知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

教育者の「気概」を話せぬ腰抜け管理者の話

 山口県周南市の県立周南総合支援学校の男性教員が、高等部の生徒が集まった校内での朝礼で、肢体不自由や知的障害がある生徒らに「指導されることに感謝(の気持ち)を持つことはとても大事です」と諭し、介助が必要な生徒を念頭に「朝からお姫様抱っこしてもらって、何でかなって考えてください」などと促したという記事が出ました。この発言に苦情が上がり、県教委特別支援教育推進室の主幹は「学校からの報告で大きな問題ではないと捉えたが、不愉快に思う人もいるので、配慮した言葉遣いが必要だと指導するよう、校長に口頭で指示した」とし、「誤解があったことは申し訳なかった。今後、発言には気を付けるよう該当教員を指導した」と 周南総合支援学校の校長は釈明したそうです。この報道に接し、主幹や校長の新聞取材に際しての発言が配慮したものだったとしたなら教員よりも酷い発言だと思うのです。それは、校長らは教員の言い方のテクニック不足として「本音をそのままいうな」と言っているとしか読めないからです。障害のある大変な生徒の面倒を見ているのは分かるけど、もっと間接的に遠回しに言わないと現代は苦情が来るから気を付けてと言っているとしか思えないのです。事案の発生したこの場面には、教員と生徒しかいなかったのでしょうから、生徒が家に帰って先生がこんなことを言っていたという話を親にしたことが発端だと思うのです。教員が朝礼をどれほど大事にしているか分かりませんが健常児の学校でも朝礼での話を聞き留めて家に帰ってから家族に話をするというほど印象に残る朝礼など多くはないと思うのです。まして、家族が、障害児の伝聞で教師が云った言わないになりかねない事で苦情まで言ってきた真意は、言葉の配慮で片付けられる内容ではないと思うのです。その生徒が何を感じたのかは報道されていませんから推測するだけで正しくはないかもしれませんが、今の自分の目線で考えると、もし、生徒が健常に言葉を発することが出来たのならこう答えたかと思うのです。「自分で歩けたらここには来ません」「障がいがなかったら、教師が生徒を抱っこなんかしたら性的虐待になりますよ」「給料貰った分働けよ。ボランティアじゃないんだから」「弱いものの前で、ありがとうの恐喝ですか」「謙虚にして驕らずを感謝の代わりに贈ります」と次々に溢れてきます。本質は教師としての、気概だと思うのです。特別支援学校ですから、障害があって普通の学校へは行けない人が来ていることを知っている教員が、周囲からは大変ですねと評価されているのに、生徒に手を差し伸べながら「ありがとうは」と聞いたら謙虚さを忘れ、傲慢になったと言われても仕方がないことだと思うのです。医療の現場で、看護師が患者を抱きかかえなければならなくても、患者にありがとうはなどと言いませんし、健常児の学校で教師にありがとうを考えろなどとも言いません。それは、給料を貰っているから当然のことをしているまでと言うことではなくて、職業的使命のことだと思うのです。つまり、感謝されるは、結果として付いてくることで感謝を目的としていないという事です。特別支援学校の教師になる為に努力してきたとしても、障害があって学校を選ぶことも出来ない文句を言えない、障がいを持つ子供の教師をしているうちに、知らず知らずのうちに慢心し、自己満足を強要するかのごとくなってしまったとしか思えないのです。良い事例に、誘拐監禁による支配の関係があります。誘拐された女の子が拘束監禁された環境の中で犯人は優しかったという事例があります。自由を奪われ苦しめられると、通常では考えられない程度の対応も光の如く思えるようにすることが出来るという事です。冤罪の場合でも、拘束監禁して周りを遮断して飢えさせれば少量のエサでも食いつくというやり方と同じです。だから、県教委特別支援教育推進室の主幹や校長の発言は、特別支援学校で日々努力している教員への背信行為だと思うのです。障がいを持つ子供たちの前に立ち教育ができることに感謝している教員がいることを何も伝えようとしていません。障がい児教育に気概を持って取り組んでいる教師がいるのに、本音は大変だと思っていてもそれを言っちゃいけないよとしか報道からは読めないのです。どんな職業でも辛い時や苦しい時があって、「感謝しているって言ってほしい時も」も愚痴を言いたい時もあります。給料に比べて仕事がきついという事もあります。でも多くの職業人は、自分の仕事への気概によって立ち続けていると思うのです。一方、今回の発言は、社会に出ていく高等部の生徒に社会性として感謝の心を持とうという事を指導したかったというかもしれません。しかしその場合でも、感謝と言う事を教えるのに、本人の障害から出発してしまうと、本人が歩けない限りが周りに感謝しながら生活しなければならないことになります。それは食事のたびに食べ物が得られたことに感謝することとは全く違うのです。社会的な感謝心は必要ですが、障害により支援やサポートを受けるたびに感謝をせよは、「卑屈」に生きろと言っていることと同じだと思うのです。今日では、障害者の権利が誤解されかねない時代の中で、教育を受ける環境の整備にさえ感謝しろと教員が言うことは、教員が謙虚にして驕らずと言う指導者としての原点を忘れた発言としか思えないのです。そして管理者は根性論ではなく、気概を諭すだけの謙虚さが必要だと思うのです。

