知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

朝日新聞の歴史観は浅く独自に薄いの話

 朝日新聞の「日曜に想う」は、「様々な題材をより深く掘り下げ、独自の視点で時代を読み解きます」と言うのがスタイルなのですが、2月の「鎌倉幕府に外交がなかった」と言う記事は、教科書としてのレベルより低い内容としか思えないほど深い掘り下げなどなく独自の視点もないものでした。それは、歴史から読み解くではなく、一人の著者の本の宣伝でもしているかのような取り上げ方で書かれており、書評として掲載するなら居直ってもいいか程度のものだったからです。特に現代の基準で歴史上の国や外交を非難する事は、初歩としての歴史を知らないという事になるからです。例えて言うなら、まだジャガイモがヨーロッパに伝わる前の時代の飢饉にじゃがいもを食べたらと言うような事ですし、鉄製武器がない国に製鉄を早く学べばよかったのにと評価しているのと似ているからです。さらに、歴史と言ったってその時代その時に起きた事のほんの少ししか残されていない資料のさらに一部しか分かっていないことから推論しているにすぎない事が多すぎるからです。日本で言うなら太平洋戦争という数10年前の事でさえ全面的に解明されたわけではありません。まして記録と言うものが重要だと認識されていない時代には個人の日記であっても残された資料として照合するために論議となる事さえあります。つまり、古い時代など断片が残っていればいい方で、推測するしかないような事ばかりがあると言うのが歴史です。特に政と言うものは、その時、その時代の、情勢とその条件の中で最良と思う判断をしているのであってその後の結果が良かったか良くなかったと言う評価は出来ません。歴史は勝者と敗者として成り立っているのではなく止まる事のない時間の経過の中で人間が何をしてきたかの一部を知ることが出来るという事にすぎません。歴史と言う事を鎌倉時代どころか江戸時代の人々であっても一部の人を除いて学ぶことも意識する事も出来なかったことだという事さえ朝日新聞の記者は分かっていないのです。ですから、過ぎ去った時間の中身を知ることが出来た事でその結果を評価したり、非難するなんてことは傲慢とも言えることです。歴史には「もしも」がないと言われるように、歴史から学ぶことは出来ても、非難すること等何の意味もありません。この担当者は、「元」からの使者が何度も来ているのに殺してしまうような事をしたから、話し合いである外交がなかったから「元」に攻められ鎌倉幕府が倒れる原因の一つにもなったとし、鎌倉幕府が外交という事が出来たのなら「元寇」も防げたのではないかと妄想しています。そして、今日の日本の外交に転じて論じようとするのですが、そもそも、「元」が台頭する頃の世界情勢の中での「国」と言う認識や「国の外交」などと言う認識はどこにもありません。「元」そのものも連合国家ですし、日本でも中央集権国家ではありません。また、「南宋」との交易があった日本では、「南宋」と「フビライ・ハン」の戦いも見ています。そして朝鮮の「高麗」はまさに外交を真剣に行った挙句に冊封体制に組み込まれていく過程も見ています。鎌倉幕府でもちゃんと見るべきことは見ていますが、力関係が明確な当時にあっては出来ることなど多くはなかったのです。ただ一冊の本を読んでその説に感銘する事は普通ですから個人の意見として述べるならそれもいいでしょうが、朝日新聞と言う看板を背負って発信するのは傲慢としか言いようがありません。また、外交使節は命がけで行くという事が通常だったことも歴史上は普通です。今のように歓待されることなく暗殺されたと言うのも特別な事ではありませんでした。この記事を掲載すると判断した朝日新聞歴史観は、本当に浅く軽いと感じるものでした。