大阪・寝屋川市の住宅で、内側から解錠できない二重扉や監視カメラを設置した隔離部屋で統合失調症だった長女(愛里さん)を約15年監禁し死亡後に自首したという報道がありました。平成29年1月から監禁している長女が急激にやせて衰弱していたのに、食事や治療を受けさせずに全裸で放置し、同年12月に凍死させたという事件です。長女は、小学6年生の頃に医療機関で精神疾患と診断されたとされたことから、両親が長女を自宅の室内に自作した広さ約二畳の窓もないプレハブの部屋に、布団と簡易トイレを置き、音声機能付ビデオカメラで監視、スピーカーで話していたというのです。14歳のころには不自然な姿勢で何時間も動かなくなり、17歳の時に複数の精神病院で、統合失調症の中の緊張型カタレプシー(無反応な状態、昏迷と呼ばれ、起きていて意識はあるものの、呼びかけに対してまったく反応がなく、体も固まったまま動かない状態になる脳の疾病)と診断されたと報道されています。しかし、精神障害者保健福祉手帳の申請はせず医療もその後受診はしていないようです。ただ障害者の生活のために支給される障害年金だけは受け取っていました。
長女には、何らかの異常行動はあったでしょうが、小学6年生を夫婦で監禁しなければならないと判断したことは現代では確実に異常です。長女の様子は、映像で一部残されていると報道されていますが、私たちは見る事が出来ませんから、本当の状態はわかりません。ただ、平成の初めの頃までは、障がい者施設に、重度の知的障害の人や徘徊の人などが、自宅の一部屋を牢屋のように改造して暮らしていた人が入所するということは時々ありました。つまり、家庭内で監禁することを過去には、法律でも認められていて、「私宅監置」いわゆる「座敷牢」などと言って、精神障がい者を中心に精神病院で隔離収容すべき対象者が、費用が高く誰でもが入院させられなかったので自宅や物置などに勝手に隔離収容しても違法ではなかったのです。その基本は、社会に迷惑を掛けるような人は、隔離して社会を守ることが正義とされていたからです。この考え方は犯罪に対して現在も続いています。
そして、この考え方は、制限がなくいかようにも解釈することで拡大解釈され、重度の知的障害の人などが、自宅の一部屋に隔離収容されれることも当然としました。。子供では、就学免除と言って学校へ行くことさえも拒否されていましたから、疾病になっても医療を受けられず、今回のように早死にしましたが、警察ではお咎めなしで、ご苦労様と処理され、むしろほっとしましたねという社会が少し前まで現実にあったのです。要するに、障がい者を世間に晒すなという圧力や家の恥ということよりも、世間に隠し続けることの方が評価される時代があったのです。ですから、進んで座敷牢を作り、世間に迷惑を掛けない対応こそが常識だったのです。そのような常識の中では、本人に対しての洗脳が行われます。長女を、世間から隠した両親の真の理由はわかりませんが、隔離してお前は病気だと繰り返し洗脳し続けることで、長女もこの隔離を受け入れていたのかもしれません。選択肢と情報をすべて塞ぎ、一つの選択肢のみを提示し続けることをすれば洗脳は可能です。長女は、両親の洗脳により監禁を受け入れていたから、暴れたりも逃げ出したりもせず、青春をこの部屋の壁を見つめて過ごし続けたことを受け入れていたのかもしれません。
実際、比較する違う生活を全く知らなければ、それが日常であり生活になってしまっていますから、私たちから見たなら監禁生活なのに、その生活に疑問も、不満も持っていないという事例に遭遇もしています。つまり、三才や五才の子供が虐待で死亡する報道に接した時に、人は逃げればよいのにと言うことがありますが、虐待されている生活しか知らなければ逃げようとか、助けてと言う言葉は絶対に出ません。だから、虐待は悪質と言われるのです。
情報の制限や選択肢の制限は、洗脳の第一条件で、洗脳の延長線上には虐待ということが待っています。この遠因でもある「私宅監置」は、1950年の精神衛生法施行にて禁止されるまで法内の制度だったこともあって、障がい者の監禁に抵抗感が少ないということがまだあります。親に子供の頃押し入れに閉じ込められたという思いでがある人にはそれがこの法律の影響だとは感じられないかもしれませんが、悪い子とをしたなら閉じ込めても良いが、悪いことをしそうだから閉じ込めてもいいという解釈に繋がっていく危険を知ってほしいのです。社会防衛としての隔離収容だった障がい者施設も大きく変わってきていますが、現実にまだ、私宅監禁されている障がい者がいるかもしれません。自宅監禁の代用になっている施設があるかもしれません。実際、青梅のグループホームで知的障害者が縛られて死にました。
そんな目で見ないと、愛里さんがあなたの隣人だったとしても、手を差し伸べられないと思うのです。