知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

座敷牢から施設牢なんて管理者辞めろの話

「埼玉、新潟、広島、兵庫各県の公的な知的障害者施設で、一部の入所者を1日20時間以上、外側から施錠した部屋に閉じ込める対応が常態化していることが23日、共同通信の全国調査で分かった。いずれも県立施設や県の外郭団体である社会福祉事業団の運営施設。広島では24時間施錠という人がいるほか、埼玉、新潟、兵庫では長時間の施錠が10年以上続いている例が見られた。『強度の行動障害のため自傷や他害行為があり、安全面からやむを得ないなどと説明している』が障害者を1日23時間閉じ込め、『安全のため』は本当か?」と言う記事が掲載されました。ここで重要な視点は、福祉施設においては誰が利用者を守るかということだと思うのです。入所施設では家族の目が行き届くことはありませんし、現場では何が起きるかは分かりません。障害があって真実を述べられない施設に暮らす利用者の権利と利益を一体誰が守るかということです。どんな目的でどんな人を入所させているのか知っていて現場を指揮しているのは、高い給与を貰っている管理職だと思うのです。現場は、人間同士の営みですから、感情的なアクシデントは多様な形で起きます。それを小さなうちに把握し解決しておくのが施設の管理者の重要な役目だとも思うのです。例えば、生活支援で職員が利用者を注意することは、次には𠮟責になり、次には怒鳴り声にと拡大ないしは激化すると仮定するのは普通ですから、管理者は職員の利用者に対する態度が傲慢にならないように敏感でなければなりません。そうでなければ、利用者の利益を守ることは出来ません。本来は、管理者自身が、個別にちゃんと利用者に会っていれば、長時間拘束されているということなど即座にわかることですし、そんなことは既に虐待になることを職員に指導しているなら、職員もどうすべきかについて問題提起し施設としての課題として検討されているはずです。管理者が利用者の生活の場を巡回、個人面談、聴取をきちんと行っていれば、どんなに重度で言語がなくてもその生活の雰囲気がわかります。服装が乱れて居たり、居室の環境がどうであるかを把握していたなら、管理者としてどんな生活か想像できますし、管理者が巡回しているなら職員の不適切な言動に出会う事も偶然あって注意する事も出来ます。そういった緊張感が施設にあれば、職員も簡単に利用者を閉じ込めておけばいいなどと言う対応などしません。例え利用者が攻撃的な人であっても、簡単に感情が高ぶったからと手を出すことはしません。しかし、何かの機会に手を出したことの振り返りを管理者が対応しないと、後は興奮しなくても手を出すことに対する後ろめたさがなくなっていきます。施設のどんな虐待行為も、初期の段階で管理者が受け止め対応しているなら大事にはならないと思うのです。現場任せで放置するから起きるのだと思うのです。私が言うのは、長時間拘束しているという事実は、虐待に対して鈍感だからできることで、その鈍感な感性を育成したのは管理者の言動であり仕事ぶりだと思うのです。この長時間閉じ込めは、実行していたのは職員ですから加害者は職員ですが、そんな職員を育成している管理者こそ問題だと思うのです。障害が重く家庭にいたときは座敷牢のような生活をしていた人を、支援サービス施設の牢に入れるなんてことを管理者が容認しなければ実現しない事ですだと思うのです。そして、このような新聞報道があっても施設牢を続いているような管理者は辞めさせるべきだと思うのです。障害者を飯の種にして公務員として高給を食むべきではないと思うのです。

