知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

生きていたらまた施設にいれるんでしょの話

 被害者の家族というのは、障害とか身分とか関係なく、みんな加害者を憎み、非難します。それは当然と言えば当然で、罪を憎んで人を憎まずなんてことは、当事者ではない人の観念の話で普通の感情を持っているなら出来ることではありません。ですから植松被告に相当厳しい言葉を投げかけても当然と言えます。しかし、その言葉は、植松被告を変えないし、感情的な言葉は植松被告の確信をさらに強めることになると思われる行為としか思えないのです。

 何故なら、43歳の息子を亡くした甲S(名前は公表されていないので裁判名)さんの母親は出廷し生の声で言ったのではなく陳述書で、「息子が亡くなった日から時間は止まったままです」「息子を返してほしい。息子ともう一度、会いたいです」と訴えました。被害者のほとんどが匿名の中、ちゃんと『美帆』という名前があるとして、初公判に合わせて名だけを公表した母親は、「私の人生はこれで終わりだと思いました。自分の命よりも大切な人を失ったのだから」「未来をすべて奪われたのです。美帆を返してください」と言いました。しかし、母親は、被害者特定事項秘匿制度に基づき意見陳述の際には植松聖被告と対峙したのではなく、傍聴人からも見えないよう、法廷内の衝立に隠れて話しています。甲Sさんの母親も美帆さんの母親も、植松被告に面と向かって話したのではないのです。だから本人を返してくださいと言いっても、もし帰ってきたら結局また施設に入れるんだろうという植松被告の問いかけに全く反論していないのです。

 植松被告は、「この裁判の本当の争点は、自分が意思疎通を取れなくなる時を全員が考えることだ」と言ったように、重度障害者を念頭に意思疎通の難しい人たちを排除することが「社会の役に立つ」と言っています。その根底には、入所施設に入れることは、家族から排除されていることだと結びつけているからです。自分の命より大切と言いながら、結局施設に預けてしまわなければならない現実に、障がいを持つ子を持って幸せだったというのなら、なんで施設なんかに入れるんだと言う問いに答えていないと思うのです。

 現在正確に統計が計られていませんが、知的障がい者と認定されている人は100万人ぐらいいる中で、施設入所をしている人は約13万人程度で、そのほとんどは家庭の事情です。自らではありません。施設生活で掛かる1か月の費用は約30万円程度で個人の負担は、最大で6万円ぐらいですから約25万円程が税金となります。悲惨な事件があったと、やまゆり園が取り壊しになっても自宅に帰った障害者はごく限られていて、ほとんどは新しく出来る入所施設に移るだけです。県は、約120人のやまゆり園の利用者に対して、1施設に66人定員で2施設作ると言っています。それに対して、家族会長は「ずいぶんと規模が縮小し、家族の納得とはほど遠い」と話すように、初めから入所施設を利用する事が前提なのです。

 そのことを捉えて植松被告は、重度の障がい者が家族にとって負担だから、家族から排除されて施設に捨てられているのだから、それは社会にとっても負担なんだ、だから排除した自分と同じではないかと思っているだけだと思うのです。知的障がい者の入所施設が満床なのは、死なないと空床にならないからで、生きているうちに地域に戻れるシステムが構築されているのなら、植松被告にお前は間違っていると明確に言えますが、実際は、残念ながら重い障がいで家族や地域で支えられないと言われたら、施設で暮らさなければならないのが現実です。

 植松被告は施設で働くことで、施設の中にある虐待の類似行為や怪我をしても出ていけと言われることを恐れて、可愛いと言いながら何も言わない家族の本音をどこかで見たり聞いたりしたのでしょう。そして、文句も言えない重度者が誰からも守ってもらえないでいると感じたのかもしれません。そして、死んだら手のひらを返したように自分の命より大切だと言うよりも生きているうちに施設なんかに入れるなと言いたいのだと思うのです。今回も、死んだ子の親は返してくれと植松被告を非難しますが、帰ってきたら施設へ入れなければならないとしたら、植松被告にやっぱりなと言われてしまいます。公判で美帆さんは自閉症で言葉を発することはなかったが、「とても人が好きで、人懐っこい子」「笑顔がとてもすてきで、まわりを癒してくれました。ひまわりのような笑顔でした。」と母親が話すなら尚更に、なんで施設に入れたのかと誰もが思うことです。結局、家族の一員の証明である苗字も出せないことや顔も出せない問題を語ることなく、植松被告だけを非難しても、植松被告からしてみれば大切と言いながら施設に捨てるじゃないかと益々確信を持つだけだと思うのです。

