知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

人材育成は妄想の話

 過去からずっと人材育成が叫ばれて、組織が出来ると組織上げて人材育成が未来を拓くかの如く言われるのですが、よく考えてみれば人材育成ってそもそも何のためにと考えたならそんな都合のいい人間育成なんてありえないと言う事がはっきりしてきます。何故なら、今日の日本では、文科省に始まって大企業まで相当な金をかけて人材育成に取り組んでいるのに、政治家一人育成されていない現実が誰の前にも明らかだからです。それは、人材育成と言う言葉にみんなが騙されていて、人材育成というと未来の人材を育成するものだと誤解しているからです。実態は、現在の自分たちの行っている事をいかに効率よく素直に引き継いで業績向上に貢献してくれる人間を作り出そうとすることでしかない事がわかっていないからです。何故なら、人材育成を叫ぶトップから講師に至るまで、過去の成功例や失敗例は語れても未来がどうなるのかそして未来に活躍する人間がどんな人なのか想像もつかないからです。ですから、今の組織の作法や仕事のやり方を教えるだけの育成なのに、あたかも未来の為に行っているかの如くふるまっているだけだという事です。もっともらしい、人材育成方法としてOJTなどと言われますが結局は、職場での実務を通じて業務のスキルやノウハウを組織に合ったように同化させていく仕組みで、企業理念の浸透と自社に合った人間作りに他ならないのです。新しい時代に適応できる人材像がないのですからその時代に同化した人間は作り出されても、、未来志向の人材育成なんて出来るわけがないのです。戦後日本の経済成長の中で人材育成はおおいに鼓舞されましたが、人材と言われる人に、出会っていないのはこのためなのです。むしろ、人材育成の蚊帳の外にいたような人たちが社会を動かしてもいると言った方が正しいのです。現状を維持管理できる人はあくまでも普通の人で、人材育成などと叫ばなくても普通にそこにいる人なのです。誰かが仕掛けたなどとする人材育成は、教祖と信者の関係に似ていてその教祖以上の人材など育成する事は出来ないのです。例えば、ソニー、ホンダ、パナソニックの創業者の偉大さを鼓舞して人材育成をしているはずなのに創業者を超えたという人の紹介などありません。しかも、創業者の面々は、育成されたのではなく這い上がってきた人ばかりなのです。今の日本では、どんな組織でも、人材育成を語りますが、人材育成は、組織に合った人間を製造する現状維持の最も端的な内部求人策に過ぎないのです。人材育成と官・民上げて叫ぶので、誰もが未来のリーダーとその仲間たちを育てるものだと錯覚しますが、本当は消費人材の製造にすぎないのです。子供は大人が提供する様々なものを吸収して成長しますが、成人した大人は、提供されるさまざまなものを消費しても成長にはつなげていかないです。それは、誰もが共通に未来を想定できないからです。どんな事業であっても5年後10年後の姿はわかりません。分からない未来であっても、事業の存存続をと願って予測としての未来の姿に適合する職員を求めるのですが、そのほとんどは失敗するのです。日本の戦後を見てみるとそれははっきりしています。印象的なのは「モーレツ社員」と言われた人たちは報われることなく消費されましたし、バブルで育成されたはずの人たちはその後も時代に翻弄されるのです。そして今、さんざん投資したはずの人材育成の挙句に後継者不足が普通に語られるようになったのです。人材育成では、自立した職員、創造的な職員、積極的な職員、いろんなテーマやタイトルは掲げられますが、そんな職員の育成など出来るわけがないのです。人間の成長は、人間が制御できるほど簡単ではなく、神であっても予測できないものなのです。ですから、人材育成は現状を維持したい人間の自己満足の世界であり妄想でしかないのです。