 

偉大な人に逆らう弟子たちの話

 日本人の好きな3大○〇として、仏教、キリスト教イスラム教を世界の3大宗教と言うのですが、これは間違いなく根拠のない非常識だと思っています。学校教育で堂々と言うのでみんな刷り込まれていますが、こんな括り方そのものが実に失礼だと思うのです。日本は戦前の国家神道の反動で宗教に関わってはいけないような雰囲気が強い分、私は無神論などと言いながら、神社仏閣に詣でて、家は仏教の何とか宗ですと知っていることを誇らしげに話すような状況になってしまいました。実際は、明治になるまでの長い神仏混合の深い歴史を持つだけでなく、土着信仰まで取り入れ、多神教の何でもありの宗教多様国家なのに、大きく人数で分類したなら、あなたも仏教徒と言われて、そうなんだと言ってしまうほど、宗教に疎い国民となりました。元々、宗教を人数で考えること自体が間違いで、日本の宗教団体の公表信者数を足していくと、日本の人口では足りないということが言われているように、宗教は多種多様で人数などで括ろうということが間違いそのものです。また、仏教と言っても、仏教の経典を他言語に翻訳するだけで意味が変わってしまうということがあります。翻訳された言語で研究して解釈や展開をすると、翻訳者の力量によっては違った解釈となってもおかしくはないのです。原本とその背景を踏まえなければそこに書かれている文字の意味内容が大きく違うということは沢山あります。さらに、歴史の中の師となってしまい、教えを受けたこともない遠い弟子たちは、自分に都合のいいように解釈して、宗派や派閥を作り私利私欲に利用しているなんてこともしばしば起きています。絶体神のキリスト教であっても、旧約聖書新約聖書も一つなのに解釈の違いで多くの宗派があるように、時代に応じて弟子たちは自分の都合のいいように解釈し、利用してきたという歴史的事実もあります。それは、偉大な人を頂いていても、弟子は尊師を超えられないということでもあり、弟子は尊師の言うことを実践するどころか、逆らっているかの如く見てきたようなウソを云う実践しているとしか思えないのです。例えば、仏教 「どの方向に心で探してみても、自分よりもさらにいとおしいものをどこにも見いだせなかった。そのように他人にとってもそれぞれの自己がいとおしいのである。それ故に自分のために他人を害してはならない」(ウダーナヴァルガ第五章第18節)と尊師は言ったということです。イエスキリスト「イエスは言われた(中略) あなたは隣人を自分自身のように愛さねばならない」(マタイ22-39新世界訳聖書)と言って、自分を愛する如く他者を愛せと言ったそうです。イスラムの聖人は、「人間にとって最も愛しいのは自分自身であり、自分が生きながらえることであり、自分が人格的かつ能力的により完璧な存在へと高まっていくことであり、また反対に最も憎らしいのは自分自身が消滅してしまうことであり、自分自身が傷付くことであり、自分自身の完璧さが損なわれる事である。この事実は生きとし生けるものすべてに当てはまり、自己愛のない生きものなど考えられない。」(イフヤ・ウルミーニッニディーン、ガザーリー師)と簡単明瞭に自分を大切にすることを説いています。もし、世界3大宗教の弟子たちが偉大な師の言葉を実践すべく人に伝えていたのなら、戦なんてあろうはずがないのです。弟子たちが他人を「救う」なんて偉人だけにしか出来ないことを自分でも出来るような事を吹聴せず、偉人の言う、「自分が一番大切だ」だから「自分を大切にしている他人に害することをしてはならない」と自分の利益のために、他人を攻撃することを止めさせたなら戦争なんてないと思うのです。どの偉人も言うのは、「自分を大事にしなさい」であり「他人に害なしながら自分を大事にすることは駄目だ」と言うことでそれは真理だと思うのです。だから、戦争なんて絶対ダメだと言われているのと同じです。なのに、歴史を見ても、宗教が戦争の一端を握っているのは事実で、それは偉大な人に弟子が逆らっているからだとしか思えないのです。宗教だからこそ、「自分を大事に」「他人に害せず」を諭してほしいと思うのです。

