知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

「もうついていけない」を笑うの話

 職員が退職したい理由として「もうついていけないという」事がありますが、普通に「えっ 誰についてきていたの」と聞きたくなります。何故なら、今時会社や上司についていっている職員などいないと思うからです。「従っている」とか、「一目置いている」なんてことはあるでしょうが滅私奉公の時代でも、永年勤続の時代でもなく、社会人として自立しているなら、転任も異動も退職もあるこの時代に、たまたま就労した会社や上司に「ついていく」なんて酒の席でなら言ってもいいでしょうが自分の去就で言うのはほどほどにした方が良いと思うのです。今日ほど、世代間の働き方や生き方の価値観が違う時代はありません。ですから、労働法と契約に基づく労働の提供を淡々と求める関係で、「俺についてこい」なんて言ってしまうと大変な責任が付いて回る時代となりました。「飲みにケーション」とまで言われた勤務後の飲み会的絆つくりが日本社会のポイントの様に言われていましたがコロナ禍によって大した要素でもなかったことも判明しました。仕事の延長で飲むことより娯楽としての飲酒であることの方が精神にはずっと効果があるという事の証明でもあります。第一、飲み食いしながら相手の事を探りあったとしても業務上のコミュニケーションになる訳がありません。どんなに飲み食いを一緒にしても、「そんなこと言わなくてもわかるだろう」という関係になるほどに仕事上で共有できるのは上司の悪口ぐらいで、「そんなこと言われないとわからないよ」という関係以上にはならないのが現代の対人関係だと思うのです。例えば、上司の悪口で多いのに「ころころ言う事が変わる」がありますが、上司の立場からすると何度言っても分からないやつという事だってあります。自己学習しないから一つの事でも、事例や教訓を含めて色んな方向から話せば話すほど、分からないやつには「前と言っている事が違う」という事にさえなってしまいます。とにかく今日のように人手不足で「辞めてやる」が上司への脅しにもなる時代に、教えたから感謝されるなんてことは無くなりました。仕事が出来ないとしたならそれは「教え方が悪い」と言い切られる時代なのです。「挨拶さえも満足に出来ない」などと嘆いている上司に対して、自分を上司の被害者に置きたがり、辞めるとなった時に同僚に「あの上司にはついていけない」と言うのです。でも、辞表を出したら「わかりました」と受け取られるような関係では、部下の職員が思っている程に上司はあなたを評価していなかったという事でもあるのです。仮に部下が優秀なら、ダメな上司にとってみれば優秀な部下が手柄を上げてくれるなら自分の教育の賜物と手柄に出来ますから手放したくはありません。まして自分に共鳴してついてきていると思えるなら自分の利益の為に引き止めます。人が流動化する時代には、人は使い捨ての時代でもあります。経営を考えるなら昔は、一人の労働者の定年までの給与計算をして昇給を決めたりして数十年後の人件費を計算していましたが、数年で辞めることがあれば初任給だけ高くしおけば数年後には新陳代謝する事になります。それは中間管理職にも言えることで、過去には辞めさせることに苦労した人事が大きく変わりました。「こき使いやがって」と職員が愚痴を言うぐらい使える中間管理者も今はなく、年功序列・終身雇用のご褒美もなく、人手不足と言う環境の中で、労務管理も大きく変わりました。転職サイトがより高いところへ行けますよと語り掛けられて自分評価を誤ると前職よりも悪い条件に落ちていきます。労働管理の転換期のなか、人間らしい生活などと言った最低限の生活要求で戦った労働者もなく、賃金に見合う労働の提供であるかどうかさえ分からなくなってきました。この様な労務環境では、自己弁護だけは御得意で、上司を悪者にしてでも自分は頑張っている主張しかしない奴から、「お前にはもうついていけない」と宣言されても「それではさようなら」としか言えない状況もあるのです。仕事を通じて人間は成長しますが、仕事は人生の通過点でしかありません。退職理由に他人を巻き込むようじゃあなたについていく人はいませんよ。