ニチガスの高飛車な商法の話

 既に数年も前に死亡し遺族が財産整理を終了出来たので、相続した方から家屋を購入しました。購入後1年ぐらいは倉庫的に使用していたのですが、生活できるようにしようとガスの開通をすることにしました。すでに、電気も水道も使用していましたから、普段付き合いのあるガス会社に開通して欲しい旨を依頼したのですが、返ってきた返事が、故人の利用していたニチガスから登記簿謄本が故人の名前のままなので出来ないと言われて出来ないと言ってきました。早速、ニチガスに既に登記もしているし付き合いのあるガス屋でお願いするのは、こっちの勝手でしょうと抗議の電話を入れました。すると電話口に出たニチガスの担当者の主張は、「今日ではネットで登記簿謄本が確認できる。確認したが、登記簿謄本が変わっていないので出来ない」と言い張るのです。土地建物の売買でもない、ガスの使用で登記簿謄本まで持ち出してきたのにも呆れましたが、そんなことを言うのならガスは定期点検の機会もあるのですから何でこの数年1立方cmも使用されていないのかニチガスが普通に確認すべきだと思うのです。確認しているなら死亡も分かるだろうし、その後どうなっているのかも理解できるはずです。自分たちの縄張りだと主張するならちゃんと基礎的なことぐらい調査確認しておくべきです。そして、新規契約者に対して高飛車に資格がないかのような事を言うべきではないと思うのです。営業として継続して欲しいと言われるのなら、理解はできますが、登記簿謄本が変わっていないから駄目だなんて、そんな業界のルールの方が正されるべきだと思うのです。中古住宅の購入者が過去の契約に拘束されるなんてことがまかり通りガス会社を選べないなんてとんでもない話で不当な扱いとしか言いようがありません。所有者と使用者が違う事などいくらでもあります。しかも、全くの新設新規の場合には、ガスを設置する時に登記簿謄本など必要としていません。ニチガスの担当者は、ネットの登記簿謄本が変わっていないので出来ませんの一点張り。では聞くが、「数年間使用ゼロなのになぜ調べに来ないんだ。ほったらかしておいて変更になった途端に高飛車に登記簿謄本の変更がされていないとはどういうことだ」と迫るとそれには答えないのです。過去にガス会社の過当競争や顧客の取り合いが問題となって1週間ルールとかいろいろあるのは知っていましたが、数年以上もほっておいてライフラインと言われる生活の基本のガスがガス会社の縄張りでまるで権利があるかの如く主張する事に腹が立ってきました。一度設置できれば業界ルールで、変更したくても出来ないような権利が会社に発生するなんてことの方が可笑しい事など誰でもわかります。ガスは公共でありながら、単価はガス会社が決められます。それだけに大家と賃貸者でガス会社の事が揉めるという事もあります。しかし、何年も使用していなければ器具の老朽化を含めて確認していたなら、その家の置かれている状況は確認できたし、田舎なのですから、次に住む人、所有する人を地域の人に聞いたってわかります。法務局のネットの登記簿謄本の更新がどれぐらいの期間で為されているか分かりませんが、適正な売買で、法人専属の行政書士が完了したと報告されている土地家屋のガス設置でこんな対応がされるなんて思いもよりませんでした。ニチガスの対応・態度には、ネットの情報は確かに溢れていて便利ですから机の上でも仕事が出来ると過信していると情報更新の遅れが営業に影響しますよとまず忠告した上で、どんなにネットが発達しても、現場確認は重要で、ネット情報とは全く違う視野がある事をニチガスに教えたいと思うのです。そして、ガス会社同士のどんな取り決めよりも、自由にガス会社を選ぶ権利は、客にある事を再教育すべきだと思うのです。この時思ったのは、新規事業計画があって新設の建物を作っても絶対にニチガスにはしたくないと感じたほどの営業担当者の口ぶりと態度でした。 

 