宗教は支配関係で成り立っているの話

 ネアンデルタール人は家族単位で生活し、我らの祖先は複数家族の連合体として生活していたことが、生き残った主たる要因ではないかと言う放送を見て、なるほどと感心していたら、ダメ押しとしてその連合体を結びつけたのが原始宗教ではないかというところでまたもや引っかかってしまいました。確かにどんな小さな社会にも、宗教があって、世界の密林の中の部族もシャーマンがいて儀式があるというのは事実かもしれませんが、そんなことまで宗教の始まりとするのは、無理があると思うのです。例えば、埋葬と言う儀式は人類しかしませんが、なぜ埋葬するのかと問われると現代の人は、葬式仏教と言われるほど埋葬が宗教儀式として行われている事にしか接していませんから、宗教的なものと推測しがちです。でも、実際は、単なる死体の処理方法の一つにすぎませんから宗教などなくても出来ることなのです。死んだということは、生命体としての活動は絶対に出来ませんから、他の動物に食べられないように土に埋めても腐敗して原型は留めませんし、乾燥させてミイラにしても死体が変形するだけで、復活はありません。つまり、3万年も前の埋葬遺跡から、人間は死んだらどうなるのかと言う事を考えていたのではないかと言う事を、推測することには異論はないないのですが、埋葬が原始的であるとは言っても宗教的な成立を証明するとは言えないと思うのです。そして、その埋葬の儀式を初めとして儀式が複数家族を連合体として結びつける共通の要素を含んでいるので原始的宗教の始まりの大きな要因だったということには疑問があると言えます。何故なら、人間は死んだらどうなるのかと見えない世界を推測する前に、目に見える実感として先祖の事を考えると思うのです。それは、自分の前に親がいて、親の前に祖父母がいるけれど、一体どこから来たのか。我らはどこから来たかと言うことが死んだらどこへ行くのかを考える事前に考えることだと思うのです。ですから、どこの民族にも、どこから来たかの伝説が残っていて、死は、そこへ帰るということが多くあります。その様な考え方では、埋葬の儀式は、帰るためのサポートにすぎず、その方法は様々で宗教的要素はなくても出来ることです。死後の世界はあるのかと言う疑問に答える形で宗教的要素が付加されていくものと考えられますから、家族の連合体を構成する主要要素に宗教の芽生えを考えるのは片寄を感じざるを得ないのです。むしろ、家族が連合体として活動するようになったのは、学習能力によってだと考えた方が分かりやすいと思うのです。つまり、食糧確保の狩りをする上では多人数で鋏うち的だったり、取り囲む集団戦の方が遙かに効率的だということの発見とボス的要素が薄かったからと思うのです。縄張りを確保して家族単位で狩猟していても生活が出来る何万年ものネアンデルタール人生活様式では、強い雄の元家族で暮らすことが安定した生活であったと思われます。ところが地球規模での気候変動などが大きくなると縄張りの中での安定性が失われます。動物が少なくなれば狩猟は難しくなりますし相手の反撃による損害も大きくなって、家族単位での狩猟に適した人員が減れば尚更食糧難になります。動物で考えると、単独で狩猟する力が強いトラが集団で狩猟をすれば確実なのにトラは集団を組みません。ライオンは、グループで狩りをします。オオカミは家族単位で暮らして集団で狩りをしますが、複数の家族が連合することはありません。しかし、分配になれば人数が多いほど不利で余程多量の収穫がなければ集団の意味は失われます。トラは、仕留めれば全部自分のものですが、ライオンやオオカミは上位の者から食べますから下位の者は十分に食べられるほどの収穫がなければヒモジイ思いをしなければなりません。一方、多人数でいる方が、防衛と言う意味では敵対する動物や相手に対しては有利です。肉食動物に襲われる心配も多数で暮らしている方が有利ですが、その人数を養うだけの収穫がなければ集団は維持できません。つまり、精神的な宗教の儀式よりも現実的な生活の維持のために家族単位が適切か、複数の連合の方が適切かの選択を、気候変動と言う大きな変化によって試され、一匹ずつ吊り上げる竿方式よりも、一網打尽にする網方式の方が、有利だったとしか思えないのです。そして集団での狩りには、合図から作戦からと打ち合わせや役割分担が必要になってくることから縄張りを維持してきた強いボス同士では、どうしても出来ないと思うのです。我らの祖先は、君臨するボスの元ではなく、調整型の雄の集まりだったから役割分担が苦にならなくて適応していたのだと思うのです。そして、連合体の気分を盛り上げるのが儀式で、儀式の進行は体力で最上級者でなくても可能でそれがシャーマンであったとも思われるのです。宗教心を持っている人には、集団の心のつながりとしての宗教を意識するのでしようが、我らの祖先が何万年と続けた複数家族の連合体には、原始であったとしても宗教よりも生活の利益を共有するための儀式が優先されていたと思うのです。リーダー的存在も、リーダーを権威づける儀式も必要ではあったと思うのですが、それが宗教の芽生えとは言えないと思うのです。宗教を信じる人にとっては、人間が集団を維持している根底に宗教を据えたいと思うのでしょうが、宗教は権力者に利用されたり、宗教自身が権力者に成ったりと決して人間の良心であったわけではありません。自然に対する畏敬は、自然の中で暮らしていた人類には当然のことで、死への不安も死後の世界もそれほど意識されたものではなかったとしか思えません。3万年前の埋葬された遺跡に、宗教性や死後の世界感があったとも思えないのです。つまり、日本で言えば、縄文時代の人が何を考えていたのかさえ分からないし、遺跡なんて偶然そのもので砂浜の一個の砂金ぐらい珍しい価値はあっても、それが一般的とは言えないのです。しかも残っているのは形があるものの一部であり、生活の実態の100%はわからないのです。言語に関していえば、完全に分からないのです。例えば、人肉は食べないというのは現代の感覚ですが、死ねば食料になったとしても何の不思議もない事です。近親婚も普通にあったでしょうし、雌と雄としての成り立ちでは特別なルールはなく普通の哺乳類としての反応しかしていなかったと思うのです。だから、宗教の発端ともなる死への不安とか、死後の世界への不安は、自然との関係よりも、人間同士の戦いの中にこそ必要となったと思われるのです。3万年も前に埋葬された遺跡が見つかったことは実に素晴らしいことだけれど、そのことから宗教の存在を語るのは、無理があると思うのです。

