知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

いかに日本の政治家が情けないかの話

     ノーベル平和賞日本被団協は、ノーベル賞委員会から渡航費用や宿泊代を負担するのは代表委員の3人分のみで、他の同行者の旅費は自己負担になる事を伝えられたことから、運動を続ける被爆者ら計約30人が授賞式の行われる、ノルウェーオスロ渡航すべき旅費をクラウドファンディング(CF)で集めたと言う記事がありました。その記事が褒め称えたのは、賛同者が5000人を突破し募集を開始して約1日で目標額の1000万円を達成したと言う事でした。「オスロ日本被団協代表団を送ろう!」に、寄付者は5033人に達し、寄付額は約4200万円に上って、今回の旅費を除いた余剰金は今後の活動費に充てる方針という事も報道されていました。あのノーベル賞ですよ。政治信条が違っていようと儀礼的であっても祝うのが当たり前だと思うのです。反体制派がノーベル賞になって国内では報道もされないなんて国があってなんと度量の狭い国だなんて非難していた人たちが日本には一杯いるのに、いざ自分の国でそんな事例が出た途端にだんまりとはなんと情けない事だと思うのです。内閣には隠し財源がありますし、裏金なんて普通にあるのですから、クラウドファンディング(CF)なんかしなくていい様に忖度してあげればいいだけの事だと思うのです。代表以外の30人の人たちも物見遊山で行きたいのではなくそれまで真剣に生活を投げうって頑張ってきた人たちなのですから快く送り出してこそ大人の対応と言うべきだと思うのです。サムライ日本なんて事になったら大騒ぎするのに市民が人生をかけた業績を行ったのに讃える度量も無くて何がサムライの国だと思うのです。政府専用機で送り迎えしろとまでは言いませんが、「あっぱれ」であることには間違いないのですから賛辞して快く旅費ぐらい出してあげて当然だと思うのです。この事に関してマスコミもみんなの善意が集まったなんて褒めてないで、そんなことをしなければ長年運動してきた人が行けなかったかもしれないと怒るべきだと思うのです。日本の政治家に対して。ポンと快くお出かけ下さいとなぜ言えないのかと問うべきだと思うのです。スポンサーぐらいマスコミなら見つけてあげればいいのにと思うのです。日本被団協の活動は、国が後押しする国策活動ではありませんから、苦言を言う人も、非難をする人もいます。ノーベル賞委員会の平和賞に関しては、佐藤元首相が受賞した時も意見は様々でした。ですから、ノーベル賞にあっても評価の分かれる特異な存在であることも事実だと思います。西洋の価値観の押しつけであるという事も実際には言われたりもしています。しかし、物事はケースバイケースで対応すべきだと思うのです。それは、冷戦の時期を含めて原水爆禁止は政治に翻弄された事項でもあり現在も賛否のある事項ですが、日本被団協は実直な活動そのものであることは誰もが知る事です。少なくとも超保守であろうと、原水爆推進者であろうと、被爆者の前では自己主張の出来ることではありません。「殺すな」それは、神も仏も言っている事です。長い労苦を外国が讃えてくれたのなら率直に祝い、ご祝儀を添えてこそ日本人なのではないかと思うのです。