知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

誉めて、励まして、慰めたって辞めてやるの話

 辞めないでいてくれることに感謝の時代になってきました。過去には、奮起させる意味で「辞めてしまえ」と言うことがありましたが、今どき、それを言ったら「はい、さようなら」としかなりません。どこの職場でも人材育成と言いますが、今どきは仕事で失敗をしたときに原因を尋ねると、「教え方が悪くてわからなかった」と言われてしまうような職員がいても不思議ではない時代になりました。育成の前段階で既に辞めようかなと思っている職員に何を育成したいのか分かりませんが事業所に都合のいい人材の育成なんて今日ないという事を知らなければなりません。先輩とか上司からの先生と生徒的な教え方を中心とした育成方法は崩れてお友達感覚の育成方法でさえ、育成すると言う感覚では親の心子知らずと言うことわざの時代に入りました。さらに、蓄積と言う感覚も薄れて、職場の即戦力要求は必要な水準さえ求めない数合わせのような現場の保険のような時代にもなりました。ですから、過去であれは一人前の口を利くのは3年早いなどと揶揄されたりした雰囲気はもうありません。今は、就労して1週間も仕事をしただけで、上司を非難しますし、事業所の文句も言いますし、同僚への愚痴も平然と口にするような職員でも抱えなければならないほどに切迫しています。非難も文句も愚痴もまとめて反論できますが、それを言い出すと辞めますという時代で対話を求めているのではなく、言いたいだけなのです。だからと言って褒めたところで何もしませんし、伸びしろを感じることもないと感じているのが本音でもあると思うのです。今では、あそこが悪い、あのやり方は変だ、私は話を聞いていない、みんなが言っているぐらいの言い訳は新任職員でも言い出します。ではあなたは何ができますかとなると、「止まれ」です。辞めたい職員は、言いたくて、聞いてくれ上司を待っているのですが、逆に上司は、みんな忙しくて、なかなかチャンスが来ません。すると、辞めます。忙しい上司も時間を空けて君が必要だと話さざるを得なくなるのです。「私褒められて伸びるタイプです」と本人から宣言される時代ですから軽率に褒めたとしてもなんら問題もないほど誉め言葉も軽くなりました。そして、褒めても何も努力はしないし、褒めるところが何もない人まで褒めなければならない時代でもあるのです。そんな部下が多くなっても、中間管理者は増え続ける仕事を処理しなければならないので、ついつい怒鳴ったりしてしまうとパワハラだと逆に攻撃されてしまいます。頑張っている重要な中間管理職の支柱が折れかかるのもそんな場面が増え続けているからでもあります。職務上では大嫌いなやつでも猫の手より利用できると割り切って、辞めさせなくてもいつでも辞めるやつだから使えるだけ使えと打算に切り替えて、我慢に我慢を重ねても、結局自分の仕事は増えても任せられない部下の尻ぬぐいをしていると疲れ切ってしまいます。辞めたい職員の履歴を見ると、辞めて次にレベルアップしているわけでもなく、辞め慣れしているのかなと感じることもあります。確かに、就職情報は溢れていて、ウインドーと見た目は、おいしそうに見えるものがずらりと並んでいますが、ご案内通りのはずがありません。人が不足している職場がアピールしている内容と、自分がアピールして職場に向かう内容の差は大きくて、就職すれば本人が期待するものが準備されているなんてことはない事を知るべきですが、結局は、前の方が良かったと感じるからまた辞めたくなるのです。ある人は「もう、あの人とは一緒にやれない」と辞める理由を言いましたが、「あんたあの人と、どれだけ、どんなことを一緒にやったの」と聞きたくなるほどの接点しかない上司との関係を辞める理由に言い出す人もいます。就労して1年も満たないあなたに、上司を選択するほどの人生観あるのかと問いたいぐらいです。職場は、ついていきたいと思う上司に簡単に出会えるほどドラマチックではありませんし、そんな情で務めるところでもありません。お互いに冷めた労務関係の中で、有益ならば続ければいいし、不利益ならば辞めればいい程度の関係の中で就労と離職を繰り返しているあなたが軽々しく「ついていけない」と言ったら「ついて来るな」と言い返されるような評価だという事の自覚もありません。日本の職場は本当に大きく変わりました。務めることよりも辞めることがとても軽い時代になりました。