知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

プレーイングコーチの時代の話

 障がい者雇用率の中に不正があったと、各省庁が一斉に非難されました。実際に公的機関は、職員の定員枠がありますから、非常勤で誤魔化していた位なのにそれよりもあくどいやり方をしていたと言う事でした。各省庁は、東大を含めた大学のエリートを集めた集団で事務処理的な業務しかありませんから、障がい者を雇用してもやって貰う仕事が無いと言うのが本音の世界だと思います。しかも、障がい者の雇用では、健常者のように一人が1人という感覚では無く、小数点での0.何人前の実感になっています。つまり、非常勤が1人雇える枠があるとしてそこに障がい者が雇用されれば、少数点での減員になったという感覚になるのです。何故なら、一つには、障がい者の中でも普通に仕事できる人は引く手あまたほど障がい者枠では仕事があります。民間の企業でもすぐに就労できます。そんな障がい者はそんなにいません。二つに、介助が必要な障がい者はお断りだからです。何にも出来なくても雇用率という役にたっているならそれでもいいのですが、一つの仕事を教えるのに職員が自分の業務が遅れたり、ミスをして職員がやり直さなければならないとやっかいだと思われているからです。健常者だって、職場ではあいつらは2人合わせて一人前だなんて非難することがあるように、障がい者を健常者と比較して比べれば、何人集まっても小数点以下だなんてことは当然の事です。それならば、半人前でもいいから迷惑を掛けない人がいいと言う条件での取り合いは今だって起きています。そこには、雇用するということが、期待ではなく、足を引っ張らない人が欲しいになってしまっているからです。さらに、何かあれば、人権という武器でおどされるのが嫌なのです。だから、企業によっては月5万円程度の罰金なら払う方がずっと得だと考えてもいるのです。中には、罰金と言うよりも特別徴収の福祉税程度に考えれば気分も楽になると言うことさえあります。海外でも少数民族枠があって、差別に対応しているようで逆差別だということもあります。障害者雇用が、罰則付きであるという脅しで行うことも本質ではないという意見もあります。

 実際に、福祉施設から一般企業へ出て行けない人は、週40時間働くだけの体力が無かったり、精神的な気持ちをサポートすることが必要だったり、仕事は出来るのにパニックを起こしたりと、何らかのサポートが必要で、長期間にまたがって身体・精神を自己管理だけでは維持出来ない人が多くいます。だから、雇用率と言う数字で切り捨てるだけで障がい者雇用を促進していくことは困難なのです。プレーイングコーチと言うのは、プレーヤーでありながら、指導できる人を指します。障がい者理解を職場全員が行うというのは実際は困難です。職場はプレーヤーの集団ですから、一人一人は自分のプレーだけで精一杯と言う事もあります。そんなところに障がい者が投げ込まれれば、もの一つ教えるのも負担感と面倒くささにぞんざいな態度となり、障がい者も嫌な思いをしてしまいます。でも、そんな職場に二刀流であるプレーヤーでありながらコーチングも出来る人を配置してくれれば、それだけでも職員にも、障がい者にも拠り所となります。障がい者雇用のために、支援者をさらに雇わなければならないとなればその費用だけでも罰金に相当してしまうかも知れません。そうでは無くて、職場の中でサポーターを育成して手当で対応することの方が、職場にとっても障がい者にとっても良いのでは無いかと言うことです。各省庁は今度は正職員枠で障がい者雇用を検討するとしていますが、数字だけを追って、公務員なら障がい者が押し寄せるだろうと他科をくくっていますが、職場が障がい者を受け入れやすい環境でなければ、すぐに退職となりますし、職場に特別な雰囲気を作ってしまいます。みんなでずるをした背景には、障がい者は健常者の条件を満たすことが出来ないからですが、昔から「馬鹿とはさみは使いよう」などと差別用語として今では使われない諺がありますが、なんでも揃っていない時代には、与えられた条件を活用出来なければ自分が困るだけという事が日常でした。だから、誤魔化しでは無く、ワラ一本でも活用することを考えてきたのが日本です。人を如何に活用するかと言うところが頭の使いようと思うのです。エリート官僚の世界だからこそ、プレーイングコーチとして、痛みを知る人が雇用率以上に増えることが大事だと思うのです。