狸が聞いている公務員のご都合の話

  猫より大きい痩せてるなと思う動物がゆっくり歩いているのでよくよく見ると狸の顔をしているのです。昼間っから狸がエサ探しなどしませんから変だなと思い、さらに近づいて見ると、疥癬で毛が抜けて一部の肌が見えている子狸の様なのです。夜行性の狸が人が寄って行ってもすぐに逃げ出さないのは、目や感覚器もやられ始めているのかなと感じて何とかしなければと、まずは、保健所に電話をしました。昔は野犬対応などしていたと思っていたのですが、今は役所だと言われ、役所に電話すると、役所の中でたらい回しにされて、4か所の電話番号を教えられ、そのたびに始めから説明の繰り返し。やっと係に繋がったら、係が云うのは、所在が確認できているなら捕獲に行きますが、今確認できていないなら無理ですと言われ野生の動物を捕獲が来るまでずっと監視続けられないので諦めました。それから4日後の祭日の金曜日に狸が現れたので、背負い籠をかぶせて捕獲、再び担当の部署の携帯電話に連絡すると、全く出ません。24時間対応の区役所へ電話して事情を話すと、休日対応の警備員へ。引き下がらず話すと次の部署へ、そして、今日は祭日なので土・日後の月曜日まで待てと言い出します。野生の動物捕獲に、役所の捕獲係が来るまで監視していなければだめと言われたから、捕獲したのに今度は、休日だから来ないと言い出します。しかも、祭日の金曜日。月曜日に来ると言うなら、3日間飼育しろといっているのと同じと抗議すると、人を集めないと出来ないのでと言う。捕獲している狸1匹、一体何人必要なのかと不思議に思いながらに待っていると、二人の捕獲員がやってきました。ぶっきらぼうでご機嫌の悪い二人は、さっそく捕獲した後で、「今日は休日で、何とか人が集められたからいいけれど集められない場合もある。動物の疥癬は人にうつらないし、病気なのだからほっておいても死ぬから捕獲しなくていい」という事をわざわざ捨て台詞のように言い出すのです。思わず、人家のそばで野生動物が病気で死んで、それをカラスや猫がついばんで、他に伝染性の病気を持っていたらどうするんですかと問うと、ただただ、休日に人を集めることは難しい事しか言わないから衛生管理や野生動物相手に何を言っているのかと腹が立ってきました。公務員としては、発見の通報だけなら休み明けまで待てと言えたのに、捕獲なんてしたから無理やり集められて捕獲に来なければならなかったことが、余程不満なんだとしか思えない態度を取り続けます。人間の休日に合わせて野生動物は暮らしていないし、北海道の鳥インフルで狐が死んだように、新型コロナウィルスだって動物から人間に感染したものだと言う事を考えれば、野生動物の中で感染症が広がらないようにするのも一つの大事な感染症予防だと思うのです。でも、祭日に呼び出された二人にとっては、捕獲なんて余計な事をしなければ来なくて済んだのにと言う思いしかないんだという事しか感じられないのです。野生動物の捕獲や飼育は原則一般人には禁止されている事からすれば、公的機関は、それこそ年中無休の体制を整えて、気持ちよく対応していかないと、自由に移動し、街中に表れたならもっと大騒ぎになると思うのです。もしこれが夏で、スズメバチの巣が見つかったりしたなら、結局すぐやらなければ被害が出てしまうと対応せざるを得ないなどがあるのですから、24時間とは言わないまでも野生に対する対応は、昼間ぐらいは何時でも対応する位の体制が必要だと思うのです。捕獲で首絞められぐったりした子ダヌキは檻の中でどうでもいいやり取りを聞きながら、祭日なんだから来なければいいのに、公務員ちゃんと休めと思っていたのかもしれません。

 

 

 

 

 