 障がい者にも生きる権利がある、障がい者の人権を尊重すると話す事は簡単ですが、その権利は誰が保証してくれるのかと言う事が一番の問題だと思うのです。障がい者に対する理想や理論は、誰もが受け入れ反対もしませんが、現実社会では保証人にも権利を守る人にも簡単にはなってはくれません。神仏に祈ってくれる人はいても、障がいと言う試練ばかりを与える神仏は、障がい者を守ってはくれたことなどありません。守れるのは、生きている人間だけです。世界の中で子供たちが虐待され、殺され、売買されていても、その国に守る力がなければ守られないのです。奴隷の如く扱われ、飢えて死んでも、守る力がなければ守れないのです。日本の障がい者を国が守ってはくれない廃棄民の時代はついこの間まで続いていました。どんなに人権を尊重すると言っても具体的な対応がなされなけば生身の人間は守られません。重度の身体障がい者が一人暮らしをすると介護費用が月に80万円ぐらい掛かります。そのお金を誰が負担するかと言うことです。人権を守り権利を守ると言う、今の、国の福祉観は自立です。しかし、国の言う自立とは国に迷惑を掛けずに自分で稼いで生活しろと言うことなのです。その為には障がい者が稼げる環境を作ろうと、障がい者の工賃を上げろ、障がい者を雇用しろと罰則まで設けて進める政策を掲げて努力しているように見せていますが、その背面は、障がい者の権利を守るためではなく、障害者年金や生活保護の様な公金の支出を減らし社会から広くお金を集めるという事が目的で、障がい者に掛かる負担を広くみんなに求めているにすぎません。

 その広報に利用しているのが「人は働くことに喜びを感じる」と言うフレーズです。綺麗な言葉に見えますが今日の経済活動と生活を考えた場合の労働は、人間の本質ではなくお金を得るために働かなければならないという強制された環境の労働です。つまり、国の言う自立は、扶養ではなく自分でとにかくお金を稼げの働くことであり、お金を稼ぐという意味の働けるようになることなのです。ですから、働けない人はどうするのですかと言う問いには国は答えないのです。国にとっては今でも、働けない人は、お荷物であり負の資産でしかないのです。植松被告の言う排除される対象なのです。

 母親は植松被告に「私は娘がいて、とても幸せでした。決して不幸ではなかった。『不幸をつくる』とか勝手にいわないでほしいです」と言ったように、多くの障がいを持っている子供を抱えた母親が、「不幸」ではないと言いますが、やまゆり園の施設長が「家族の不安に向き合って説明し、利用者の暮らしの場をつくっていきたい」と言うように現実には国の支援なしには子どもを守っていくことが出来ない人もいるのです。だから、施設と言う障がい者だけを集めた生活の場に送り込みながら私は「幸せ」と言えるのは少し違うと思うのです。障がい者を家族に持つ、兄弟姉妹の苦労を考えたら、母親が私は幸せだったとか、人生を学んだ教師だったと言っていることが空虚に聞こえるのです。障がいを持たされた本人は本当に大変なのです。だから広い理解と支持が必要で、障がい者を家族が抱え込んではならないという施策が、排除の論理に立ち向かう世論が必要なのです。

 人の不幸は蜜の味と言う言葉があるように、差別と偏見の根源には個人の力ではどうにもならない様々な不幸があると思うのです。母親が、障がいの子がいても不幸じゃないと言うのなら、人に頼ることもないという事になってしまいます。障がいは、個人の力ではどうしょうもない本人の不幸だからこそ、社会が幸せにしなければならないということだと思うのです。不幸な人が一人もいなくなるように、国や社会が考え行動しなければ、植松被告の言う排除の論理が拡大してしまいかねないのです。障がい者を守る施策は今も日本では確立されていません。障害者差別も厳然と続いています。被害者感情は大事ですが、そればかりが強調報道されて植松被告を特別な犯罪者に仕立てしまうことでは、植松被告の言う排除の思考を否定出来ないし、障がい者を守る国の施策に反映されるとは思えないのです。

 

