知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

住民の面倒くさいが危険を温存しているの話

神奈川県逗子市のJR横須賀線逗子駅から約300メートル東にある「山の根踏切」が、20日に廃止された。生活道路として使えなくなることなどに不満を持つ近隣住民が反対していたが、死亡事故が起きたこともあり、設置者のJR東日本は安全を優先させた。と言う記事がありました。記事では、踏切は約35メートルあるのに、遮断機も警報機も設置されていないと言うのです。ただ、踏切は近隣住民にとって京急線逗子・葉山駅や市役所に行く際に使う生活道路で、廃止されると逗子駅近くの踏切まで遠回りする事となると言う事で、逗子市に廃止反対を求める署名も提出したという事です。ここで、知らなかった踏切についてですが、踏切には第一種踏切から第四種踏切まで分類されているそうです。第一種踏切は、警報機と遮断機がついているもので、全国に約3万4千ある踏切のうち9割弱の約3万箇所だと言う事です。第二種というのは、決められた時間だけ踏切保安係が遮断機を操作する踏切、いわゆる有人踏切で、現在は一つも無いそうです。第三種踏切は、警報機はあっても遮断器がない踏切で全国に約760ありますが、ほぼローカル線と呼ばれる地方を走る鉄道で、交差する道路が地元の方しか通らないような狭い道であることが多いそうです。そして、第四種踏切は、警報機も遮断器もない踏切の事で「とまれみよ」の注意書きの上に、黄色と黒の虎模様になっている×印踏切警標がある踏切で全国に3千弱あるそうで、ほぼ町中から外れた小さな踏切で、車が通れないほど狭い道が横切っていて地元の方がごくたまに利用するだけというものがほとんどだそうです。廃止となった「山の根踏切」は第四種ですが駅が発展したことで危険な踏切になったと思われます。一方、2013年1月に小学生が秩父鉄道の踏切で亡くなり、同じ踏切で4年前にも小学生が亡くなっているのに住民の反対で廃止となっていない踏切が行田市にはあるという事です。行田市は、小学生の死亡事故が2度も起きた踏切を、廃止しようとしたところ、踏切を利用する方からの要望が多く廃止できなかったと言います。死んだのは子供ですから、この踏切の近くに住んでいたでしょうし、その子を知っているだろ地域の人間がいるにも関わらず、子供の命より自分達の利便性が優先されています。しかも踏切は自分たちの所有でもないし管理しているのでもないのです。この様な状況は既得権の乱用と言うべきだと思うのです。危険な踏切と評価されても、既得権の様に考えている人たちは、電車が来れば通行しなければいいし、自分は危険とは思っていないと言う感覚だと思うのです。子供は視野も狭いし何かに夢中になると突然の行動や飛び出しなどがあるという常識よりも自分はちゃんとやっているから安全だと言い出す自分の利益が優先される人達だと思うのです。つまり、自分の感覚ではなく、子供の感性や老人の行動などを勘案して危険か危険ではないかを考えるのではなく、自分は出来ているから大丈夫だと言う事だと思うのです。この様な考えに立つと、結果としてそこは危険な場所ではなく、死んだ子供の不注意が原因という事になり、危険な踏切を子供が使用したから死亡事故が発生したのだとはなりません。自分の感覚で大丈夫だから危険とは言えないと言うのは社会では確かによくある言い分です。しかし、今日では、機械製造を含めた製造生産者が、誰が利用しても安全に使用できる事を原則として、利用した人の不注意だと言い切るよう事は出来ません。ですから、誰もが自由に利用できるものは、最も不注意な人でも安全が確保できるのはどうしたらよいかを考えるべき時代に入っているとも言えます。まして、この踏切を設置した当時の人はこんなことは想定できない状況だったでしょうから、公道としての踏切は、鉄道会社や行政の判断で安全確認をすべきだし、危険となれば既得権的な住民の意見を優先すべきではないと思うのです。2002年に施行された「鉄道に関する技術上の基準を定める省令」の第39条には鉄道は、道路と平面交差してはならないと書かれていて原則踏切は違法なのです。しかし、日本は、既得権的内容に対して寛容で、踏切は違法な施設ですが、過去に設置された踏切は黙認と言う形で認めています。新幹線を含めて新しく建設される路線はすべて立体交差で作られているので踏切事故はありません。ですから、法律的にも、住民の反対は既得権を盾にした違法を延長させているだけの事と言えます。現実には、開かずの踏切などと言われるような都会の踏切は、立体交差に変わっています。立体交差は、多大な費用が掛かることから費用対効果で1時間に1本の電車も通らないローカル線の踏切迄立体交差にしろとの要求はありません。次の踏切迄何キロも歩いて遠回りしなければならないローカル線の地域の踏切まで閉鎖しろとは誰も言わないと思うのです。しかし、人が死んでも既得権を盾にするような考え方の人達の反対にあって危険なのに廃止しも出来ない住民の利便性は、ただの面倒くさいでしかないと思うのです。