「みんなやっている」でもそれは割り込みと言うんだの話

    地方都市の遊園地に行った。一周45秒のジェットコースターは2周回ってくれる。ちょっとお得な感じですがジェットコースターとしては簡単なものですから一周ではなーんだと言うがっかり感が強いからやっているとしか思えないのですが、意外と人気で列が出来てしまうのです。8両編成16人乗りですから単純計算では、乗るのに2分、起動して1分半、降りるのに1分で、今は消毒に2分、約6分で16人ですから、4回分でも60人近くが待っていたとしても20分から30分程度で、乗車できると言う感じです。さて、次は乗車だなと分かる順位になった時に、すぐ前で一人で並んでいた女性に、ロープの外にいた女性が話しだします。しばらくするとロープを上げて入り込むのです。それって割り込みじゃないのと思っていると、前の二人がもうすぐ来る、早く来ないと、と言っているうちに5歳ぐらいの子供二人が走ってロープを潜って前に並ぶのです。流石にそれっておかしくないですかと言うと高齢の女性が「みんなやっている」と居直るような捨て台詞を言って無視するように背中を向けました。事情が分からない子供たちはこのじいさんはなんだとこっちを見ていたので、「これって横入りだよ」と子供に投げかけれと、母親なんだろう若い女性が何か言い出すので、無視する高齢の女性の背中に向けて「横入りに間違いないだろう」と投げかけると、振り向きながら、「もう帰る」と叫んで二人の子供を連れて出て行きます。順番待ちを高齢女性にさせて他の遊具でぎりぎりまで遊んでいる間見ていたのだろう高齢の男が子供の後からやってきたのと遭遇すると、大声で何やら説明を受けると高齢の男がこっちに向けて叫び出します。何を言っているのかわからないから、睨み返すと、既に子供を連れて高齢の女性は去り、若い女性が高齢の男をなだめて居ます。こっちは連れだけをジェットコースターに乗せて、乗り込み口から降りていくと、高齢の男が何か叫んでいます。こっちも「割り込みなんかするな」とばかりに反応すると、男は興奮し威嚇してきます。「受けて立つ誰でも呼んで来い」ぐらいに言うと、若い女性が、こっちに向かって「私が悪かったんです」と言いながら男に「もうやめて」と言っています。そんなところへ子供二人を誰かに預けてきたのか高齢の女性が戻ってきて、いきなり激高して叫び始めます。するとさっきまで騒いでいた男が、立ちふさがって止めさせています。結局若い女性の「もう やめて」だけが大きく聞こえる中、三人は去っていきました。推測できることは、祖母が、列に並んで番取りをして母親が先に来て合流ぎりぎりまで子供たちは、祖父と他の遊具で遊ぶと言う効率いい連携プレーで、待ち時間なしの対応をして孫に提供していたんだと思うのです。登場しなかった父親に祖母は、子供を渡して再度現れたという事だと思うのです。この言い合いは、係員の2mも離れていないところで起きているのに係員は一言も言いません。周囲の人もだんまりです。そして、何事もなかったかのようにジェットコースターは運行され、列は常に15分から20分待ちで続いているのです。例えば、祖母が抜けて母親と交代しただけなら増減ゼロですから許容範囲と言えます。子供たちが待ちきれない障害があって列からはみ出て出入りした居たのならそれは並んでいる間に存在が認識されます。祖母が、すみませんと理解を求められたら折れていたかもしれません。しかし、祖母の放った言葉は「みんなやっている」です。そう、こんな割込みは、学生がバスに並んでいる列の前方に友人がいたなら話しかけながら列に割り込むことと同じで、みんなやっているのです。でも、それは「ずるい」と言われる事でもあるのです。みんながやっているという事を言い訳にして「黙って並んでいる人が声を上げないから同意しているのではない」事が分かっていません。田舎のルールでみんなやっていてもいいけれど、孫を連れてディズニーランドでもあなたは出来ますかと問いたい。孫にとっては教育の一つですよと言いたい。70台前後の老人は、我儘な人が多くて「ずる」することを否定しません。それは、時代背景として椅子取りゲームのような環境があり「ずる」してでせも椅子を取った方がましだと言う生活をしてきた世代でもあるからです。ですからこの世代の感覚では、遊園地では乗り物に乗らなければ元が取れないと言う感覚もあるのです。時間を楽しむために遊具もあると言う感覚ではないのです。普通に並んでいた若い家族は、何やら子供と会話を楽しんでいましたし、小学生の女の子のグループは手遊びなどをずっと楽しんでいましたが、それは非常に効率が悪い事でそんなことをしていたら全部の遊具に乗れないかもしれない。フリーパス券が無駄になると言う感覚から、誰かが代表となってたった一人で順番待ちをして効率よく乗物に乗ることが優先されるのです。遊園地で待ち時間がある事がストレスで仕方がない世代と、遊園地では待ち時間もわくわくでリラックスできる世代には大きな違いがあるのです。つまり、リフレッシュするために行く遊園地で順番待ちストレスとしか感じない人は行くべきではないのです。孫二人をジジババが抱っこしたり菓子を食べながら待つのも遊園地の楽しみの一つと感じられず、分担で一人で順番を取り、孫は遊具に乗ったら次の遊具へならジジババは係員と変わりません。楽しむと言う遊園地で遊具に待ち時間なしで乗る事しか考えられない世代は、横入りであろうと割り込みであろうと平気なのですが、孫にしてみれば、ジジババと遊園地で楽しんだと言う思い出にはならないと思うのです。

