知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

おーい中村くん、アッラーのため息の話

 憎悪の対象に、いい人はならないということはありません。アフガンで殺された中村医師に関して美談として繰り返し報道されていますが、体制対立をしている国の中で、どちらにも付かない国民の味方なんて立場を自分が思いこむことは出来ても、現地の人みんなが同意してくれるなんてことはありません。特に、イスラムと言う宗教が生活に浸透している国に於いて、短期滞在者がお金を持っていくなら、イスラムでなくても客人として迎えられても、20年近くもイスラムの中で暮らしながらムスリムではない事は同質にならないと宣言しているようなものです。私は、中村氏の事は死亡事件があって初めて知りました。海外特にアジアで活躍している医師などの多くの人は、使命感を持った意志の強い人ばかりですが、裏返すと頑固で自分の行為に酔いやすい人とも言えます。また、そのような活動をしている人にはクリスチャンが多く紹介されています。中村医師もクリスチャンの様ですが現地の人々の信仰や価値観に最大限の敬意を表しながら活動を続けていたと資料にはありました。でも、ムスリムではありません。異教徒が人助けしているだけなのです。さらに中村医師の、武器など絶対に使用しないで、平和を具現化するとしているので、政府側も反政府側も、タリバンだって我々には手を出さないと言い、敵を作らず、平和な信頼関係を築くことが一番の安全保障だとも言っています。しかし、実際は一緒に死んだ中には護衛もいて、護衛を引き連れていなければ危険だと認識されていたことの証明と言えます。現地を良く知る人は、日本にいる様な感覚で批判するべきではない。強盗を含めて治安が非常に悪いのだから、特に外国人は。現地での警護は必要だと言います。

でも、護衛を雇用できることが既に金持ちであるという証明でもあります。日本の会社員が東南アジアに駐在すると同じ日本の給与でも広い家でメイドが雇えると言われます。それは、メイドの仕事しかない経済事情の国に金持ちが行って金で雇用していることです。仕事がなくて強盗をするか警備員をするかの社会に行って治安が悪いから警備員を雇うというのは実際は金持ちであると言っているのと同じです。葬儀の時棺桶の隣に、現大統領が寄りそったり、現大統領から表彰されているのに、自分は中立だというのは、手前みそだと思うのです。同じ宗教でも宗派が違うというだけで戦いになるという環境の中では、敵と味方の線引きは厳格で中立なんて傍観者でなければ出来ません。現地で灌漑を行っても、小麦を植えるか芥子を植えるかだって利権に繋がります。現地の人々がその利権をどう評価することによっては、自分は中立と言い続けていたとしても、相手がお前は向こう側だと思い込めばそれで中立ではなくなるのです。生死を掛けた戦いを日々しているところに、公平な審判など存在できません。理論や理屈ではなく、人ではないアッラーが何を望んでいるかと言うことを人間が推測して実行している社会で、神が喜ぶことを行うことが信仰だと言われる社会においては、貧しくとも異教徒の施しは受けないが厳然とあります。日本式なら、武士は食わねど高楊枝であり、人様の施しを受けるほど落ちぶれてはいないの世界です。同じ行為であっても、神の恵みと受け取るか異教徒の施しと受け取るかは、現地の人の宗教心の違いです。その地で有名になればなるほど同胞ではない人の行為を原理的には良いことだとは考えない人も増えるという事に気が付いていたはずです。良いことなら、必ず分かってくれるという事が幻想であることも分かっていたはずです。しかし、頑固な中村医師には、それが自己中だと思わなかったと思うのです。アッラーはあなたを受け入れないと感じる聖職者が居れば、あなたは敵なのです。イスラム教で内乱の起きている国のアッラーは過激なことも容認するという事を忘れるべきではないと思うのです。有史以来、沢山の宗教が生まれては消えた中で現代へ残っているということはそれを信じる人がいるからで、どんな生活をしようと余計なお世話と言う気持ちが湧いてきたなら、その人たちからは敵でしかありません。そんな情況の中、アッラーが溜息をついて憂慮しても、その遠い遠い弟子たちは今の状況を改善することが出来ないでいるのです。中村医師を英雄視して褒めたたえることは、アッラーのため息を増すだけだと思うのです。異国で己だけを信じて思いのままに生きて死んだ自由人の魂は現地に埋めて後を継ぐ者なしで良いと思うのです。