知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

もはや日本は、先進国では無いと言う話

 GDPなどの指標や統計数値を使って、もはや日本は、先進国では無いと言う事を、とても理詰めで、誰もがなるほどと云えるようなテレビ放送がありました。とにかく、ランク好きの日本人には、世界のランクが落ちたというだけで、大きな話題になります。しかし、立ち止まって考えてみると、「先進国ってなーに」と問い直すべきことだと思うのです。何故なら、ぼんやりと日本は先進国だと思っている人に何が先進国なのですかと問えば経済的な側面では自信を持って答えてもその他の分野で追求されると答えに窮するという事が沢山あります。そして、経済力が先進国の主要な条件だとすると、なーんだ金持ちが偉いってことか、になってしまいます。先進国であろうアメリカは人種差別と言う課題だけでなく宗教から来る様々な偏見や不条理を社会が抱えていますし貧富の差が大きい国でもあります。イギリスはと言うと王室だけでなく貴族もいる国で身分制度が残る国です。しかし、先進国の定義は意外と曖昧で、工業化を達成し、技術水準や生活水準が高く、経済発展が進んだ国家と言うことらしいのですが、この基準で見ても、金持ちが偉いと言われているのと同じことに思えます。さらに対義語が、開発途上国とか発展途上国などと言うことですから、経済的に豊かなことが先進国の条件だと言うことになりそうです。過去の日本には立身出世と言う言葉があり、成功することが、裕福になる事が、男の人生としての目標と言う時代がありました。それは、江戸時代の身分制からすると革新的で且つ実力主義の社会でもあります。同様に戦後の民主主義の中でも、出生や親の職業等に差別されることなく、実力さえあれば個人の能力で上に行けるという、権力者に成れるということが言われ、立身出世も夢じゃない時代もありました。しかし、冨者がいる時には貧者がいるというのが資本主義経済の原点ですから、みんなが冨者なんてことは現代でもありません。むしろ、富の分配や利益の誘導について、多様化と複雑化が進んで、混迷を深めているのが今日です。それは、世界の貧困問題としても語られていますし、今日の局地戦争の原因でもあります。今の中東の争いの原因を探っていけば、先進国の利害によって延々と続いていることが分かりますし、発展途上国と言われる国の主張をきちんと聞くなら、どれだけ先進国が狡い方法で豊かさを保持しているかを知ることとなります。今日の地球温暖化を招いたのは、先進国が富のために地球に酷いことを散々行ったせいだとも言われています。一方、経済的に日本を抜いた中国を先進国とはまだ言おうとしていません。国民の所得が少ないとか色々な難癖を付けていますが、このことは先進国と言うブランドには、覇権国の利害が大きく影響していることの証明でもあります。そんな、先進国と言うブランドを、日本は本当に必要としているものなのでしょうか。アジアの中で初めて先進国の仲間入りをした苦労を語る人たちや先進国のブランドを得るまでの艱難辛苦を乗り越えてきた人たちには、死守すべきラインなのかもしれませんが、そんなブランドにしがみつかなくても、もういいと思うのです。つまり、他者の評価も大事ですが、自己主張する独自性も大事だと思うのです。一度ブランドを手に入れると、あれもこれも上位ランクを望みますが、実際のブランドの基準は欧米基準にあって、アジアの基準は参考にもされないということに気付いているのにいつまでも欧米の権威にすがる政策はもういいと思うのです。所詮、様々なランキングはデーターの一つであって目標ではないと思うのです。実際、アメリカは、先進国で世界の覇権を握っていますが、国内の多くの人は世界の事など考えていないことがトランプさんになって鮮明になりました。宗教的に外部と閉ざした生活をしている人も沢山います。日本のようにみんなが先進国意識に価値を見出しているわけではありません。むしろ日本では、先進国と言う優越感が、後進国を見下してそれが国内に転じて、大企業と中小企業の差別を生みだし、優位と劣位が人間の優劣の様な感覚まで日本に植え付けていると思うのです。人を従えることが、立身出世であり、上位ランクにいることが成功者であり下位ランクに暮らすことが負け組となっています。先進国というブランドを手に入れてみると、教養が足りない、人権保障が足りない、欧米並みの民主主義になっていない等々の成上がり者批判を受け続けているのに、裕福さのランキングや幸せ度ランキングなんて訳のわからないランキングにまで過剰に反応しなければならなくなっています。つい200年前までは、世界中の人間は、ほとんどが農民(生産者)だったのに、工業化によって労働者層を作り出し、この労働者の働き口のために、消費の拡大需要を作り出さなければならない先進国の工業・商業の在り方が、消費拡大回転経済ともなって環境の激変をもたらしました。米国・英国・仏国なんかは不動の先進国の顔をしていますが、歴史の偶然で先進国になったにすぎず、先進国としてたゆまぬ努力をしているとも思えません。経済的な裕福は、現在では物の豊かさと置き換えられていて、ただ溢れているだけの状態も生み出しています。それを豊かだと表現することも問題だと思うのです。環境を含めて先進国と言うブランドは、地球に対するいじめっ子の代名詞のようになっています。ですから、もはや日本は先進国ではないと再び叱咤激励するのではなく、もう、欧米とつるんでばかりではいられないと言ってしまえばいい時期に来ていると思うのです。