 

上野駅 で手配師に出会ったころの待合室の話  

 もう、50年も前の頃田舎から出てきた私は、上野駅を利用しました。その頃の駅にはどこにでも待合室と言う一角と椅子が並んでいました。列車の時間までの短時間を休んでいる人もいましたが大きな荷物を置いてゆっくりと休んでいる人もいました。そんな待合室の椅子に座ってのんびりしていると「あんちゃん、いい仕事あるよ」と手配師達に何度も声かけられたものです。もう、手配師なんて言葉も通じない時代に入りました。同じようにこの頃は、飯場や土方、ヨイトマケなんて言葉が日常生活にありました。学歴もない、知人もいない、住所もない、そんな人に、日雇い仕事を紹介しピンハネしていたのが手配師でその手配師からピンハネしていたのがヤクザで、ヤクザの縄張りとはそう言った収入源となる所でしたから手配師とトラブルを起こせばヤクザ屋さんが出てくるという事でもありました。ピンハネのピンとは1と言う事で、俗に一割以上取られると言った意味で、毎日現金払いの日雇いの日当から最低でも1割以上が紹介料として取られてしまうという事です。手配師が紹介する仕事は、土方と言われ、市内の建築現場ならまあまあで、飯場送りともなると少し大変です。飯場と言うのは、建築現場が山の中でダムだとか橋だとかになるので工事期間中の宿舎と食事がセットとされている住み込み生活となる場合が多いからです。人身売買と言うと、売春の女性と思われますが、案外労働力としての男の人身売買が多かったのもこの頃ですし、飯場送りに人身売買があったのも事実です。当時の建設現場には、重機の普及が遅れていて、スコップで穴を掘る、一輪車で生コンを運ぶ時代でしたから、大量の人力が必要でした。その一方労働環境は最悪で事故も多くありましたから、普通の人は避けたい仕事の場に手配師が送り込むのです。その為社会のアウトロー的な犯罪者や夜逃げ者、曰くつきの男たちが底辺から掻き集められていたという事でもあります。他にも債務者の返済手段としての逃げ出せない遠洋漁業に従事させるという事もあって、手配師が人買い(人身売買)とも言われることもありました。手配師は、新人には作業着から靴までそろえてすぐに作業できる支度までしてくれますが実はそれがすべて借金として計上され、高利が課されて、働いても働いても元本も返せないような仕組みになっている事もしばしばありました。飯場では、自由に買い物も出来ない拘束されたような環境の中で、日用品からタバコ・酒まで用意してくれるのですが売価は通常の数倍の物を買わされて働くほど借金が増えるという事もありました。プレハブのような住宅に、隔壁もなく、二十畳、三十畳くらいの大部屋に布団を引いて雑魚寝でした。だいたいは一階部分に食事できる場所があり二階で寝るようになっていました。東北などの出稼ぎは、毎年同じ会社で働くとか、同郷の者が集まっているとかなので、はぐれ物でないと手配師の世話にはならなかったようです。「ヨイトマケ」と言う言葉は、かつて建設機械が普及していなかった時代に、建物の基礎となる部分の土地を突き固めると言う作業で、重い鉄や石を滑車で上げて落とすと言うときの上げる作業でみんなで綱を引くときの掛け声でした。ですから、ただ引けばいいのですから技能も能力も必要ではなく、ヨイトマケと呼ばれた労働者の多くは、夫に先立たれた女性や、夫の稼ぎの少ない女性が従事するなど女性が多かったり、知的な障害者が混混じってもました。それだけに、土方もヨイトマケも日雇い労働者も、人を見下す言い方として差別用語として放送禁止用語ともなった事もあります。「おとちゃんの為ならえーんゃこーら、おかちゃんの為ならえーんやこーら、も一つおまけにえーんやこーら」なんて掛け声を子供の頃は誰もが知っていて、力を合わせて何かをするときに口から出ていたのを思い出します。日本にも、50年前には、大きな駅には待合室があって、手配師がうろうろして、今では差別用語とされるような言葉が普通に交わされている時代がありました。よく、生きるのに精いっぱいだったという事がありますが、私はそれしかなかったという事の方が事実だと思うのです。過ぎ去った時代を懐かしむ人もいますが、今から過去を比較して懐かしんでもその時代へ戻りたいとは思わないように、良い時代になったと思うのです。でも、50年後の年寄りはもっといい生活をしているなら現代も、手配師がいたときの時代と同じだと思うのです。それは、選択肢は今も多くはない時代だからです。