 

後ろ盾あっての自分だったと自覚しない高齢者の話

 神戸市こども家庭センター(児童相談所)で夜間対応にあたっていた委託相談員が、午前3時半ごろ、児童相談所を訪れて「家を追い出された」と訴え助けを求めた小学6年の女児に「来るところを間違えている。警察に相談しなさい」と言って、女児の年齢や名前も確認せず、インターホン越しの短い会話で済ませ、マニュアルに定められたセンター係長への報告もせず、追い返すという事件がありました。この女児は、午前3時40分頃におよそ300メートル離れた交番を探し当てて駆け込み「児童相談所に行ったが『警察に行け』と追い出された」と説明し詳しい話を聞いた警察は、真夜中に家を追い出す行為は虐待にあたるとして児童相談所に連絡し、女子児童は午前5時半すぎになって結局児童相談所に保護されました。相談員は、自分の行為が間違っていたとは思っていませんから当然報告もしません。その為、担当の係長は同日朝、警察署からの連絡で初めて事態を知ることとなったのに児童相談所は、同日中に男性職員に聞き取りを行いますが、所管する市のこども家庭局には報告しないのです。市は報道機関の問い合わせを受けた18日午後になって問題があったと確認します。つまりどこの接続部分も断線していて、大変な事、報告すべきこととは思っていませんから、本来のルートではないところから指摘されては確認している状態なのです。その為、本来なら隠ぺいしていただろうことが、表面に浮かび上がってしまった氷山みたいなことになってしまいました。神戸市は、阪神・淡路大震災後の行財政改革の一環で、民間委託を2005年度から導入しNPO法人「社会還元センターグループ わ」と言う団体に約15年ほどこの夜間・休日業務の委託を実施してきました。この団体は、神戸市シルバーカレッジで3年間学んだ人を会員として一人ひとりの知識や経験を生かし、災害復興支援や高齢者の生涯学習サポートなどを行うとしており、児童相談所の夜間の対応業務には自ら志望した32人があたっていたとのことです。この状況から推測しても、この相談員も過去の履歴は、教員とか福祉施設職員とか、教育や福祉の経験者ではなかったかと思うのです。だから、自分の判断に独断で自信を持って、マニュアルにある係長への報告も必要ないと判断していたし、露見して取材を受けても、「見た目が大人っぽかったので緊急性を感じなかった」とか「(インターホン画面では)高校生にみえ、冗談だと思った」と話しているように反省なんか一つもしていません。さらに追い返したこの70代の男性相談員は、既に5年ほど業務に従事していますから、自己判断で報告も相談も連絡もしなかった追い返された事例は、何件もあったと思われます。だから居直るかのように、今後この業務は担当しない意向を示しているというだけで、罰も受けなければ、人の人生に関わることだという自覚もないまま、そんなことを言われるのならやめてやると言う態度を示しています。市は、言い訳コメントとしての、相談員用マニュアルの改訂や研修方法の見直しを進めると言い、NPO法人の大槻隆文理事長も研修などを行い、相談所からの指示に従うよう徹底したいといいますが、何も変わるとは思えません。深夜3時に、女の子が訪ねてくればまず中に入れますが、インターホン越しで直接会おうともせず、助けを求めているのに、内容も確認せず緊急性がないと自分で決めつけられる感覚は、自分の経験値による判断で、児相は高校生も対象なのだということさえ自覚なく、高校生に見えたから確認もしないというのは自分の経験上これは対象外だと自信を持っていたから出来たのです。そして、女の子が警察へ行かなければ誰にも知られることなく、経験者としてこれからも続けていたのです。そして、自分のその経験値からくる驕りが、身勝手な越権行為の判断まで行っていた事実があるのに謝罪できないのです。前歴に余程自信があったのか、どんな経験があったのかわかりませんが緊急性なしと勝手に判断しただけでなく、追い返すという業務違反まで行っていても、謝罪することが出来ないのが、高齢経験者が陥る過去の背景へのすがり付きなのです。それは高齢者が経験を生かして再就職するときに、以前の職場の地位や経験値をそのまま持ち込むことが多いというはいけいです。そればかりではなく、その時に後ろ盾になっていた組織の感覚をそのまま持ち込むということです。退職したなら、あなたはもうその組織の後ろ盾はなくあなたの実力で独り立ちしなければならないという事が理解していないということです。特に公的機関に勤めていたり、人に指示したり、人に説教をしていた人は、教わるという姿勢になれず、すがり付く様に自分の経験を振り回します。しかし、その経験で出来たことはその組織の権威や後ろ盾、人的資源があって成り立っていたのであってあなたの力はその一部でしかなかったという自覚が出来ません。逆にそれを外してしまうと、普通の高齢者よりも柔軟性のない困った高齢者になりかねないのです。高齢者が、自分の経験を生かしてボランティアのつもりで、人の人生に関わる仕事に付くには、固まってしまった自分の思考と感覚を洗い直さなければ出来ないという事が分かっていません。高齢者の雇用で過去の経験を尊重するとき、組織人の中での個人を自覚していない人を雇用すると、所属していた組織の亡霊を背負った身勝手な高齢者に任せてしまうことになってしまいます。組織と言う後ろ盾は、あなたが駒だったから守ってくれていたのであって、退職後は、使い捨てられた駒であることを自覚しなければならないのです。定年退職後の生活の中で、過去の経験を生かして世のために何かしたいという人は、教育や福祉に多くいて素晴らしい事ですが、意地を張らない、素直な学びの頃に一度戻らないと、事例の様な事になってしまうと思うのです。