隠れ植松被告が台頭するかもしれない福祉国家の話

 被害者の家族までもが植松被告に面会して話していたりしているのに、裁判でも、社会の望む方向での反省の言葉が出てこないこともあってか、マスコミを含めて植松被告の独特の考え方が事件の原因との方向に流れてきている今日ですが、障がい者を抹殺する考え方は、日本の過去100年の歴史の中では国家のプロジェクトだったと言う事を忘れないで欲しいと思うのです。マスコミは「障がい者はいらないと身勝手な主張を繰り返す」と非難しますが、この考え方は、植松被告が独自に作り出した身勝手な主張ではありません。彼が言っていることは明治以来の日本の国が行ってきた障がい者行政を、なぞり繰り返しているに過ぎません。それれは、逆に、事件を、植松被告の特異性にすり替えようとマスコミを含めて画策しているようにも見えるのです。簡単に言うなら、障がい者差別の根幹は、障がい者はいらないということから始まっているのですが、誰も、植松被告のように直接手を下すと言う過激なことは出来なかったということだと思うのです。実際の障がい者政策は、穏便な手段方法で、障がい者が排除されるように行われてきました。優生保護法が改正されたのは平成8年です。この法律によって強制的に避妊手術させられた生き証人がまだ生きて居るぐらいちょっと前まで存在していましたし、知的障がい者は、公務員試験さえ受けられないような条件を付けられて、公務員の仲間には入れてもらえません。同様に、大きな企業は特例子会社方式で、自分たちとは違う条件、違う場所に集めて、仲間にはしてくれません。障がい者は、生まれてくるべきではないという考え方で、出生前検査がより精密になることに期待している関係者は増々大きくなっていますし、現実に検査によって処理されてもいます。そこには、個人の身勝手な考え方ではなく、障がいに対しての不安が社会の底流として今もとうとうと流れていることを示しています。だから、マスコミも、植松被告の独特の考え方として非難しますが、障がい者の生存意味に関して理論展開をしません。もっと言うなら、マスコミ自身の会社が、障がい者雇用の実態を晒してどれだけ障がい者の仲間がいるかを示すべきでもあります。マスコミなどが、感情的ではない、障がい者の生存意味を語るべきですし、人を非難をするより障がい者差別をしていない実践を語るべきです。記者の中に障がい者の仲間がいるのなら。社会が豊かだから、感情的、情緒的に、生きる権利などと気軽に言っていますが、どれほど国が、障がい者を廃棄民として扱ってきたかを考えるなら、マスコミを含めて公的機関が、植松被告に何もかも押しつけて障がい者を守る砦の様な態度をすることは適切とは思わないのです。逆に、社会が貧しくなれば植松被告の様な考え方が社会の考え方として、英雄視されかねないのです。現実にトランプ氏であれ、ヨーロッパの極右と言われる人々の台頭であれ、貧困は差別を生産し、暴力を容認してきた歴史があります。植松被告、個人の仕業にしてしまうことで収束してしまうことは、植村被告が言うように、日本の行政が実施したり、差別を助長してきたり、暗に無視することで消滅を望んできた事を、植松被告が声に出して言ってしまった、実行してしまったにすぎ無いことになってしまいます。今、障がい者の生きる意味を感情的ではなく、説明できる人は多くはいません。ですから、隠れ植松被告の方が多いのではないかと言われてしまうことでもあるのです。障がい者の生存に関して社会や家族の負担感を語られたとき完全に否定できる人は多くはないのです。植松被告の言っていることに過激だとは思うが、完全否定は出来ない社会が現実にあるのです。その一つが、死んでも個人名が明かされていないという現実です。逆に、誰にでも生きる権利があると言いながら、複数の人間を殺せば死刑に出来るという現実です。罰として死がある一方で、国がその人間を不用と判断したなら、国は自ら手を下さない方法で、棄民を行ってきました。今でも、障がい者のグループ―ホームを作るのに地域住民の反対で断念しなければならないという実態があります。そんな実態に植村被告が、そらみろ、どんなに格好つけていても自分の事となったら嫌なんじゃないかと笑っているような現実があります。どんなにパラリンピックの素晴らしい選手を見たところで、自分や自分の家族があの舞台に立っていないことを心の中で良かったと思っているという本音は変わっていません。誰もが、自分の子に障がい者が出生することを負として認識し、不幸として感じる底流がそこにはあるからです。ちょっと前までは、座敷牢だってありました。精神病院に長期入院させられた人は沢山いますし、山の中の施設に捨てられた障がい者もいますし、死亡率と言う回転の速い老人ホームが儲かった時代もそんな昔の事ではありません。植松被告が、高齢者に接していたら、姥捨て山の再来を言い出したかもしれません。それほど、現代の社会でも、障がい者が普通に生きられる社会ではありません。この現実に出会う度に、植松被告がやっぱり世間の本音はそうなんだよと言っているということでもあります。問われているのは、真から植松被告を否定できない社会の弱さだと思うのです。差別心は、人間の欲望と共にあり、欲望は人間性と言う精神を疾病に至らせるに十分な毒性を持っているということだと思うのです。

