知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

地産地消で活性化は出来ないの話

 何か、とてもいい響きのする「地産地消」と言う言葉に惹かれる人は多いと思うのです。でも、単純に考えてください、地元で採れた物を地元で消費する、を簡単に見たなら、自給自足とどう違うのかという事です。地産地消と言えば、地域で生産された様々な生産物や資源をその地域で消費することですが、例えば、大根はとれてもリンゴはとれなければ、大根とリンゴを物々交換しなければ、大根しか食べられません。みかんがとれても米がとれなければ、みかんを販売したお金でお米を買わなければなりません。経済と言う側面で見たなら、自給自足は、自分たちが生産したものだけで生活しなければならない事になり閉鎖的な地域や国の状態と同じです。古代から人間は、交易と言う言い方で、対外交易の関係によって、過不足の調整を行ってきました。その交易もその地域の特産物などをより高い価値づけを行う事でより多くの物品を得られるようにしてきました。しかもそれは、村同士だったり町の規模であったり国の規模であったりしてきました。それに、地域で採れたと言ってもその地域の生活レベルでは消費出来なかったものもあります。例えば絹製品など養蚕が盛んな地域であっても誰もが持てるものではありませんでした。鯛やアワビ、伊勢海老と言った換金性の高いものは地元より都会に出荷すると言うのも常識です。換金商品では地産地消などという事は全く考えられていません。地域で消費されるのは、換金性の低い規格外品だったり腐敗が早く輸送が困難なものが地域で消費されました。今日では、冷凍技術による保存手段の発達や移動運搬技能の発達により流通が広域化しており、地産地消よりは如何に地域の生産物を地域外へ売り込むかが地域活性化のカギとまでなっています。ですから行政が推奨する地産地消のモデル事業をみても、他の地域に売り込む事がメインになっていて結局は地域で消費すると言う事ではないという事が分かります。過去には、流通条件が整はないから地産地消しかできなかった品物も地域活性化の為に外部へ販売する方法の手段としてまず地域で購入し宣伝して売り出そうと言うものばかりです。ふるさと納税で地場産かと揉めた車や電化製品など地場産業と言うよりも地域の働く場で製品は地域の人間が触れることもなく出荷されてしまう場合もあります。では今何が地産地消なのかと、地産の内容を確認すると、単純に農作物の販売方法でしかない事も分かります。地方だけでなく都市部にあっても、耕作放棄地が増加し、農業従事者の高齢化が進み、海外からの輸入が増えている現在日本の農業は、国土の限られた優秀な耕作地を開発行為によってどんどん潰していくと同時に農業従事者の減少によって耕作放棄地を作り出しているのです。機械化を図り耕作面積の集約による生産規模の拡大によって農業従事者の収入増を図ろうと補助金を振り撒いているのに、その効果は上げられないでいるのです。驚いたのは、農業と福祉を結び付けようと言う農福連携などと言う愚策です。今農業のほとんどは機械化が重要で、大量生産にあっても機械を使用しなければ出来ません。しかし、知的障害者はバイクはもちろん車の免許さえ取れない状況にいますから、農業に就労するなら、トラクターの免許を特例で認める位の英断が必要です。その農地内だけの免許であっても農機具の運転が可能とならなければ手作業で出来る範囲など知れています。結果、障害者は免許ある人の補助しか仕事はなく農業では主役どころか脇役にもなれず自立度は変わらず低いのです。農業政策は、過去の口分田以来の農地と人間を貼り付け税金を取る事が基本政策としています。しかし今日税制体制は大きく変化し、農地と農民を固定させるような農業政策は失政の一つになっています。農地の保全の政策が農地の流出を促し、農地を保護しようと言う政策が農地を放棄させています。それは、国家の管理から、領主の管理へそして個人の管理となった農地は、固有資産税や相続税などを通じて、家として継続する事を継続しようとしているからです。農地を保護するなら売買において流通しやすくし誰が所有しようと農地以外の使用を認めない土地に限定していけば農地は守られます。ところが、広い農地を相続する家族には相続しやすくするために相続税を安くしていますがそれは、職業の選択から言うなら家業を継がないなら金をとると言っているようなもので、金を払ってでも農業は嫌だと言う人にとっては農地を手放すことになってしまいます。その一方で農業をしたいと言う人が参入する事を妨げているのも農地に対する農業政策なのです。農地を賃貸借で借りて農業をする事さえ制限しているように、農業をやりたくても簡単には参入できにくくしたうえで、農業を守ろうと地産地消を叫んでいます。ですから、地産地消の中身は、農産物直売所での販売、学校給食の消費、病院・高齢者施設での給食での消費、地域支援型農業等の取組など単なる地域の農業の衰退対策でしかないのです。都会と言う農産物の消費地は規格品、見た目大事が大きく、生産地では規格外生産物が非商品とされることによって生産効率の悪化や廃棄が大きくなり、生産単価が上がらず生産者の衰退につながっていることから形が悪くても揃っていなくても味は同じで捨てるのは勿体ないと地域での消費をと言うのは、援農と同じ事でしかありません。地産地消などと掛け声をかけて農業振興を叫ぶより、誰でもが参入できる体制にしなければ優秀な農地こそが消滅していきます。地産地消よりも、農地解放の方が大事だと思うのです。