 

 

生きていたらまた施設にいれるんでしょの話

 被害者の家族というのは、障害とか身分とか関係なく、みんな加害者を憎み、非難します。それは当然と言えば当然で、罪を憎んで人を憎まずなんてことは、当事者ではない人の観念の話で普通の感情を持っているなら出来ることではありません。ですから植松被告に相当厳しい言葉を投げかけても当然と言えます。しかし、その言葉は、植松被告を変えないし、感情的な言葉は植松被告の確信をさらに強めることになると思われる行為としか思えないのです。

 何故なら、43歳の息子を亡くした甲S(名前は公表されていないので裁判名)さんの母親は出廷し生の声で言ったのではなく陳述書で、「息子が亡くなった日から時間は止まったままです」「息子を返してほしい。息子ともう一度、会いたいです」と訴えました。被害者のほとんどが匿名の中、ちゃんと『美帆』という名前があるとして、初公判に合わせて名だけを公表した母親は、「私の人生はこれで終わりだと思いました。自分の命よりも大切な人を失ったのだから」「未来をすべて奪われたのです。美帆を返してください」と言いました。しかし、母親は、被害者特定事項秘匿制度に基づき意見陳述の際には植松聖被告と対峙したのではなく、傍聴人からも見えないよう、法廷内の衝立に隠れて話しています。甲Sさんの母親も美帆さんの母親も、植松被告に面と向かって話したのではないのです。だから本人を返してくださいと言いっても、もし帰ってきたら結局また施設に入れるんだろうという植松被告の問いかけに全く反論していないのです。

 植松被告は、「この裁判の本当の争点は、自分が意思疎通を取れなくなる時を全員が考えることだ」と言ったように、重度障害者を念頭に意思疎通の難しい人たちを排除することが「社会の役に立つ」と言っています。その根底には、入所施設に入れることは、家族から排除されていることだと結びつけているからです。自分の命より大切と言いながら、結局施設に預けてしまわなければならない現実に、障がいを持つ子を持って幸せだったというのなら、なんで施設なんかに入れるんだと言う問いに答えていないと思うのです。

 現在正確に統計が計られていませんが、知的障がい者と認定されている人は100万人ぐらいいる中で、施設入所をしている人は約13万人程度で、そのほとんどは家庭の事情です。自らではありません。施設生活で掛かる1か月の費用は約30万円程度で個人の負担は、最大で6万円ぐらいですから約25万円程が税金となります。悲惨な事件があったと、やまゆり園が取り壊しになっても自宅に帰った障害者はごく限られていて、ほとんどは新しく出来る入所施設に移るだけです。県は、約120人のやまゆり園の利用者に対して、1施設に66人定員で2施設作ると言っています。それに対して、家族会長は「ずいぶんと規模が縮小し、家族の納得とはほど遠い」と話すように、初めから入所施設を利用する事が前提なのです。

 そのことを捉えて植松被告は、重度の障がい者が家族にとって負担だから、家族から排除されて施設に捨てられているのだから、それは社会にとっても負担なんだ、だから排除した自分と同じではないかと思っているだけだと思うのです。知的障がい者の入所施設が満床なのは、死なないと空床にならないからで、生きているうちに地域に戻れるシステムが構築されているのなら、植松被告にお前は間違っていると明確に言えますが、実際は、残念ながら重い障がいで家族や地域で支えられないと言われたら、施設で暮らさなければならないのが現実です。