もはや日本は、先進国では無いと言う話

 GDPなどの指標や統計数値を使って、もはや日本は、先進国では無いと言う事を、とても理詰めで、誰もがなるほどと云えるようなテレビ放送がありました。とにかく、ランク好きの日本人には、世界のランクが落ちたというだけで、大きな話題になります。しかし、立ち止まって考えてみると、「先進国ってなーに」と問い直すべきことだと思うのです。何故なら、ぼんやりと日本は先進国だと思っている人に何が先進国なのですかと問えば経済的な側面では自信を持って答えてもその他の分野で追求されると答えに窮するという事が沢山あります。そして、経済力が先進国の主要な条件だとすると、なーんだ金持ちが偉いってことか、になってしまいます。先進国であろうアメリカは人種差別と言う課題だけでなく宗教から来る様々な偏見や不条理を社会が抱えていますし貧富の差が大きい国でもあります。イギリスはと言うと王室だけでなく貴族もいる国で身分制度が残る国です。しかし、先進国の定義は意外と曖昧で、工業化を達成し、技術水準や生活水準が高く、経済発展が進んだ国家と言うことらしいのですが、この基準で見ても、金持ちが偉いと言われているのと同じことに思えます。さらに対義語が、開発途上国とか発展途上国などと言うことですから、経済的に豊かなことが先進国の条件だと言うことになりそうです。過去の日本には立身出世と言う言葉があり、成功することが、裕福になる事が、男の人生としての目標と言う時代がありました。それは、江戸時代の身分制からすると革新的で且つ実力主義の社会でもあります。同様に戦後の民主主義の中でも、出生や親の職業等に差別されることなく、実力さえあれば個人の能力で上に行けるという、権力者に成れるということが言われ、立身出世も夢じゃない時代もありました。しかし、冨者がいる時には貧者がいるというのが資本主義経済の原点ですから、みんなが冨者なんてことは現代でもありません。むしろ、富の分配や利益の誘導について、多様化と複雑化が進んで、混迷を深めているのが今日です。それは、世界の貧困問題としても語られていますし、今日の局地戦争の原因でもあります。今の中東の争いの原因を探っていけば、先進国の利害によって延々と続いていることが分かりますし、発展途上国と言われる国の主張をきちんと聞くなら、どれだけ先進国が狡い方法で豊かさを保持しているかを知ることとなります。今日の地球温暖化を招いたのは、先進国が富のために地球に酷いことを散々行ったせいだとも言われています。一方、経済的に日本を抜いた中国を先進国とはまだ言おうとしていません。国民の所得が少ないとか色々な難癖を付けていますが、このことは先進国と言うブランドには、覇権国の利害が大きく影響していることの証明でもあります。そんな、先進国と言うブランドを、日本は本当に必要としているものなのでしょうか。アジアの中で初めて先進国の仲間入りをした苦労を語る人たちや先進国のブランドを得るまでの艱難辛苦を乗り越えてきた人たちには、死守すべきラインなのかもしれませんが、そんなブランドにしがみつかなくても、もういいと思うのです。つまり、他者の評価も大事ですが、自己主張する独自性も大事だと思うのです。一度ブランドを手に入れると、あれもこれも上位ランクを望みますが、実際のブランドの基準は欧米基準にあって、アジアの基準は参考にもされないということに気付いているのにいつまでも欧米の権威にすがる政策はもういいと思うのです。所詮、様々なランキングはデーターの一つであって目標ではないと思うのです。実際、アメリカは、先進国で世界の覇権を握っていますが、国内の多くの人は世界の事など考えていないことがトランプさんになって鮮明になりました。宗教的に外部と閉ざした生活をしている人も沢山います。日本のようにみんなが先進国意識に価値を見出しているわけではありません。むしろ日本では、先進国と言う優越感が、後進国を見下してそれが国内に転じて、大企業と中小企業の差別を生みだし、優位と劣位が人間の優劣の様な感覚まで日本に植え付けていると思うのです。人を従えることが、立身出世であり、上位ランクにいることが成功者であり下位ランクに暮らすことが負け組となっています。先進国というブランドを手に入れてみると、教養が足りない、人権保障が足りない、欧米並みの民主主義になっていない等々の成上がり者批判を受け続けているのに、裕福さのランキングや幸せ度ランキングなんて訳のわからないランキングにまで過剰に反応しなければならなくなっています。つい200年前までは、世界中の人間は、ほとんどが農民(生産者)だったのに、工業化によって労働者層を作り出し、この労働者の働き口のために、消費の拡大需要を作り出さなければならない先進国の工業・商業の在り方が、消費拡大回転経済ともなって環境の激変をもたらしました。米国・英国・仏国なんかは不動の先進国の顔をしていますが、歴史の偶然で先進国になったにすぎず、先進国としてたゆまぬ努力をしているとも思えません。経済的な裕福は、現在では物の豊かさと置き換えられていて、ただ溢れているだけの状態も生み出しています。それを豊かだと表現することも問題だと思うのです。環境を含めて先進国と言うブランドは、地球に対するいじめっ子の代名詞のようになっています。ですから、もはや日本は先進国ではないと再び叱咤激励するのではなく、もう、欧米とつるんでばかりではいられないと言ってしまえばいい時期に来ていると思うのです。