 もう、50年も前の頃田舎から出てきた私は、上野駅を利用しました。その頃の駅にはどこにでも待合室と言う一角と椅子が並んでいました。列車の時間までの短時間を休んでいる人もいましたが大きな荷物を置いてゆっくりと休んでいる人もいました。そんな待合室の椅子に座ってのんびりしていると「あんちゃん、いい仕事あるよ」と手配師達に何度も声かけられたものです。もう、手配師なんて言葉も通じない時代に入りました。同じようにこの頃は、飯場や土方、ヨイトマケなんて言葉が日常生活にありました。学歴もない、知人もいない、住所もない、そんな人に、日雇い仕事を紹介しピンハネしていたのが手配師でその手配師からピンハネしていたのがヤクザで、ヤクザの縄張りとはそう言った収入源となる所でしたから手配師とトラブルを起こせばヤクザ屋さんが出てくるという事でもありました。ピンハネのピンとは1と言う事で、俗に一割以上取られると言った意味で、毎日現金払いの日雇いの日当から最低でも1割以上が紹介料として取られてしまうという事です。手配師が紹介する仕事は、土方と言われ、市内の建築現場ならまあまあで、飯場送りともなると少し大変です。飯場と言うのは、建築現場が山の中でダムだとか橋だとかになるので工事期間中の宿舎と食事がセットとされている住み込み生活となる場合が多いからです。人身売買と言うと、売春の女性と思われますが、案外労働力としての男の人身売買が多かったのもこの頃ですし、飯場送りに人身売買があったのも事実です。当時の建設現場には、重機の普及が遅れていて、スコップで穴を掘る、一輪車で生コンを運ぶ時代でしたから、大量の人力が必要でした。その一方労働環境は最悪で事故も多くありましたから、普通の人は避けたい仕事の場に手配師が送り込むのです。その為社会のアウトロー的な犯罪者や夜逃げ者、曰くつきの男たちが底辺から掻き集められていたという事でもあります。他にも債務者の返済手段としての逃げ出せない遠洋漁業に従事させるという事もあって、手配師が人買い(人身売買)とも言われることもありました。手配師は、新人には作業着から靴までそろえてすぐに作業できる支度までしてくれますが実はそれがすべて借金として計上され、高利が課されて、働いても働いても元本も返せないような仕組みになっている事もしばしばありました。飯場では、自由に買い物も出来ない拘束されたような環境の中で、日用品からタバコ・酒まで用意してくれるのですが売価は通常の数倍の物を買わされて働くほど借金が増えるという事もありました。プレハブのような住宅に、隔壁もなく、二十畳、三十畳くらいの大部屋に布団を引いて雑魚寝でした。だいたいは一階部分に食事できる場所があり二階で寝るようになっていました。東北などの出稼ぎは、毎年同じ会社で働くとか、同郷の者が集まっているとかなので、はぐれ物でないと手配師の世話にはならなかったようです。「ヨイトマケ」と言う言葉は、かつて建設機械が普及していなかった時代に、建物の基礎となる部分の土地を突き固めると言う作業で、重い鉄や石を滑車で上げて落とすと言うときの上げる作業でみんなで綱を引くときの掛け声でした。ですから、ただ引けばいいのですから技能も能力も必要ではなく、ヨイトマケと呼ばれた労働者の多くは、夫に先立たれた女性や、夫の稼ぎの少ない女性が従事するなど女性が多かったり、知的な障害者が混混じってもました。それだけに、土方もヨイトマケも日雇い労働者も、人を見下す言い方として差別用語として放送禁止用語ともなった事もあります。「おとちゃんの為ならえーんゃこーら、おかちゃんの為ならえーんやこーら、も一つおまけにえーんやこーら」なんて掛け声を子供の頃は誰もが知っていて、力を合わせて何かをするときに口から出ていたのを思い出します。日本にも、50年前には、大きな駅には待合室があって、手配師がうろうろして、今では差別用語とされるような言葉が普通に交わされている時代がありました。よく、生きるのに精いっぱいだったという事がありますが、私はそれしかなかったという事の方が事実だと思うのです。過ぎ去った時代を懐かしむ人もいますが、今から過去を比較して懐かしんでもその時代へ戻りたいとは思わないように、良い時代になったと思うのです。でも、50年後の年寄りはもっといい生活をしているなら現代も、手配師がいたときの時代と同じだと思うのです。それは、選択肢は今も多くはない時代だからです。