 植松被告は施設で働くことで、施設の中にある虐待の類似行為や怪我をしても出ていけと言われることを恐れて、可愛いと言いながら何も言わない家族の本音をどこかで見たり聞いたりしたのでしょう。そして、文句も言えない重度者が誰からも守ってもらえないでいると感じたのかもしれません。そして、死んだら手のひらを返したように自分の命より大切だと言うよりも生きているうちに施設なんかに入れるなと言いたいのだと思うのです。今回も、死んだ子の親は返してくれと植松被告を非難しますが、帰ってきたら施設へ入れなければならないとしたら、植松被告にやっぱりなと言われてしまいます。公判で美帆さんは自閉症で言葉を発することはなかったが、「とても人が好きで、人懐っこい子」「笑顔がとてもすてきで、まわりを癒してくれました。ひまわりのような笑顔でした。」と母親が話すなら尚更に、なんで施設に入れたのかと誰もが思うことです。結局、家族の一員の証明である苗字も出せないことや顔も出せない問題を語ることなく、植松被告だけを非難しても、植松被告からしてみれば大切と言いながら施設に捨てるじゃないかと益々確信を持つだけだと思うのです。

 障がい者にも生きる権利がある、障がい者の人権を尊重すると話す事は簡単ですが、その権利は誰が保証してくれるのかと言う事が一番の問題だと思うのです。障がい者に対する理想や理論は、誰もが受け入れ反対もしませんが、現実社会では保証人にも権利を守る人にも簡単にはなってはくれません。神仏に祈ってくれる人はいても、障がいと言う試練ばかりを与える神仏は、障がい者を守ってはくれたことなどありません。守れるのは、生きている人間だけです。世界の中で子供たちが虐待され、殺され、売買されていても、その国に守る力がなければ守られないのです。奴隷の如く扱われ、飢えて死んでも、守る力がなければ守れないのです。日本の障がい者を国が守ってはくれない廃棄民の時代はついこの間まで続いていました。どんなに人権を尊重すると言っても具体的な対応がなされなけば生身の人間は守られません。重度の身体障がい者が一人暮らしをすると介護費用が月に80万円ぐらい掛かります。そのお金を誰が負担するかと言うことです。人権を守り権利を守ると言う、今の、国の福祉観は自立です。しかし、国の言う自立とは国に迷惑を掛けずに自分で稼いで生活しろと言うことなのです。その為には障がい者が稼げる環境を作ろうと、障がい者の工賃を上げろ、障がい者を雇用しろと罰則まで設けて進める政策を掲げて努力しているように見せていますが、その背面は、障がい者の権利を守るためではなく、障害者年金や生活保護の様な公金の支出を減らし社会から広くお金を集めるという事が目的で、障がい者に掛かる負担を広くみんなに求めているにすぎません。

 その広報に利用しているのが「人は働くことに喜びを感じる」と言うフレーズです。綺麗な言葉に見えますが今日の経済活動と生活を考えた場合の労働は、人間の本質ではなくお金を得るために働かなければならないという強制された環境の労働です。つまり、国の言う自立は、扶養ではなく自分でとにかくお金を稼げの働くことであり、お金を稼ぐという意味の働けるようになることなのです。ですから、働けない人はどうするのですかと言う問いには国は答えないのです。国にとっては今でも、働けない人は、お荷物であり負の資産でしかないのです。植松被告の言う排除される対象なのです。

 母親は植松被告に「私は娘がいて、とても幸せでした。決して不幸ではなかった。『不幸をつくる』とか勝手にいわないでほしいです」と言ったように、多くの障がいを持っている子供を抱えた母親が、「不幸」ではないと言いますが、やまゆり園の施設長が「家族の不安に向き合って説明し、利用者の暮らしの場をつくっていきたい」と言うように現実には国の支援なしには子どもを守っていくことが出来ない人もいるのです。だから、施設と言う障がい者だけを集めた生活の場に送り込みながら私は「幸せ」と言えるのは少し違うと思うのです。障がい者を家族に持つ、兄弟姉妹の苦労を考えたら、母親が私は幸せだったとか、人生を学んだ教師だったと言っていることが空虚に聞こえるのです。障がいを持たされた本人は本当に大変なのです。だから広い理解と支持が必要で、障がい者を家族が抱え込んではならないという施策が、排除の論理に立ち向かう世論が必要なのです。

 人の不幸は蜜の味と言う言葉があるように、差別と偏見の根源には個人の力ではどうにもならない様々な不幸があると思うのです。母親が、障がいの子がいても不幸じゃないと言うのなら、人に頼ることもないという事になってしまいます。障がいは、個人の力ではどうしょうもない本人の不幸だからこそ、社会が幸せにしなければならないということだと思うのです。不幸な人が一人もいなくなるように、国や社会が考え行動しなければ、植松被告の言う排除の論理が拡大してしまいかねないのです。障がい者を守る施策は今も日本では確立されていません。障害者差別も厳然と続いています。被害者感情は大事ですが、そればかりが強調報道されて植松被告を特別な犯罪者に仕立てしまうことでは、植松被告の言う排除の思考を否定出来ないし、障がい者を守る国の施策に反映されるとは思えないのです。

 