ゴーォーンゴーォーンの遠吠えの鐘の音の話

 ゴーンさんが逃亡して遠くのレバノンから遠吠えのように日本を非難しています。多くの人はこのことに冷ややかで呆れているという事が見られます。ゴーンさんがレバノンに逃れて話した言葉には、フランス語、英語、スペイン語アラビア語と多彩でしたが、日本語はありませんでした。20年も日本の企業のトップにいて、語学が堪能な能力を持っていたのに日本語は学びたくなかったということですから、本当は短期腰掛のつもりでちょっと赴任しただけの異国に、ずるずると長引いてしまったというのが、本音の様な気がします。もっと言えば、日本なんて嫌いな国だったと思うのです。だから日本人が歯向かえば、こんなところにいられるかと、お金にものを言わせて逃げ出してもおかしくはないと思うのです。つまり、ゴーンさんの立身出世はヨーロッパで上位になることであって、日本のトップになる事が目的ではなかったということでもあると思うのです。日本の企業を踏み台にしてヨーロッパの上流階級に加われるチャンスに遭遇しそうだったから日産から離れなかっただけだと思うのです。ヨーロッパのルノーのトップの方が日産のトップよりはるかにヨーロッパでは階級は上です。嫌な日本で20年も我慢して頑張ってやっとフランスの凱旋門を通り抜けることが出来そうだという直前になって、足元をすくった日本人は卑怯なやつらで、本人にしてみたなら、このままでは、再就職もままならないと怒り心頭してもおかしくはないと思うのです。嫌々地方に飛ばされた会社員が、嫌われてもリストラして支店の再建と規模拡大を実現して、鳴り物入りで本社に凱旋しようとする寸前に内部告発した田舎の社員に向かって、だから田舎もんは嫌いなんだと叫んでいる構図がちょうどいいと思うのです。そう思うとゴーンさんに日本は、初めっから嫌われているのですから、逃げ出したとしても、あばよもう二度と来るなデいいと思うのですが、ゴーンさんとしては、次の自分のステップの為の利権を奪還することが正当なことだと考えているでしょうから、日本を悪者にしなければなりません。日本人的感覚では、20年もお世話になったんだし、逃げだした時点ですべて放棄したんだから後足で砂を掛けるような行為は見苦しいとなるのですが、ゴーンさんは全く反対で、自分の権利としての取り分を遠くからでも手繰り寄せたいと思っていると思うのです。そこで考えたいのは、経済・政治の識者と言われる人たちが、世界を股に掛けるグローバル戦略を言い続け、企業のトップが多国籍であることは普通だと語り続けていることです。ゴーンさんのように、日本が嫌いでも日本の企業のトップに成れるという事をどう考えているかと言うことです。グローバルを語る人にとっては、いわゆるアイデンティティーとしての帰属意識については、経済人としてとか、地球人としてとか言う言い方で情緒的と避けていますが、現実社会では、この帰属意識が大きな意味を持っています。商売そのものは、相手を差別も、偏見も持たないと公平・平等のように言いますが、商売相手の感情は大きなものです。商売相手の国の自尊心を損なうような態度は、結果として恨みつらみを含めて残すものになると言えます。現実に、ゴーンさんはリストラは出来たけれど、経営者としての実力はなかったと言う評価が挙がっています。だから、逆にもっと大きな企業や本人の望む欧米からのヘッドハンティングにならなかったとも言えます。本人が渇望する、欧米の大企業は、彼を経営者として評価していなかったとも言えます。日本には、欧米を崇拝して欧米的方法が基準でグローバルと唱える人たちがいますが、過去にもそんな人たちによって、日本は、結構欧米に食い物にされてきた歴史があります。一例として、日本の銀の事があります。世界史でいう大航海時代からスペイン銀貨ピース・オブ・エイトは、19世紀まで事実上の世界通貨として流通しました。しかし、ヨーロッパではドイツの一部からしか、銀は産出せず、スペインが南米から持ち込んだ銀と日本の銀が世界に流通していたことがあるのです。日本の銀が大量に海外へ運ばれたのは、スペインや続くオランダに騙されていた様なもので、1600年ごろには、日本銀が実に世界の銀の3分の1を占めていたぐらい、日本から産出された銀の4分の3をヨーロッパに輸出する国だったのに国力にはならなかったのです。同様の事が、日米和親条約でもあって、明治維新後も十分の一ぐらいの価値で金が流出しています。それは、よく和人がアイヌとの交易で数を騙していたという話と重なっています。そして、戦後も大損をしていることは隠されています。歴史的にも働いて働いては、海外貿易と言う一部の人の利益のために、不当な価値操作で大損をしているのに、欧米に食い物にされているのに耐えてきた日本ですから、ゴーンさんに食い物にされても仕方がないということにもなるのですが、欧米崇拝のグローバル専門家たちが、露払いすることで次々と経営者として送り込まれる人材に騙されないことを、遠吠えの中から警鐘の鐘を聞くべきだと思うのです。

