知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

監視カメラは正直者には今は味方の話

 監視カメラが犯罪防止に実に役立っています。でも、いまだに個人のプライバシー侵害になると言って設置に反対している人もいます。その反対している人でさえ、電子機器の使用を多く使っています。例えば、新型コロナでの人出についての増減報道は、携帯電話位置情報からなのに、そのことに抗議もせずになるほどと聞いていますし、自分の位置が特定されることも、その情報だけを追いかけることもできると言う事にも危機感は持っていません。電子マネー、スイカを使用したって記録が残っていきます。その記録が誰がどの様に保管しどうしているかという事での法整備はされていません。逆に言うとあなたが自ら自分の行動を相手に情報提供しているのに、その情報がどこにどのように保管されたり利用されたりしているのかを自分は知らないという現象が今日では当たり前のように存在しているという事です。その電子機器の技能を使用して監視社会が実現している国もあります。国家が個人の情報をケースファイルとして確認できるようになっているとも言われています。監視カメラの機能によっては顔認証システムの発達で指名手配犯を確認できるようになりますが、同時に法的整備が適時行われていないと、政治的対応に使われる可能性は非常に高いことは明確です。しかし、全ての機能には長所と短所があるように敵となれば恐るべきことも味方となれば頼もしい限りという事もあります。権力による悪用がなされないようにするには今から検討していかないとならない事も明確ですが、個人のプライバシーだけで反対しても機械の方がどんどん先に進んで法整備なんていわゆる周回遅れなんてことにしかなりません。むしろ正直者には、監視カメラが味方としか言いようのない時代ともなってきています。監視カメラが犯罪抑制に非常に効果が上がっているという事は周知の事実です。口達者な犯罪者に対しても言い逃れできないような映像や嘘が上手な犯罪者、繰り返す犯罪による学習し狡猾になる犯罪にも映像は効果的です。指名手配犯の顔を覚えて探すことも顔認証で実行すればずっと可能性は高くなりそうです。電車の中での痴漢冤罪などが話題となったように犯罪には、冤罪が付きまといます。しかし、映像はこの冤罪を少しでも減らす可能性を秘めています。また、少し前には、大きな目のポスターで「誰かが見ているぞ」がありましたが、近所の人が見ているという事もなくなった地域社会では防犯にもう少しの効果もなくなっています。むしろ、「防犯カメラ作動中」の方が、はるかに効果的になってきました。勝手に撮られている事に、プライバシーの侵害を心配する声は多くありますが、逆に、ただの通行人として何もしていない人には何かあった時には、疑いを晴らす客観的な証明ともなっています。過去には、権力者たちの権力維持の為に、科学技術が悪用されたという事は周知の事実です。ですから、多くの人が、権力者のアイテムにならないようにしたいと願っているのも事実です。しかし、科学は常に、盾と矛となって戦争と生活に密着してしています。インターネットも軍事目的で開発されましたし、ロケットだって人殺しの空飛ぶ爆弾から始まっています。支配と反支配と言う関係で社会を見たなら支配者たちは常にその正当性の証明は大きなテーマですが、国民への説得と納得させるべき証明は近年になるほど大変になっています。ですから、個人の情報を悪用してでも、支持を取り付けたいと言う思いは憎悪を超えて強いものとされますが、その手段としての利用情報は、今日一番の武器でもあるかもしれません。それだけに反権力側の人からするなら非常に危険な監視社会実現の一歩ともされますが、庶民で言うところの監視カメラは、犯罪防止とアリバイの証明として冤罪に巻き込まれない手段の一つとなっている事も事実です。つまり、政治が権力争いをしている限り国民の情報収集は政治争いの一つのテーマですが、淡々とした普通の生活の中では、監視カメラは正直者には今は味方であることも事実だと思うのです。