知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

去勢で性犯罪再犯防止の話

 ナイジェリア国のカドゥナ州の決定で、レイプで被害者が14歳未満の場合、有罪になると去勢手術の上で死刑が執行され、被害者が14歳以上の場合は、去勢手術の上で終身刑だというニュースが先日流れました。驚くことに現在でも性犯罪の刑罰として去勢を導入している国は他にもあって、チェコでは暴力的な性犯罪者に対し、自由意思(刑罰としての強制ではなく)で去勢手術を受ける選択肢を与えるというのがありますし、米国の複数の州では、性犯罪の予防としての去勢刑は、被告人による懲役刑との任意の選択として執行されています。多くの場合には薬物注射による化学的去勢(男性ホルモンであるテストステロンを薬物で低下させるもので、効果は永続的なものではない)とのことですが、テキサス州では、手術による、睾丸切除も認められているとのことです。去勢と言う考え方は、騎馬民族や牧畜民族など、動物を取り扱う民族ではごく普通の考え方で、特別なものではありません。それは、家畜の雄に対して去勢すると、従順になり命令に従いやすくなることを有史前から知っていて飼育の時だけで無く、戦争に使用する馬などはほとんどが去勢させられていたと言われています。そこで、同じ人間も去勢すればという発想で古代には、奴隷の去勢をしていたとも言われています。それらは罰としての去勢ですが、中国では、逆に、皇帝や王宮の高級官僚(宦官)などの権力を有する役人を志願して自ら去勢する「自宮」が、盛んになり隋の時代には、去勢が刑罰にならなくなったとまで言われています。中国で罰の頃の去勢(宮刑と言う)を受けた人物では司馬遷が有名ですが、明代の政府の公式記録に「今や愚民は争って自分の子や孫を去勢して、栄華を夢見ている」と書かれているほど高級官僚(宦官)になる為に去勢したと書かれているそうです。また、宗教では、仏教・キリスト教に関わらず教義の中で明記されていないのに、宗教に身を置く者として性欲が修行の妨げとなると、自ら去勢する僧侶も多かったと言われています。古代キリスト教最大の神学者と言われている、アレキサンドリアの教父オリゲネスは、性欲を絶つために自己去勢したこと言われているそうです。職業的には中国だけではなく、教会内の賛美歌を歌うために、成人した男性歌手では出せないソプラノパートを担当する歌手として変声期前の少年時代に去勢された男性歌手をカストラートと呼んでいたようですが、カトリック教会に女性信徒が出入りでき歌も解禁される19世紀になって禁止されたと言われています。一方、性欲を減退させる罰として日本では、法然の弟子の二人が、女犯の罪で去勢の刑に処せられたとの記録があるそうで、現代では、昭和20年代に、千葉市にあった「旭療護園」(既に廃園)という精神薄弱児施設で、性的非行・犯罪を犯した10代後半の4人の男子入園者を、極秘裏に去勢して事件となったり、時代は違いますが、千葉県船橋市児童養護施設で起きた恩寵園事件ではマスターベーションなどに対する体罰の目的で男児2名が当時の園長によって性器の一部を切られる事件もあったそうです。去勢によって、性欲の減退効果があったのかは分かりませんが、去勢と言っても、睾丸を除去する方法、陰茎を切断する方法、そしてその両方を伴うものなどがあるという事で必ずしも全摘を指してはいないようです。効果についてニューヨーク・タイムズ紙が、2005年の研究を引用する形で、性犯罪を常習的に犯す人物が去勢された場合、再犯のリスクが下がると報じたと記録がありますがどの様な虚勢がどの程度効果があるかは不明です。しかし、インドネシアでは2016年、14歳の少女が集団レイプされ殺害された事件を受けて、小児性愛で有罪となった場合、化学的去勢、終身刑、死刑などと、より厳しく罰する法律を可決させたとの報道もありますから、性犯罪に対して去勢は、罰としての効果を認めている人も多いのかもしれません。蛇足として、中国では去勢した性器を大事に保管することが証明書として必要だったようですが、動物の性器が強精剤として食されたりしていましたから、当然、人間の性器も貴重品扱いで取引されたりもしていたようです。しかも、思春期以下の少年のものが好まれたようで、蘇生しない身体機能を強精剤として切除された少年たちは完全に被害者としか言いようがありません。本題に戻って、現在でも性的被害は繰り返し報道されていますし、再犯率が高く、加害者の一時の欲望のために、被害者が一生の傷を負うということですから、性欲とそれに伴う身体機能を消滅させたり減退させることで性犯罪が未然に防げるのなら去勢刑も検討の余地があると誰もが思うことかもしれません。実際に、一方的な性被害で、事件になっているのはごく一部とされていますし、被害者の立場が極端に弱く保護されないという事実もあります。被害者に100%落ち度がなく、通りすがりの強姦にあったとしても被害者の方が、負のレッテルをその後ずっと負わなければならないのが現実です。一般の感覚でも、傷害事件の被害者が入院したなら人は見舞いに行きますが、性的被害で入院しても、見舞いには行きずらいものです。性犯罪は意外と特殊が高く、被害者が社会的な加害に遭うということも起きてしまうだけに、加害者への制裁は再犯の抑止効果が充分見込まれるものであることが必要だとは思われます。多くの犯罪には、貧困などの社会背景なども分析されることもありますが、性犯罪はやはり単なる、個人が自己の欲望を抑制出来なかったことで発生しますから、二度と再犯にならない手段で罰することは必要だと思うのです。被害者に、一生の傷を負わせるのですから、犯人も一生の傷として、精巣を残すなら去勢も負うべき罰なのかとも思うのです。現在では、人権により加害者の方が守られて、被害者はむしろ二次被害まで受けているという性犯罪に関しては、意識の向上だけでは再犯を防ぐことにはならないという意見ももっともだと思うのです。