おーい中村くん、アッラーのため息の話

 憎悪の対象に、いい人はならないということはありません。アフガンで殺された中村医師に関して美談として繰り返し報道されていますが、体制対立をしている国の中で、どちらにも付かない国民の味方なんて立場を自分が思いこむことは出来ても、現地の人みんなが同意してくれるなんてことはありません。特に、イスラムと言う宗教が生活に浸透している国に於いて、短期滞在者がお金を持っていくなら、イスラムでなくても客人として迎えられても、20年近くもイスラムの中で暮らしながらムスリムではない事は同質にならないと宣言しているようなものです。私は、中村氏の事は死亡事件があって初めて知りました。海外特にアジアで活躍している医師などの多くの人は、使命感を持った意志の強い人ばかりですが、裏返すと頑固で自分の行為に酔いやすい人とも言えます。また、そのような活動をしている人にはクリスチャンが多く紹介されています。中村医師もクリスチャンの様ですが現地の人々の信仰や価値観に最大限の敬意を表しながら活動を続けていたと資料にはありました。でも、ムスリムではありません。異教徒が人助けしているだけなのです。さらに中村医師の、武器など絶対に使用しないで、平和を具現化するとしているので、政府側も反政府側も、タリバンだって我々には手を出さないと言い、敵を作らず、平和な信頼関係を築くことが一番の安全保障だとも言っています。しかし、実際は一緒に死んだ中には護衛もいて、護衛を引き連れていなければ危険だと認識されていたことの証明と言えます。現地を良く知る人は、日本にいる様な感覚で批判するべきではない。強盗を含めて治安が非常に悪いのだから、特に外国人は。現地での警護は必要だと言います。

でも、護衛を雇用できることが既に金持ちであるという証明でもあります。日本の会社員が東南アジアに駐在すると同じ日本の給与でも広い家でメイドが雇えると言われます。それは、メイドの仕事しかない経済事情の国に金持ちが行って金で雇用していることです。仕事がなくて強盗をするか警備員をするかの社会に行って治安が悪いから警備員を雇うというのは実際は金持ちであると言っているのと同じです。葬儀の時棺桶の隣に、現大統領が寄りそったり、現大統領から表彰されているのに、自分は中立だというのは、手前みそだと思うのです。同じ宗教でも宗派が違うというだけで戦いになるという環境の中では、敵と味方の線引きは厳格で中立なんて傍観者でなければ出来ません。現地で灌漑を行っても、小麦を植えるか芥子を植えるかだって利権に繋がります。現地の人々がその利権をどう評価することによっては、自分は中立と言い続けていたとしても、相手がお前は向こう側だと思い込めばそれで中立ではなくなるのです。生死を掛けた戦いを日々しているところに、公平な審判など存在できません。理論や理屈ではなく、人ではないアッラーが何を望んでいるかと言うことを人間が推測して実行している社会で、神が喜ぶことを行うことが信仰だと言われる社会においては、貧しくとも異教徒の施しは受けないが厳然とあります。日本式なら、武士は食わねど高楊枝であり、人様の施しを受けるほど落ちぶれてはいないの世界です。同じ行為であっても、神の恵みと受け取るか異教徒の施しと受け取るかは、現地の人の宗教心の違いです。その地で有名になればなるほど同胞ではない人の行為を原理的には良いことだとは考えない人も増えるという事に気が付いていたはずです。良いことなら、必ず分かってくれるという事が幻想であることも分かっていたはずです。しかし、頑固な中村医師には、それが自己中だと思わなかったと思うのです。アッラーはあなたを受け入れないと感じる聖職者が居れば、あなたは敵なのです。イスラム教で内乱の起きている国のアッラーは過激なことも容認するという事を忘れるべきではないと思うのです。有史以来、沢山の宗教が生まれては消えた中で現代へ残っているということはそれを信じる人がいるからで、どんな生活をしようと余計なお世話と言う気持ちが湧いてきたなら、その人たちからは敵でしかありません。そんな情況の中、アッラーが溜息をついて憂慮しても、その遠い遠い弟子たちは今の状況を改善することが出来ないでいるのです。中村医師を英雄視して褒めたたえることは、アッラーのため息を増すだけだと思うのです。異国で己だけを信じて思いのままに生きて死んだ自由人の魂は現地に埋めて後を継ぐ者なしで良いと思うのです。