隠れ植松被告が台頭するかもしれない福祉国家の話

 被害者の家族までもが植松被告に面会して話していたりしているのに、裁判でも、社会の望む方向での反省の言葉が出てこないこともあってか、マスコミを含めて植松被告の独特の考え方が事件の原因との方向に流れてきている今日ですが、障がい者を抹殺する考え方は、日本の過去100年の歴史の中では国家のプロジェクトだったと言う事を忘れないで欲しいと思うのです。マスコミは「障がい者はいらないと身勝手な主張を繰り返す」と非難しますが、この考え方は、植松被告が独自に作り出した身勝手な主張ではありません。彼が言っていることは明治以来の日本の国が行ってきた障がい者行政を、なぞり繰り返しているに過ぎません。それれは、逆に、事件を、植松被告の特異性にすり替えようとマスコミを含めて画策しているようにも見えるのです。簡単に言うなら、障がい者差別の根幹は、障がい者はいらないということから始まっているのですが、誰も、植松被告のように直接手を下すと言う過激なことは出来なかったということだと思うのです。実際の障がい者政策は、穏便な手段方法で、障がい者が排除されるように行われてきました。優生保護法が改正されたのは平成8年です。この法律によって強制的に避妊手術させられた生き証人がまだ生きて居るぐらいちょっと前まで存在していましたし、知的障がい者は、公務員試験さえ受けられないような条件を付けられて、公務員の仲間には入れてもらえません。同様に、大きな企業は特例子会社方式で、自分たちとは違う条件、違う場所に集めて、仲間にはしてくれません。障がい者は、生まれてくるべきではないという考え方で、出生前検査がより精密になることに期待している関係者は増々大きくなっていますし、現実に検査によって処理されてもいます。そこには、個人の身勝手な考え方ではなく、障がいに対しての不安が社会の底流として今もとうとうと流れていることを示しています。だから、マスコミも、植松被告の独特の考え方として非難しますが、障がい者の生存意味に関して理論展開をしません。もっと言うなら、マスコミ自身の会社が、障がい者雇用の実態を晒してどれだけ障がい者の仲間がいるかを示すべきでもあります。マスコミなどが、感情的ではない、障がい者の生存意味を語るべきですし、人を非難をするより障がい者差別をしていない実践を語るべきです。記者の中に障がい者の仲間がいるのなら。社会が豊かだから、感情的、情緒的に、生きる権利などと気軽に言っていますが、どれほど国が、障がい者を廃棄民として扱ってきたかを考えるなら、マスコミを含めて公的機関が、植松被告に何もかも押しつけて障がい者を守る砦の様な態度をすることは適切とは思わないのです。逆に、社会が貧しくなれば植松被告の様な考え方が社会の考え方として、英雄視されかねないのです。現実にトランプ氏であれ、ヨーロッパの極右と言われる人々の台頭であれ、貧困は差別を生産し、暴力を容認してきた歴史があります。植松被告、個人の仕業にしてしまうことで収束してしまうことは、植村被告が言うように、日本の行政が実施したり、差別を助長してきたり、暗に無視することで消滅を望んできた事を、植松被告が声に出して言ってしまった、実行してしまったにすぎ無いことになってしまいます。今、障がい者の生きる意味を感情的ではなく、説明できる人は多くはいません。ですから、隠れ植松被告の方が多いのではないかと言われてしまうことでもあるのです。障がい者の生存に関して社会や家族の負担感を語られたとき完全に否定できる人は多くはないのです。植松被告の言っていることに過激だとは思うが、完全否定は出来ない社会が現実にあるのです。その一つが、死んでも個人名が明かされていないという現実です。逆に、誰にでも生きる権利があると言いながら、複数の人間を殺せば死刑に出来るという現実です。罰として死がある一方で、国がその人間を不用と判断したなら、国は自ら手を下さない方法で、棄民を行ってきました。今でも、障がい者のグループ―ホームを作るのに地域住民の反対で断念しなければならないという実態があります。そんな実態に植村被告が、そらみろ、どんなに格好つけていても自分の事となったら嫌なんじゃないかと笑っているような現実があります。どんなにパラリンピックの素晴らしい選手を見たところで、自分や自分の家族があの舞台に立っていないことを心の中で良かったと思っているという本音は変わっていません。誰もが、自分の子に障がい者が出生することを負として認識し、不幸として感じる底流がそこにはあるからです。ちょっと前までは、座敷牢だってありました。精神病院に長期入院させられた人は沢山いますし、山の中の施設に捨てられた障がい者もいますし、死亡率と言う回転の速い老人ホームが儲かった時代もそんな昔の事ではありません。植松被告が、高齢者に接していたら、姥捨て山の再来を言い出したかもしれません。それほど、現代の社会でも、障がい者が普通に生きられる社会ではありません。この現実に出会う度に、植松被告がやっぱり世間の本音はそうなんだよと言っているということでもあります。問われているのは、真から植松被告を否定できない社会の弱さだと思うのです。差別心は、人間の欲望と共にあり、欲望は人間性と言う精神を疾病に至らせるに十分な毒性を持っているということだと思うのです。

