知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

外交なんて復讐法の実践の話

 外交では、自国の外交官がスパイの疑いで国外退去となると、その同数の相手国の外交官を国外退去にすると言うのが普通のやり方です。「やられたら倍返し」なんてことはなく意外と同等の対応をすると言うものですが、それが復讐法そのものなのです。つまり、外交は、復讐法の如く対抗して相手より少しでも力が大きいとみると、脅しや脅迫まがいの態度で友好国にとって不利益でも自国の利益さえ守れればいいと言うものでもあります。ですから、力が均等でない時は一方的にやられてしまいます。例えば、経済封鎖とか経済制裁なんてことは、「困らせて言うことを聞かせようと言う」古くからの制裁法以外の何物でもありません。村八分にして懲らしめようと言う目論見です。外交などと格好つけてもやっている事は自国の利益の為に相手を威嚇したり脅したり最後は力任せに言うことをきかせるというのが外交の心髄でしかありません。日本は外交力が弱いという事が聞かれますがそれは、「やられたらやり返す」だけの手段を持っていないと言うだけです。平和外交などと良いように言っても軍事的にも経済的にも圧倒的に強くないので誰も言う事など聞いてくれないから弱腰と非難されるのを恐れて平和外交と言っいるに過ぎません。ですから、平和外交の成果なんて佐藤栄作氏がノーベル平和賞を取ったにもかかわらず国民が熱狂せずなんでと言う疑問を抱いただけで終了してしまったことでもわかります。外交は、自国に有利でなければ喧嘩を売ったって当然と言うのが世界の常識です。戦力が不足するなら経済、経済が不足するなら、貧者の脅しが大事です。とにかく、相手国の弱みを探り当てられないなら「なめられている」と思われるような状態になるのです。法治と言うのは人間社会の論理で真理ではありません。悪法も法と言うように法そのものが強いものに有利に出来ています。例えば国連の安全保障理事会の「拒否権」なんて差別そのものです。でも一回握ったなら「法治」の名のもと利権を放棄する事も改善する事もありません。復讐法として有名なのは、ハンムラビ法典ですが、この法典には「倍返し」はありません。「目には目を、歯には歯を」とは、それしか駄目だと言う制限法でもあります。復讐が倍々に成ったら集団としての損失が大きくなることに配慮したもので感情的になっても、一人殺されたら、一人しか殺せないという事で、復讐によって出来る連鎖の停止でもあります。それが誤解される原因となったのがキリスト教の二枚舌です。ここで有名なのが右のほほを殴られたら左のほほを出せと言う旧約新書マタイ伝5章38~40節の記述にあります。「目には目を、歯には歯をといえることあるを聞けり。されど、汝らに告ぐ。悪しき者に手向かうな。人もし右の頬をうたば左を向けよ。」という事で批判しているのですがでも条件として「悪人には手向かってはならない」と言っているのに、キリスト教徒は、「復讐を肯定」するユダヤ教とは違い「罪を許す」愛の宗教であると誇大宣伝して、ハンムラビ法典は復讐法だと誤認させたのです。ところがテレビの影響もあって、現代では「やられたら、倍返しの勢いで復讐する」に使われたりしてしまっているだけなのです。現代でもキリスト教を標榜する国はあっても、外交では基本「やられたらやり返す」が普通です。ですから、日本の国力では外国に「やり返される」危険があってとても強いこと等言えないという事なのです。例えば国後・択捉などの四島だってソビエトの偉い人が沖縄返還後平和条約後に返すと言ったのですから約束不履行で抗議すればいいし世界の法治に訴えなければならないのにいつも低姿勢で相手の様子ばかり伺っているのです。竹島尖閣なども揉めると外交では対応できないから上段の構えにしないのです。法治国家と標榜する国は、ハンムラビ法典のような野蛮な「復讐法」など使用しませんと国内では否定していますが、外交では主流の手段だという事は世界の常識です。だから、日本の外務省は何もできないし、相手の好意を待っているだけなのです。それほど日本には外交なんて軽いのです。