ストリートミュージシャンスピーカー使うなの話

 多くは人の行き交う駅前で行うのが、ストリートミュージシャンと言われる人なんでしょうが、中には間違っていると思われる人もいます。バスから降りると駅の広場でスピーカーから得意げに歌う声が聞こえてきます。実に大きな音です。数人の人だかりが出来ていて、疑り深い私にはサクラかとしか思えません。性能のいいアンプにスピーカー、そしてマイクにミキサー。ご機嫌な本人たち。酔っぱらいとなんの代わりもないほど上機嫌で回りの人もみんな賛同していると思いこんでいます。これだけ機械を揃えていれば、音痴だって適当に見栄えよく作り上げることも可能です。でも、それほど機械を持ち込まなければならない程度のミュージシャンはライブハウスで金払って自己満足の最高峰へ行けばいいと思うのです。通行しなければならない人にとっては、騒音でしかありません。本当に聞いてほしいなら、垂れ流し的ではなく伝えたい人に伝わる環境づくりで良いと思うのです。昔は、ただ大声を上げる事をがなり立てるなんて表現しましたが、ただ大声を上げるために機械まで動員しなければならない程度なら、所詮、自己満足程度で周りへの浸透なんて出来ません。ストリートミュージシャンの良いところは、将来スターになり何万円払ってもコンサートに行けないような人の歌が生でしかも無料で聴けるかもしれないという醍醐味だとも思うのです。また、派手な芸能の世界ではなく、純粋に音楽が好きで楽しんでいる方のお裾分けのような清涼感だと思うのです。仕事を終えた疲れた通勤途上に出会う音楽を含めたパフォーマンスに急いでいるのに立ち止まって聞いてしまう見てしまう一服の癒し効果があると思うのです。アジ演説の様な押し付けは、疲れた感性に鞭打つようなものだから、騒音にしか聞こえないのです。ライブハウスで勝手にやってくれとしか思えないような機械音に酔っている人たちを見ると、売れないなとしか言葉が出ないのです。ライブハウスは有料でお金を払ってミュージシャンに会いに来てくれるファンがいます。路上は無料ですが未知のファンがいます。そこに価値を見出すようなパフォーマンスでなければ通りすがりの騒音です。サクラの様なお仲間集めて、聞きたくないやつは聞かなくていいと思っているならストリートなんてやるべきではありません。アピールするのは、知らない人なのですから、知らない人の足を止めさせるというのがストリートなのに、聞きたくないやつはさっさと行ってしまえ的な対応をするなら、そこでやるなと言うことになります。販売をするときも、店頭を通り過ぎる人がどんなに大勢いても売れません。素通りさせず足を止めさせることが販売の始まりです。どんなに良いものでもアピールする機会がなければ販売は出来ません。足を止めさせてこそアピールのチャンスがあるのですから、足早に通り過ぎたいと思うような騒音では出会いはありません。そして、騒音と思う奴は聞かなければいいと高をくくっていると、騒音として警察に排除のために届けるという手段に移行してしまうことを忘れるべきではありません。その繰り返しが、規制と言うことになってしまいます。音楽は文化ですが、今日は市民文化でなければ生き残っていくことはできません。大衆と言う広く浅くの人々から支援や収入を得る方法を取らなければ自己資金だけでは永続できませんし拡大もしません。ストリート文化は、己の欲望を満たすかの如く行うのではなく、後に控えるミュージシャンがやりやすくなるようにやるべきだと思うのです。地声で他者に届ける力もないのなら、地声で、生歌で声が届かない程度の力しかないから、機械の拡声に頼ることしか出来ないのなら、止めろと言いたい。機械で喚き散らすのは騒音でしかありません。こんなことを言うと若い人の音楽についていけない年寄りのやっかみのように感じる人もいるかもしれませんが、大衆が受け入れた歌を過去に戻って調べていただければわかりますが、ジャンルではありません。はやり歌は、年齢や生活感ではなく人間に何故か浸透しているものです。

 

