知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

“悪名は無名に勝る”でも先入観は長く続くの話

      現代ではとにかく売り出さないと金にならないからと、悪評であったとしてもマスコミやインターネットに取り上げられるなら、知られていないよりずっとましだとばかりに犯罪ぎりぎりでも目立とうと言う人がいます。それも手段だと割り切っている人もいるのかもしれません。ことわざも、“悪名は無名に勝る”と言うことがありますから、まず有名になることと言うのは悪い事ではありません。しかしそれなりの覚悟が出来ていないと、今日の情報の中では、イメージ転換が容易に出来ないという事を知らなければならないと思うのです。現実には、悪名で有名になると「先入観」と言う額がぴったりとはまって、強い印象があるほど延々と付きまとうと言う事です。昔は、「人の噂も七十五日」と言って時間がたてば忘れられるというのが世間でしたが、現代のインターネットは、いつでも見られるようになっていて忘れてくれない状態にあります。ですから不祥事を過去に起こした芸能人が他者の不祥事にコメントすると過去の話を持ち出されて非難されたりもしています。今では本当に反省して人間が変わっていますと周りがどんなに応援していてもネットには現在と同時に過去の事が並列で並べられて晒されます。人のうわさも今日では一つのイメージとして成立すると周りがそれに拘って本人を縛りつけてしまうという事さえも見られます。それはまるで一度プリントされたものには、消しゴムはないと言われているかのごとしです。内容的には単語的な単純なイメージが形成され、移り変わりの激しい情報の垂れ流しの中ですぐに速い流れの中に巻き込まれて見えなくなってしまうように思いますが、淀みにいつまでも残っているというのが現状です。そこでは、人間には様々な面があるという見方より、目立った面が全体だとしてしまう傾向が現代では強くなり印象は変更されずに、本人の意志にはかかわらず継続される傾向にあります。イメージ戦略として昔から様々な方法が行われる中には、悪役のイメージで売り出して本当は優しい人でしたという事もありますが、それは組織力を使って変更戦略をはじめから組み込んで行っていますから、ちゃんと着地点まで持って行ってくれますが、ネットなどを通じた個人での表現ではとてもそんなところまで計画は出来ません。ですから、着地点が有名になった地点という事になって、悪名はそのまま続いてしまうのです。確かに、世に知られることは困難で普通に生きる事だけではとても知られる存在にはなりません。それに、優秀な人も、出来た人も、誠実な人も、頑張る人も世の中にはぞろぞろと居て地域で有名な人はもっといると言うのが現実です。そんな中でネットなどは投資もほとんどせずに一発当てることが出来ますから一度は試してみたくなるのも大いに推奨できることだと思うのです。しかし、大手広告会社だろうと個人だろうと人に受け入れられるには個性的なイメージの定着が必要で、単純なほど受け入れやすい傾向にありますが、単純だから受け入れやすいが抜けにくいという事もあります。有名人になりたい人は、承認欲求が強いなどという事もありますが、個性として他にはない何かを表現しなければなりませんから、世間の先入観を打ち破る言行が出来なければなりません。そうなると、なかなか正攻法ではライバルが多すぎて大変なので、「悪名も有名」と一撃突破を図る人もいるのですが、突破した先には深い崖だったという事に為りかねません。有名になりたい、人の支持を受けたいは人間の本能ですが安易な言動は、青春の蹉跌では済まない事にもなることを知るべきです。