知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

組織の人材活用法は、間違っているの話

     研修に行くと、マネジメントだとか、コミュニケーションだとか、横文字が一杯並んで押し付けられまくるのですが、日本語で言いなおすと、昔から言われている程度の事で、そんなに違っていないことが分かります。そして、過去には会社のために働けと直言していたことが、かなり間接的な言い方になっているだけと云うことに気づきます。

逆に、労働者の視点に立つなら、安い賃金でも、常に高い意識を持って、組織のために働き続けさせるための方法ばかりとも云えます。

流行は、アメリカの心理学者、エドワード・デシ氏らの言う、内側からの動機が、最も力になり、『できないと罰を与える』とか『できたら報酬(賞状も同じ)をあげる』という『アメとムチ』的な指導よりも、『やること自体が楽しい』という自律的な取り組みを引き出すのが良いと言われたからです。さらに、アンダーマイニング効果という論があって、自主的な行動に対して、報酬を与えるなどの外的な要因を加えると、報酬が目的になってしまい、報酬がなければ不満になるという人間の行動心理を、働くことに置き換えて、賃金や賞与、福利厚生といった「外発的要因」によって動機付けをすると、より高い賃金や待遇を要求して、際限がなくなると脅すからです。しかし、これらの言い分は、人間の行動を研究している心理学などを、雇う側に都合よく組み立てなおしたにすぎないもので、人間の心理の一面でしかありません。内的動機論もアンダーマイニング効果も、労働と報酬の関係を論じたものではありませんし、労働の様な一生や長期にわたる意識を研究したものではなく、短い期間に単数の課題に対しての反応を調べたものにすぎません。そして、人間は際限なく個人の欲望にしがみつくということもありません。もっと社会的行動をするものです。実際に労働の現場では、十分な報酬を得ていたのなら自発行為も当然のように起きます。しかし、今日では、日本風の年功序列制も高度成長を果たした後の反動でなくなり、終身雇用制度よりも、成果主義のほうがやる気が出ると言い出して、評価制度や個人能力開発を進め、ダメなやつはリストラすると脅し続けたのです。つまり、労働者の地位を不安定にしたことから、働く人が自己防衛的になって、日本的な評価制度もすぐに疲弊してしまったのです。かといって今更、元へは戻れないことから、次の手として生まれたアイデアが、内的動機付けにすぎません。

確かに、戦後から高度成長までに培ってきた日本的労働環境は、世界とは異質でしたので、世界標準ではありませんでしたから、貿易相手からは「ずるい」と言われたのも事実です。が、その変革が日本的な独自性を模索するのではなく、米国的な制度のつまみ食いを経営にとって都合いいように導入したことから、行き詰まりや目標さえも見えなくなってきて、働く人の自己防衛感が高くなったと思われます。明確なのが、会社に対しての帰属意識と言えます。帰属意識の根幹は、自己犠牲があっても会社を守るということにあります。当然、我慢することや長期の忍耐と努力みたいなことが美徳のように扱われます。この帰属意識を育成するのが、自前で職員を育てるという生え抜き感覚です。ですから、転職回数が多い人間は評価そのものが低いということがありました。しかし、今日では、即戦力なら素性は問わない方式へと大きく変貌しましたから、研修でも、理念を教えろ、内的動機につながる遣り甲斐を発見させろ言い続けるのです。日本の組織には、家風が今でも残っているのに、コスト低減や経費低減を図る為に、即戦力などと今だけ必要な人材を求める方向へ向かったのです。だから、働かせるためのテーマ設定をしなければなせなくなったのです。個人の能力開発論も、グローバル化論も、組織が自前で人を育てることを放棄して、目先の使い捨て労働の確保が主力になりかねないために研修が必要になったのです。自己防衛に走る労働者は、組織に加わっても不安定な位置だから、組織への貢献はほどほどにします。結果、日本風である組織力は低下します。日本では、スポーツも集団で行うものが好まれるのは、チームワークが好きだからです。そして、日本風の組織は、個の力を集合し、チーム力として結集することこそ「力」になると結論づけます。それなら過去の日本風に自前で育てなければならないのですが、それはすでに放棄していますから、組織にとって都合のいい人材研修がはやるのです。

「できないと罰で働かせる」も「褒めて働かせる」も時代遅れと言い、内から出てくる動機付けがマネジメントの重要な仕事といい、様々な研修で、「やる気を引き出す」ことばかりが強調されるのはこのためなのです。ですから内的動機づけもアンダーマイニング効果も働かせる効率のために利用されて人間の成長には関係ないのです。人間の行動を分析することは間違いではありませんし、組織が望む行動を促す研究も研修も間違いではありませんが、本当は、職員をもっと大事にする日本風の労働環境も必要なのです。理念や信念は、長い体験や蓄積された職員間の技能の継承に裏打ちされている必要がありますし、生活や家族を考えるなら、職員の外的動機付けは現実の社会では内的動機づけより大きな比率を占めます。さらに、内的動機づけと言ってもスピード感が大事だと語る組織は、自ら動機づけをする時間を待てずに、動機づけてしまおうという手段の研修を行うことさえあります。それは、洗脳です。ですから研修担当者自身が、成果を問われますから、心の中では、内的動機が芽生えてくることよりも、研修後には内的動機を語れる職員にしなければならなくなります。目の前にある結果を出さなければならなくなります。だから、内的動機を語りながら、結果に向けて洗脳の様な事をしていることが目的になってしまいかねないのです。