています。未成年保護も障害者保護も犯罪行為を容認するものではありません。また、顔が明確ではなく、類似した人が間違われるなど危惧もいわれますが、中途半端な情報の流し方をするから起きることです。場所や時間を明確にしているなら姿かたちが類似していても明確にアリバイ証明が出来ますから誤認される事などありません。過去の日本の人権に対しての冤罪を含めた警察の在り方や裁判の在り方の中で危惧する人もいますが、テレビのドラマにも出てくる思い込みの刑事のようなことはなくすべきですし、「人間だもの間違いだってある」と言う警察官や検察官、裁判官を処罰する法律を整備すればいいだけです。冤罪は万が一にもあってはならないのです。間違えたなら、刑事だろうと検察だろうと裁判官だろうと罰を受けるべきなのです。社会には1件も不備が許されない事は沢山あります。例えば、原子力、医学、教育。食品製造でも加害者にならない努力が続けられています。にもかかわらず、行政官の責任追及がなされない事を良い事に、裁判官や警察は謝罪どころか責任をとるという事がありません。特に、裁判官の誤審判は断罪されるべきなのです。一件一件人生が掛かっているのですから、裁判官としての死活を掛けて行うべきなのです。それだけの志がないから、冤罪は起きるのです。テレビなどの制作会社が製造するものは、明確に意志があって真実ではない事の方が多くありますが、偶然防犯カメラに映った映像はモザイクなどの加工することなく実写を放送すべきだと思うのです。犯罪摘発として映像を公開するという事を前提とするなら、犯罪については裁判で決めると言うルール違反となりますが、問題提起の資料としての具体例として提示する事は何ら問題のない事です。すると、当事者の承諾がないと言われますが、事故映像を含めて当事者の承諾なしに報道されている映像などいくらでもあって、訴えられると言う事例で判断基準を考えていけばいい事です。つまり、勝手な自己規制や加工修正などせずに、これは犯罪ではないかと言う摘発更衣としてではなく、問題提起の事例として流すべきだと思うのです。煽り運転の挙句に、降りてきて怒鳴っているような人間の顔をモザイクにする必要があるとは思えません。当人に言うべきことは、自分が正しいと思うなら「名を名乗れ」と言うべきです。そして、晒されていやなら二度としなければいいだけの事なのです。安心を守る為に防犯カメラが役立っているように放送は、犯罪防止に役立つ放送をすべきです。