知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

「俺的にはセーフ」は残念な「アウト」の話

「空気が読めないやつ」と非難する事は、既にハラスメントになったように、対人関係の常識は今一変している過渡期にある事を心掛けなければならない時代に入りました。少し前までは、自分の意見を明確に言う事が推奨されて「自分がどう思うか」を明示する事が対人関係では重要とされました。ところが今度は「自分の言ったこと」を、「相手がどう思うか」と問われる時代へと突入しました。静岡県教育委員会が、公立小中高校生らを対象に実施した2021年度のセクハラ実態調査の結果をまとめ公表しました。調査は21年11月~22年3月、政令市を除く公立小中学校と、県立高校・特別支援学校に在籍する小学5年から高校3年までの計15万6306人を対象に実施した。この中に教職員の言動に関して「セクハラを受けたと感じた」とした回答が97件あり、内訳は、中学校が46件で最も多く、小学校27件、高校21件、特別支援学校3件で、内容別では、不必要な身体的な接触(55件)と不必要な接近・凝視(12件)で、約7割を占めた。具体的には「ほめられた時、頭をなでられた」「部活の指導中に腕を触られた」「体育館で整列していた時、40秒ぐらい肩に手を置かれた」「あいさつをした時、胸を見られた気がした」などの回答があったという事です。この他にも、身体的特徴や性別、容姿などに対する言動として、「身体測定の際、体重を他の児童に聞こえるように言った」「登校時に『太ったね』と言われた子が傷ついた」「特定の児童をちゃん付けで呼ぶ」「男のくせに泣くなと言われて嫌な気持ちになった」などの回答もあったという事です。県教委の担当者は「寄せられた回答のうち、強制わいせつに該当するなど懲戒処分の対象になる事例はなかった。しかし、古い価値観はもはや通用しない」と指摘しましたと報道されました。様々な現場では、「俺的にはセーフ」という考え方がずっとありました。ですから、社会の変化の速さに加害者と言われる職員は自分の基準が通用しなくなった現象に戸惑っていると言うのが現状です。「あなたの時代はセーフ、今の時代はアウト」という事をまず認識しなければならなくなりました。過去には「それぐらい」とか、「指導の行き過ぎ」とか、「熱意のあまり」とか許容されていた時代もありましたが、今日では「アウト」とされます。もう一つ、「俺的にはセーフ」の時代が終わったと言うのは、今のハラスメントと言うのは、「自分の主観」ではなく、「相手の思い」に変わったという事です。ですから、親しい関係で本人同士は何とも思っていなくてもそばにいた人が「不快」に思ったならそれも「アウト」と言う時代だという事です。しかも時代の変化についていけないと無視してもいいのですが、ペナリティーは確実に向こうからやってきて「俺的にはセーフ」と粋がっていてももっと強い権力から「アウト」と処罰される時代になったという事です。この事に対しては様々な意見があると思うのです。相手の気持ちなんて分かる訳がないという事が普通ですし、人権にうるさい欧米だってそこまで言うかと言う内容もあります。それは基本文化的価値観の違いがあるからだと思うのです。東洋的価値観が古く劣化していて、西洋的価値観が正義のような考え方は基本的な間違いですが、例えば日本人の好きな「サムライ」と言うのは古い価値観そのものですが今でも前面に押し出されています。西洋的な人権と言う考え方と東洋的な人の権利に関しては、共有する事と反する事、曖昧な事があって全面的な対立ではありません。しかも世界の主導権を握っている欧米の価値観がスタンダードだと思っていても実際はダブルスタンダードどころか、スリーもフォーもあると言うのが現実で欧米と言っても国ごとに違い一体ではありません。それほどに基準も具体的行為の基準もあいまいな人権定規が突然のように当てられたなら誰だって困惑するのは当然です。だから、ハラスメントと言われても「俺的にはセーフ」と思っていたとしても不当ではないのです。ですが、社会と言うのは、一罰百戒方式で自己規制させる方法を取りますから後で行き過ぎだったとしてもひとつの事例として残念な「アウト」にさせられる可能性は高いのです。委縮する位に追い詰めて標準化が通達されるまでは、「俺的にはセーフ」は残念な「アウト」になる事を認識して言動しなければならないという事です。