部活が残業を支えているの話

 働き方改革なんてことを繰り返しても成果が上がらないのは、仕事が終わっても帰らない習慣の原因が、学校の部活の時代に育成されたものだからと思うのです。授業が終われば、学校は終わり、次の場面に行く。その切り替えを妨げてきたのが実は部活だと思うのです。場面転換と言うのは、一般的には演劇などで、暗転したり、幕を降ろしたりして、現在から、場所や時間、登場人物などが変わる事を指しますが、人間の生活では、家庭生活の場、働く場、遊びの場、学習の場など、連続する生活の中で、違う環境に移動したり、違うメンバーと交流したり、違う状況に接したりする事で生活の意識の変化を促すことを場面転換と言う言い方をします。つまり、意識の切り替え作業で、多様性や選択性などの能力を高め生活の質を高める行為だとも言えます。この場面転換がスムーズに行えるようにするには、一定の時間や内容で意識的に行動を変えてしまう事が重要です。何かにずるずると引きずられていると自分の意志で場面転換が図れず他者の意志に従う習慣が植え付けられてしまいます。つまり、同調型・追従型の生活慣習が付いてしまうという事です。場面転換の切り替えは、時間と空間の管理が自分の意志で行えるという事です。よく、職場と家庭のスイッチのオン・オフが大事だとか、日本人は長時間働きすぎだと言いますが、本質は、場面転換の自立が出来ない様に訓練されてきたからだと思うのです。そしてその原因は、学校での「部活」にあると断言できるのです。小学校の高学年頃から部活は始まりますが、職業教育が本格的になる中学・高校での「部活」は、学校と言う同じ環境の中で、変化のない教師と言う人的環境と、教育の延長としての体育や文化に関わる種目しか選択出来ない制限と、指導と言うと言う名の服従を強いるものだからです。遅刻や早退どころか、休むことでさえも許可がいるような中で、中には朝練と称して、朝から晩まで学校と言う中で暮らさせるのです。朝から晩まで学校に張り付いていて、生活の場面を転換させない青少年教育を延々と行っているのです。スポーツをしたいなら、学校外のスポーツクラブで行えばいい事です。塾と言う場面転換も大事です。例えば、「埼玉県鴻巣市は2022年度から、市立中学校全8校で水泳の実技の授業を廃止する。老朽化したプールの修繕コストが理由だ。生徒たちは教科書やタブレット端末を使い、座学の授業を受ける。」という記事があります。この事は、当然水泳部はないということです。さらに「市教育総務課によると、学習指導要領では、水泳は中学1、2年の必修だが、水泳場が確保できない場合は、実技を扱わなくてもよいとされ同課は新型コロナウイルス対策で水泳の実技は2年間中断してきたが、保護者から苦情はなく、理解を得られると考えている」とも言っています。他に、羽生市も20年度から中学校のプールの授業を廃止していると報道されています。この事例でも分かるように実は部活には莫大な費用が掛かっていて、ハード面での体育館や運動場などは、公費で維持していますから膨大な費用がつぎ込まれています。運動部としての設備の維持には多大な費用が必要なのです。プールがなくなれば水泳部は無くなりますが、逆に民間のプール事業は営業のチャンスとなります。部活は、学生が選択できる自由よりその時の設備と顧問となる教員確保で決められていて学生のチャレンジしてみたい教育的システムにはなっていないのです。部活そのものの成り立ちも、早く家庭に帰って街をうろうろして非行化しないようにするが裏の目的で、過去のテレビでは非行少年の更生に学校のスポーツ部が持てはやされました。そして、部活はその費用負担を保護者に求めるのです。部活の用具一式から、衣類、靴、試合の交通費迄個人持ちなのです。当然食費なども自腹ですから、部活で遅くなって体育館や運動場でパンを食べながら続けることが、職場で夕食を食べながら居続けることと重なったとしても何の違和感も持たずにいられるのです。体育館が会社の建屋に変わっただけの感覚で済むという事になってしまうのです。場面転換の自立は重要です。生活の中に様々な場面を持つことが出来る事が多様な考え方への一歩ともなります。にもかかわらず、青少年期に学校に縛り付けておく過去の非行防止のような部活を延々と続けている事が「これしか知らない」労働者を作り出して残業で残り続けることが正しくて、場面転換相とすることが後ろめたい環境を作っているのです。

