知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

後ろ盾あっての自分だったと自覚しない高齢者の話

 神戸市こども家庭センター(児童相談所)で夜間対応にあたっていた委託相談員が、午前3時半ごろ、児童相談所を訪れて「家を追い出された」と訴え助けを求めた小学6年の女児に「来るところを間違えている。警察に相談しなさい」と言って、女児の年齢や名前も確認せず、インターホン越しの短い会話で済ませ、マニュアルに定められたセンター係長への報告もせず、追い返すという事件がありました。この女児は、午前3時40分頃におよそ300メートル離れた交番を探し当てて駆け込み「児童相談所に行ったが『警察に行け』と追い出された」と説明し詳しい話を聞いた警察は、真夜中に家を追い出す行為は虐待にあたるとして児童相談所に連絡し、女子児童は午前5時半すぎになって結局児童相談所に保護されました。相談員は、自分の行為が間違っていたとは思っていませんから当然報告もしません。その為、担当の係長は同日朝、警察署からの連絡で初めて事態を知ることとなったのに児童相談所は、同日中に男性職員に聞き取りを行いますが、所管する市のこども家庭局には報告しないのです。市は報道機関の問い合わせを受けた18日午後になって問題があったと確認します。つまりどこの接続部分も断線していて、大変な事、報告すべきこととは思っていませんから、本来のルートではないところから指摘されては確認している状態なのです。その為、本来なら隠ぺいしていただろうことが、表面に浮かび上がってしまった氷山みたいなことになってしまいました。神戸市は、阪神・淡路大震災後の行財政改革の一環で、民間委託を2005年度から導入しNPO法人「社会還元センターグループ わ」と言う団体に約15年ほどこの夜間・休日業務の委託を実施してきました。この団体は、神戸市シルバーカレッジで3年間学んだ人を会員として一人ひとりの知識や経験を生かし、災害復興支援や高齢者の生涯学習サポートなどを行うとしており、児童相談所の夜間の対応業務には自ら志望した32人があたっていたとのことです。この状況から推測しても、この相談員も過去の履歴は、教員とか福祉施設職員とか、教育や福祉の経験者ではなかったかと思うのです。だから、自分の判断に独断で自信を持って、マニュアルにある係長への報告も必要ないと判断していたし、露見して取材を受けても、「見た目が大人っぽかったので緊急性を感じなかった」とか「(インターホン画面では)高校生にみえ、冗談だと思った」と話しているように反省なんか一つもしていません。さらに追い返したこの70代の男性相談員は、既に5年ほど業務に従事していますから、自己判断で報告も相談も連絡もしなかった追い返された事例は、何件もあったと思われます。だから居直るかのように、今後この業務は担当しない意向を示しているというだけで、罰も受けなければ、人の人生に関わることだという自覚もないまま、そんなことを言われるのならやめてやると言う態度を示しています。市は、言い訳コメントとしての、相談員用マニュアルの改訂や研修方法の見直しを進めると言い、NPO法人の大槻隆文理事長も研修などを行い、相談所からの指示に従うよう徹底したいといいますが、何も変わるとは思えません。深夜3時に、女の子が訪ねてくればまず中に入れますが、インターホン越しで直接会おうともせず、助けを求めているのに、内容も確認せず緊急性がないと自分で決めつけられる感覚は、自分の経験値による判断で、児相は高校生も対象なのだということさえ自覚なく、高校生に見えたから確認もしないというのは自分の経験上これは対象外だと自信を持っていたから出来たのです。そして、女の子が警察へ行かなければ誰にも知られることなく、経験者としてこれからも続けていたのです。そして、自分のその経験値からくる驕りが、身勝手な越権行為の判断まで行っていた事実があるのに謝罪できないのです。前歴に余程自信があったのか、どんな経験があったのかわかりませんが緊急性なしと勝手に判断しただけでなく、追い返すという業務違反まで行っていても、謝罪することが出来ないのが、高齢経験者が陥る過去の背景へのすがり付きなのです。それは高齢者が経験を生かして再就職するときに、以前の職場の地位や経験値をそのまま持ち込むことが多いというはいけいです。そればかりではなく、その時に後ろ盾になっていた組織の感覚をそのまま持ち込むということです。退職したなら、あなたはもうその組織の後ろ盾はなくあなたの実力で独り立ちしなければならないという事が理解していないということです。特に公的機関に勤めていたり、人に指示したり、人に説教をしていた人は、教わるという姿勢になれず、すがり付く様に自分の経験を振り回します。しかし、その経験で出来たことはその組織の権威や後ろ盾、人的資源があって成り立っていたのであってあなたの力はその一部でしかなかったという自覚が出来ません。逆にそれを外してしまうと、普通の高齢者よりも柔軟性のない困った高齢者になりかねないのです。高齢者が、自分の経験を生かしてボランティアのつもりで、人の人生に関わる仕事に付くには、固まってしまった自分の思考と感覚を洗い直さなければ出来ないという事が分かっていません。高齢者の雇用で過去の経験を尊重するとき、組織人の中での個人を自覚していない人を雇用すると、所属していた組織の亡霊を背負った身勝手な高齢者に任せてしまうことになってしまいます。組織と言う後ろ盾は、あなたが駒だったから守ってくれていたのであって、退職後は、使い捨てられた駒であることを自覚しなければならないのです。定年退職後の生活の中で、過去の経験を生かして世のために何かしたいという人は、教育や福祉に多くいて素晴らしい事ですが、意地を張らない、素直な学びの頃に一度戻らないと、事例の様な事になってしまうと思うのです。