知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

田畑は、人工物で、自然破壊の始まりという認識の話

 植物が育つ土は、植物によって作られると言ったほうがいいと思うのです。日本では、土はどこにでもあると考えられている存在ですが、植物が育つという条件を付けると実は意外と限定されているのです。豪雨などで山肌が崩れたりするのを見ることがあると思うのですが、植物の根っこは土から養分を吸収するのが目的で、養分のない岩石に根を伸ばす必要はありませんから、山を作った元々の岩石にまで根を差し込んではくれず根のある表土が地滑りとなって流れてしまうのです。縄文時代の地層などということがあるように土はどんどん積もっていくのではと思われますが、実際は雨などに削られて海に流れ込んだりしていて常に積もっているわけではありません。火山灰でなければ空から降ってきませんし、洪水でもなければ砂や砂利が積もるということもありませんから、地層となって積もるというのは、殆どが植物由来と言う事が出来ます。土は、植物の蓄積物と風化した岩石等が混ざったものですが、植物由来の土には、土と土の間に間隙があって、その中に、水溶性の成分が溶解している水と、二酸化炭素や窒素などの入った空気が入っていて、さらにその中には、土壌生物や微生物や動物が生息しています。

そんな土は、雑草でもなんでも植物が生えていないと、雨が降れば流れます。雑草は農業の敵ですから、雑草一つない広い耕作地を作ると、雨のたびに水たまりはやがて小川となって土が流れている事が分かります。それだけではありません。作物収穫を多くするため、植物の根が深く張れるよう機械でより深くふあふぁの土にすることが、流れやすい土づくりでもあるのです。その様にして、アメリカなどの大規模農場では、表土流出による農耕不能の土地が広がってきたことは既に報道されています。フィリッピンなどの南洋材を伐採した後には、農耕どころか表土が流されて雑草さえ生えない土地になってしまっているという報告もあります。つまり、土壌は保全しないと消失するもので、保全の基本は植物が育っているということなのです。また、土はそこに生えていた植物由来ですから土に含まれる成分もそこに育った植物に大きく影響を受けます。地域の特産と言われる下仁田ネギや桜島大根などの種は手に入りますが、他の土地では同じものが出来ないということは、その土が作る植物だからなのです。樹木で香りも有名な古代の王たちが競って使用したレバノン杉は日本にもあるのですがレバノンの様な樹形にはならないのです。ところが、人間は、意外と、農耕のできない土地が出来ると他へ行けばいい程度で土と付き合っているのです。

農業の生産性向上のために、穀物類の品種改良と農業の機械化が1960年代に緑の革命として行われましたが、十年後には、導入した国々の農業生産は、頓挫します。新品種は、収穫量を増加することができますが、大量の肥料や農薬の散布、灌漑設備(井戸を掘って地中の水をくみ上げる設備など)やエンジン付きの農機具の導入など、資金がなければ出来ない農業であり、大量販売ができなければならない農業だったのです。化学肥料、農薬による環境汚染までしてしまった緑の革命は、単一植物の大量生産と言う工場製品の様な農産物の商業経済への参入は、農産物の大量消費のために穀物で家畜を育てることにまでなったのです。つまり、発端は、アジア、アフリカの深刻な食糧不足の対策として、トウモロコシ、小麦、イネなどの品種改良と多収穫を求めながら、家畜の飼料になって食糧不足は解決していないのです。もっと言えば、本当にみんなで生産された穀物をきちんと分配していれば食糧不足はもっと小さくなっているのです。つまり、人間の食糧確保として大規模化した農業は、経済活動に組み込まれたことで、農業が生きるための生産から大きく離れて、経済活動に支障のない手段の一つに組み込まれたということでもあるのです。だからその回転を失わないように、バイオテクノロジーによる遺伝子組換えなどの技術にも積極的でなければならないのです。農業は、商品化された作物の生産のために耕作地を広げ、森林を喪失させざるを得ないような状況に追い込まれています。結果として、長い年月で作られた土が失われ、新しい土が出来ない環境を作っているのです。それは植物が出来ない地面を増産しているということです。ここ100年くらいの間に急激に農耕地を増やし、広大な面積が農業によって土壌を失いましたが、更に急速な土壌の侵食が進んでいると言われています。だから農業は自然と共生している産業などとは言えないのです。

多くの人が、農業は自然破壊をしないという前提で考え、化学肥料・農薬さえ使用しなければ、環境の維持に役立つと、考えていますが、今ではそんな程度では回復することは出来ないほど農業は自然破壊を進めてしまっているのです。私達が農耕地として利用できる土壌というのは、10から30cm程度の表面で、それを失えば農耕地として利用する事は出来ません。現実に、中国の畑作地帯での砂漠化と土壌汚染は、非常に急速に進んでいると言われています。

原点に戻れば、農業が始まった時から自然破壊が始まっているとも言えるのです。地球上の多種目雑多な種はそれだけ必要だから存在するのであって、単一種目が大量発生することは、自滅か、全体の破壊に向かうとまで言われています。農業は、自然でとても素晴らしい行いとみられていますが、基本農業の発展が、富の原点だし、富の争奪が戦争の原因とも言えます。エンジンの発明と共に、農業は、急激に発展し、機械化されたことと、農薬や化成肥料によって収量を飛躍させ、単一作物の大量作付で、土と植物の関係を壊しました。今日の農業の様な、限定された種だけを大量生産する方法は本当はとても危険なことなのです。極論で言えば、自然に出来たものを採取する方法以外の田畑は、建物と同じ自然には存在しない、人工物なのです。農業は、人工物を拡大してきたということなのです。だから、農業によって生産された食品を捨てることは、自然破壊の片棒を知らず知らずに行っていることになるのです。自然農法などと言う誤魔化しではなく、農業そのものが人工物で自然ではないということから、考えていかなければ土は再生されることなく非農耕地が増えていくばかりなのです。