反則ぎりぎりがスポーツの世界になった話

     冬季オリンピックで大騒ぎしたのにもう誰も追及しない事の一つにスキー・ジャンプ混合団体で、スーツの規定違反で失格したというニュースがあります。他にもスケートでも違反があったなかったと言っていますが、オリーブの葉の冠しか得られない時代なら反則騒ぎなど名誉の問題でしょうが、莫大なお金が動くお金まみれの今日のオリンピックでは名誉より規定の方が非常に重要な事になっています。ですから、これ以上裏事情がさらけ出されると困ると言う反動もあってその後の報道も追及どころか口を塞いでいます。何せ、スポーツは報道にとってもいい金儲けの種ですからスポーツ界との喧騒は自分たちに不利益となると判断してだんまりを決め込んでいると思います。今回のスキー・ジャンプスーツの背景も、スーツメーカが裏方で暗躍している事は明確な事で、オリンピックなんてお金が成績を左右する事を明確にした事例にすぎないと思うのです。スーツの数センチが飛距離に影響があると反則ぎりぎりまでにスーツメーカーが関与している事が原因であると言うのは、日本の選手団の為に外国の縫製師を雇用しミシンを持ち込んで何度も調整していると言う記事からも分かる事です。水泳の水着でもありましたが、金メダルになった衣装がお金になる時代で、お金になるからメーカーも投資しています。投資に見合った収益がなければだれもそんなことに拘ったりはしません。ですから、もう衣類や用具の段階で、メーカーの援助がない選手は勝てないと言う貧富の差が明確になっているということです。既にルールで生地の厚さや裁断の仕方などが細かく決められているという事ですから、揚力を得るために風を受ける表面積を広くする為と言っても、元々ぴったりのものを工夫する余地などほとんどないとしか言えません。にもかかわらず、縫製師の手先で、工夫できるという裏側は、反則ぎりぎりまで対応しているという事に他なりません。素人の私から見たなら、たかが1センチの違い程度でそれほどの違いは出そうにないと思いますが、プロに言わせれば、同じ条件で飛んでも2~3メートルは差が出るということですから工夫は、職人芸の域だという事です。それは、違反すれすれのものを着ないと勝負にならないという事でもあるのです。それは、ドーピングと大差のない反則ぎりぎりセーフの考え方そのものです。実際夏のオリンピックの集団競技では故意の反則が行われてもいました。反則やってでも勝たなければならないと言う、お金にまみれた拝金主義の状態が今のスポーツでもあるのです。実際、公平性を保つのが狙いとしてルールを決めていても、ルールギリギリまで対応できる技術はお金で買わなければならないし、道具もスーツも後ろにいる資金提供者の利益を生まなければならなくなってしまっているのです。過去には、スポーツマンシップやアマチュアスポーツマンの競技精神、はたまた、フェアプレーの精神などと如何にも正々堂々などが広告されていましたが、今ではそんな言葉も聞かれなくなり、メダルを何個取るかの商業イベントになりました。競技する相手,競技規則への敬意と尊敬なんて、どこにもありません。そして、金儲けの為に大人は青年を食い物にしていると言うのが、今日のスポーツだという事も証明しています。スポーツがお金にまみれている証拠は今では、探さなくてもどこにでも露出しています。