知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

部活が残業を支えているの話

 働き方改革なんてことを繰り返しても成果が上がらないのは、仕事が終わっても帰らない習慣の原因が、学校の部活の時代に育成されたものだからと思うのです。授業が終われば、学校は終わり、次の場面に行く。その切り替えを妨げてきたのが実は部活だと思うのです。場面転換と言うのは、一般的には演劇などで、暗転したり、幕を降ろしたりして、現在から、場所や時間、登場人物などが変わる事を指しますが、人間の生活では、家庭生活の場、働く場、遊びの場、学習の場など、連続する生活の中で、違う環境に移動したり、違うメンバーと交流したり、違う状況に接したりする事で生活の意識の変化を促すことを場面転換と言う言い方をします。つまり、意識の切り替え作業で、多様性や選択性などの能力を高め生活の質を高める行為だとも言えます。この場面転換がスムーズに行えるようにするには、一定の時間や内容で意識的に行動を変えてしまう事が重要です。何かにずるずると引きずられていると自分の意志で場面転換が図れず他者の意志に従う習慣が植え付けられてしまいます。つまり、同調型・追従型の生活慣習が付いてしまうという事です。場面転換の切り替えは、時間と空間の管理が自分の意志で行えるという事です。よく、職場と家庭のスイッチのオン・オフが大事だとか、日本人は長時間働きすぎだと言いますが、本質は、場面転換の自立が出来ない様に訓練されてきたからだと思うのです。そしてその原因は、学校での「部活」にあると断言できるのです。小学校の高学年頃から部活は始まりますが、職業教育が本格的になる中学・高校での「部活」は、学校と言う同じ環境の中で、変化のない教師と言う人的環境と、教育の延長としての体育や文化に関わる種目しか選択出来ない制限と、指導と言うと言う名の服従を強いるものだからです。遅刻や早退どころか、休むことでさえも許可がいるような中で、中には朝練と称して、朝から晩まで学校と言う中で暮らさせるのです。朝から晩まで学校に張り付いていて、生活の場面を転換させない青少年教育を延々と行っているのです。スポーツをしたいなら、学校外のスポーツクラブで行えばいい事です。塾と言う場面転換も大事です。例えば、「埼玉県鴻巣市は2022年度から、市立中学校全8校で水泳の実技の授業を廃止する。老朽化したプールの修繕コストが理由だ。生徒たちは教科書やタブレット端末を使い、座学の授業を受ける。」という記事があります。この事は、当然水泳部はないということです。さらに「市教育総務課によると、学習指導要領では、水泳は中学1、2年の必修だが、水泳場が確保できない場合は、実技を扱わなくてもよいとされ同課は新型コロナウイルス対策で水泳の実技は2年間中断してきたが、保護者から苦情はなく、理解を得られると考えている」とも言っています。他に、羽生市も20年度から中学校のプールの授業を廃止していると報道されています。この事例でも分かるように実は部活には莫大な費用が掛かっていて、ハード面での体育館や運動場などは、公費で維持していますから膨大な費用がつぎ込まれています。運動部としての設備の維持には多大な費用が必要なのです。プールがなくなれば水泳部は無くなりますが、逆に民間のプール事業は営業のチャンスとなります。部活は、学生が選択できる自由よりその時の設備と顧問となる教員確保で決められていて学生のチャレンジしてみたい教育的システムにはなっていないのです。部活そのものの成り立ちも、早く家庭に帰って街をうろうろして非行化しないようにするが裏の目的で、過去のテレビでは非行少年の更生に学校のスポーツ部が持てはやされました。そして、部活はその費用負担を保護者に求めるのです。部活の用具一式から、衣類、靴、試合の交通費迄個人持ちなのです。当然食費なども自腹ですから、部活で遅くなって体育館や運動場でパンを食べながら続けることが、職場で夕食を食べながら居続けることと重なったとしても何の違和感も持たずにいられるのです。体育館が会社の建屋に変わっただけの感覚で済むという事になってしまうのです。場面転換の自立は重要です。生活の中に様々な場面を持つことが出来る事が多様な考え方への一歩ともなります。にもかかわらず、青少年期に学校に縛り付けておく過去の非行防止のような部活を延々と続けている事が「これしか知らない」労働者を作り出して残業で残り続けることが正しくて、場面転換相とすることが後ろめたい環境を作っているのです。