戦場の槍の話

 なんとなく日本刀は有名で、名刀村正など知っている人も多いので、日本の武器の主役は太刀・刀のように思われていますが、そんなことはなく戦乱時代の戦場の主力武器は、弓であり、槍です。しかし、名のある弓や槍など聞いたこともないというのが普通で、武将の名前なら知っているけれど、足軽の名前なんて誰も知らないよと言うのと同じ感じです。実際の戦いでも、武将よりも足軽の集団戦が主役ですし、太刀・刀を振り回すより槍を振り回した方が有効だったのですが、どちらも消耗品でしたから名は残っていないだけです。狩猟を考えれば分かりますが、古代でも太刀で狩猟はちょっと困難です。石器の時代でも、こん棒や石斧などは接近した時には利用したと思うのですが、弓矢や槍を投げることの方が狩猟としては有効だったと思うのです。青銅器や鉄器が入ってきても、矢じりや槍先に使用する分より多く貴重な金属を個人用として使用する太刀は、権威の象徴であり偉い人しかなかなか持てなかったものと思われます。鉄の太刀が普及していても、京の都の警備武士の絵姿では弓矢を持っていますし、乙巳の変の図でも弓を使用しています。かぐや姫なんかでも警備人は弓矢装備です。ですから、太刀の様な接近戦でしか使えない武器よりも、少しでも相手から遠いところから攻撃ができる武器で仕掛けて、探り合い、相手の戦意を失わせ撤退させる事が戦略としては最も出来の良いことだったのです。それに、日本式戦いは、将棋と同じで勝てばこっちの駒となって使えるのですから、民族的敵意もありませんから絶滅させる必要もなく、お互いに被害は少なくて自分のものになれば一番いいことなのです。近年のスポーツとしての剣道を含めた武道では「礼に始まり礼に終わる」などと言って日本の武道では「精神性」が大切なように言っていますが、それは生死が関わらないスポーツとしての武道の時代だからです。歴史を調べていくと分かるのですが、戦闘では勝つためには何をしても良いというのが基本で、礼などしていると後頭部に矢が落ちてきます。戦争は、大義名分を持って始めますが、実際の戦闘ではどんな卑怯な手を使おうと、ずるをしようと勝ったほうが正義となります。それは、現代でも同じです。特に戦闘員の死への恐怖や流血への罪悪感などが少ないほど強い軍隊となります。ですから、現代では、相手の顔が見えない飛び道具で兵士がゲームのように戦争を遂行できるようにもしています。爆撃機で爆弾を落とす人には、その爆弾で死ぬ人の顔を見ることはないということですし、ミサイルのボタンを押す人も画面で状況を確認していても吹き飛ぶ家や人を実際に見ることはありませんから、映画やゲームのシーンのように操作していても人として人間として異常ではないのです。さらに進んで、ゲームの如く無人機が遠隔操作により人を殺害したり、建造物を破壊したりもしています。実際に中東では米国が自由に実践実験を繰り返していますから、無人攻撃機の性能はアメリカが一番なのです。結果、攻撃する方は被害者に全く会うことなく加害できるというのが今日の優良兵器そのものでもあります。過去の戦いでも飛び道具は有効で、矢合わせなどと言う儀式もありましたが、歴史が進むにつれ、開始の儀式もなく弓の打ち合いが始まるようになりました。そんなところへ太刀で出ていったらどんな鎧を着ていても矢だらけになってしまいます。さらに、太刀で戦うほどの白兵戦になったとしても、名刀一本で戦い続けることなど困難だったと多くの書物では指摘しています。武将になると、騎乗していることも多いので、馬の上からいくら太刀・刀を振り回したとしても、敵が余程近づかなければ刃先は届かず戦えません。まして相手は長い槍を振り回したなら、危なくて近づくことも出来ません。むしろ無防備な馬に槍でも突きつけられたら馬が飛び上がって振り落とされかねません。ですから先ずは、相手の陣地に近くなったら、弓矢の攻撃を始めるのですが、的を目掛けて真っ直ぐ飛ばすなんてことではなく、やたらと打ち込んで下手な鉄砲数打ちゃ当たる方式で打ちます。弓の性能として相手の認識が出来る程度に近づいてはいても、まだまだ恐怖感はなくて済みますからお互いに飛んでくる矢に当たらないように気を付けて行動していればいいのです。次に前進となったらみんなで並んで槍で進みます。並んで進んでくる槍の長さに対して刀では集団の横腹にでも回らなければ相手を傷つけることは出来ません。いくら剣豪武蔵でも何十本もの進んでくる槍に向かって槍をすぱすぱと切ったりは出来なかったのです。一時期の織田軍の槍は6mもあったということですから、持っているだけでも相当の力がいります。槍隊同士が戦うことになったら長い方が有利なので戦国末にはこんなに長くなったようです。集団戦でなかったら、もちろんこんな長い槍の方が不利に決まっています。騎馬などに対しては、槍の端を土に付けてやや斜めに構えてずらりと並んで防御したということですから、刀なんか振り回して突進していったら一発で殺されてしまいます。戦闘は、負ければ死ですから、現代の日本人が考えるよりもっと不安と恐怖の中で武器を握りしめていた足軽にとっては、みんながいて槍が長いほど恐怖感はずっと少なくて済んだと言えます。ベトナム戦争では、何人殺したかを誇示するために、耳を切り落として集めたとか、鼻を切り落としたとか言われています。日本では、首を切り落として腰に縛って持ち歩いたということですから、当時の戦場シーンを映像化できるなら、戦国武将はカッコいいなんておとぎ話はなくなると思います。古代を含めて戦闘ではその時落命しなくても傷を負うことで後日死亡することや農民であり戦闘員であることの機能を失うことは死と同じですから、血が流れることを前提とした戦闘では、傷つかずに相手を傷つけることが重要でした。だからこそ、出来るだけ近くに寄らずに戦える武器が優先的に使用されたのです。ですから、刀は意外と象徴的な部分が重要だったのです。江戸時代の様な集団での戦闘行為がなくなるにつれ、個人技としての剣道が持てはやされて、英雄しされやすいのですが、集団戦では、刀は、不利な武器以外の何物でもありません。まして、鉄砲が出てくると、刀で突撃なんかしていたら負けてしまいます。集団戦では、陣形を組みますから、全体を潰すということよりも、その中の弱い一角を突破できれば、全体が崩れるということも多く、関が原でも互角に戦っていたのに、小早川の部分が崩れたことで一気に西軍総崩れなどと表現されています。戦いでは、出来るだけ相手の、顔や目と合わないことが大事だと言われています。なぜなら、お互いに人間になり恐怖になり、人を殺すことへの厭戦心を高めてしまうからとも言われています。戦うたびに人間は、勝つために武器の工夫をしてきました。ショーウインドーには、戦場では用途の低い太刀や刀を並べながら、裏では無人攻撃機のカタログを置いているという時代になりました。