産経新聞に「羽州街道古道のケヤキ並木伐採で歴史的景観が一変」と言う記事が掲載されました。内容は、奈良~平安時代の地方官庁・秋田城と関係が深い秋田市寺内地区の羽州街道古道の東門院跡のケヤキ並木の大きいもので高さ約30メートル以上、幹回りは3メートルを超え、樹齢は100年以の10本約80メートルにわたりすべて伐採されてしまったと言うのです。そしてその、理由は、近隣の一部の人から落ち葉が屋根に積もって大変だと、ケヤキ伐採を要求され続けたからと言うものです。苦情を言った住民は、よく言う「たかが枯葉、されど枯葉」的な言い方をするかもしれませんが、樹木の葉は、光合成により二酸化炭素を吸収し、枯葉になってからは土に還る事で表土となり植物の栄養となって環境保全に人間より役に立っています。落ち葉が屋根に積もる程度で苦情を言うような「エゴ」によって切られてしまう事の方が社会的には大きな損害です。実際「SDGs」が流行の今日、大木十本の働きの方が、この樹木の周囲に住む人間の「SDGs」への貢献よりはるかに大きいと思うのです。過去には、ケヤキの枯葉は腐葉土として農業には欠かせない資源でしたしたが、誰もが「化成」などと気軽に使用している化成肥料の手軽さに取って代わられました。しかし、化学肥料(⾼度化成肥料)の原料となる、リン酸アンモニウムと塩化カリウムのほぼ全量、尿素の大半は日本にはなく輸入しているのです。その為、化成肥料によって収量を上げた日本の農業は、土地の有機物を失いどんどん痩せていく一方で、化成肥料を買わなければ化成を使用していなかった前の収穫も出来ない位土地は痩せてしまったのです。化成肥料の製造コストの約6割は原材料費ですから、使用すれは私用するほど、生産コストは上昇して、粗利益さえも幅が少なくなっていくと言う、日本の農業を経営として成り立たなくした元凶でもあるのです。狭い農地で収量を上げるために原料輸入加工された化学肥料を撒き散らした農業と枯葉を腐葉土として肥料として再生土壌に寄与した農業を比べたなら、「SDGs」への貢献は明確なのです。枯葉は秋にしか出来ないのですから、屋根に積もった枯葉を数回に分けて、集めてまとめて積んでおけば堆肥が出来るのです。しかも積んでおけばカブトムシの幼虫がわさわさ出てくるぐらいです。更に、いま日本では、草を燃やすことも禁じられています。畑で草などを燃やす「たき火」までがいくつかの法令等により、禁止や制限されています。消防は、平常の気象状況下なら火災予防上の措置をするなら、違法性はないと言いますが、「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」では、例外を除き、野焼きは原則禁止されています。ダイオキシンに始まる低温度での焼却に関する誤解、近所の苦情、地球温暖化の二酸化炭素との関り、煙が上がるのが気にくわんによって、出来なくなったのです。例外として、田・畑の草を刈ったあと、現地で野焼きすることは、廃棄物の野焼き禁止の例外となっていますが、近隣に住宅が迫っていると、白煙が発生して苦情となることから簡単には出来ないのです。雑草でさえも燃やして草木灰にすれば、異なりますが、一般的には「リン酸3〜4%・カリ7〜8%・石灰11%」ほどが出来ます。しかも、草木灰はアルカリ性ですので、土がアルカリ性になると、虫がよりつきにくくなったり、モンシロチョウは草木灰のニオイを嫌う等もあります。これまでも、日本の土壌の多くのが酸性に傾いていくことに、草木灰を土壌にすきこんで、土壌の酸度調整をすることをしてきました。草木灰は、有機物で肥料にもなりますが、さらに、土の構造を改善して、土の物理性(団粒構造)、化学性(CEC)をよくしてくれます。これこそが循環型の生産で、「SDGs」の基本だと思うのです。ところが、地主は、「また落ち葉で苦情を受けることになる。費用は数百万円に上り」と言う理由で伐採してしまったのです。今日の地球環境の問題の中心原因は人間による開発行為が一番大きいとされています。アマゾンの樹木伐採に反対と言いながら、自分の家の屋根に落ち葉が積もると言うだけで大木さえも切ってしまえと言うエゴに政治も行政も企業も戦うことが出来ずに「SDGs」の看板ばかり並べているのが日本の現状だと思うのです。全国各地の自治体では歴史ある樹木を守る取り組みは行われていますが、指定されるほどに成長していなければ伐採されています。つまり、何かの指定する理由が見つからなければ伐採は簡単に行われているという事です。樹木は、「歴史のある樹木、美観上優れた樹木または貴重な樹木」などと人間の価値観で決められるものではなく、幼木から始まって大木迄、みんな光合成の為に二酸化炭素を消費し、土壌を作り、再生循環しています。「SDGs」などと大見えを切る前に身近な「緑を守る」ことさえ出来ていない事を知るべきだと思うのです。