もはや日本は、先進国では無いと言う話

 GDPなどの指標や統計数値を使って、もはや日本は、先進国では無いと言う事を、とても理詰めで、誰もがなるほどと云えるようなテレビ放送がありました。とにかく、ランク好きの日本人には、世界のランクが落ちたというだけで、大きな話題になります。しかし、立ち止まって考えてみると、「先進国ってなーに」と問い直すべきことだと思うのです。何故なら、ぼんやりと日本は先進国だと思っている人に何が先進国なのですかと問えば経済的な側面では自信を持って答えてもその他の分野で追求されると答えに窮するという事が沢山あります。そして、経済力が先進国の主要な条件だとすると、なーんだ金持ちが偉いってことか、になってしまいます。先進国であろうアメリカは人種差別と言う課題だけでなく宗教から来る様々な偏見や不条理を社会が抱えていますし貧富の差が大きい国でもあります。イギリスはと言うと王室だけでなく貴族もいる国で身分制度が残る国です。しかし、先進国の定義は意外と曖昧で、工業化を達成し、技術水準や生活水準が高く、経済発展が進んだ国家と言うことらしいのですが、この基準で見ても、金持ちが偉いと言われているのと同じことに思えます。さらに対義語が、開発途上国とか発展途上国などと言うことですから、経済的に豊かなことが先進国の条件だと言うことになりそうです。過去の日本には立身出世と言う言葉があり、成功することが、裕福になる事が、男の人生としての目標と言う時代がありました。それは、江戸時代の身分制からすると革新的で且つ実力主義の社会でもあります。同様に戦後の民主主義の中でも、出生や親の職業等に差別されることなく、実力さえあれば個人の能力で上に行けるという、権力者に成れるということが言われ、立身出世も夢じゃない時代もありました。しかし、冨者がいる時には貧者がいるというのが資本主義経済の原点ですから、みんなが冨者なんてことは現代でもありません。むしろ、富の分配や利益の誘導について、多様化と複雑化が進んで、混迷を深めているのが今日です。それは、世界の貧困問題としても語られていますし、今日の局地戦争の原因でもあります。今の中東の争いの原因を探っていけば、先進国の利害によって延々と続いていることが分かりますし、発展途上国と言われる国の主張をきちんと聞くなら、どれだけ先進国が狡い方法で豊かさを保持しているかを知ることとなります。今日の地球温暖化を招いたのは、先進国が富のために地球に酷いことを散々行ったせいだとも言われています。一方、経済的に日本を抜いた中国を先進国とはまだ言おうとしていません。国民の所得が少ないとか色々な難癖を付けていますが、このことは先進国と言うブランドには、覇権国の利害が大きく影響していることの証明でもあります。そんな、先進国と言うブランドを、日本は本当に必要としているものなのでしょうか。アジアの中で初めて先進国の仲間入りをした苦労を語る人たちや先進国のブランドを得るまでの艱難辛苦を乗り越えてきた人たちには、死守すべきラインなのかもしれませんが、そんなブランドにしがみつかなくても、もういいと思うのです。つまり、他者の評価も大事ですが、自己主張する独自性も大事だと思うのです。一度ブランドを手に入れると、あれもこれも上位ランクを望みますが、実際のブランドの基準は欧米基準にあって、アジアの基準は参考にもされないということに気付いているのにいつまでも欧米の権威にすがる政策はもういいと思うのです。所詮、様々なランキングはデーターの一つであって目標ではないと思うのです。実際、アメリカは、先進国で世界の覇権を握っていますが、国内の多くの人は世界の事など考えていないことがトランプさんになって鮮明になりました。宗教的に外部と閉ざした生活をしている人も沢山います。日本のようにみんなが先進国意識に価値を見出しているわけではありません。むしろ日本では、先進国と言う優越感が、後進国を見下してそれが国内に転じて、大企業と中小企業の差別を生みだし、優位と劣位が人間の優劣の様な感覚まで日本に植え付けていると思うのです。人を従えることが、立身出世であり、上位ランクにいることが成功者であり下位ランクに暮らすことが負け組となっています。先進国というブランドを手に入れてみると、教養が足りない、人権保障が足りない、欧米並みの民主主義になっていない等々の成上がり者批判を受け続けているのに、裕福さのランキングや幸せ度ランキングなんて訳のわからないランキングにまで過剰に反応しなければならなくなっています。つい200年前までは、世界中の人間は、ほとんどが農民(生産者)だったのに、工業化によって労働者層を作り出し、この労働者の働き口のために、消費の拡大需要を作り出さなければならない先進国の工業・商業の在り方が、消費拡大回転経済ともなって環境の激変をもたらしました。米国・英国・仏国なんかは不動の先進国の顔をしていますが、歴史の偶然で先進国になったにすぎず、先進国としてたゆまぬ努力をしているとも思えません。経済的な裕福は、現在では物の豊かさと置き換えられていて、ただ溢れているだけの状態も生み出しています。それを豊かだと表現することも問題だと思うのです。環境を含めて先進国と言うブランドは、地球に対するいじめっ子の代名詞のようになっています。ですから、もはや日本は先進国ではないと再び叱咤激励するのではなく、もう、欧米とつるんでばかりではいられないと言ってしまえばいい時期に来ていると思うのです。