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知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

緊急時には広い誤差のある判断を現場に任せるべきの話

 被災地に向けて、大量の支援物資が運び込まれても、被災者に届いていないと言う事が何度も報道されました。自分が現地にいるわけではありませんから推測の範囲ですが届かない原因は、現場に自由な遡及されない決済の判断が降りていないからだと思うのです。日本のお役所というところは相当正確です。賄賂がまかり通ると言われる海外の国とは全く別で、かっちりきっちり不正の無い海外に自慢できる組織です。それは逆に応用性や融通性が無い典型でもあります。だから支援物資が、スタジアムには山ほど有るのに、その10キロも離れていない被災地に物が無くて困っていると言う事態が発生して仕舞うのです。その原因は、日常行っている適正配布という縛りから抜けられないからだと思うのです。実際に被災地で窃盗や泥棒をする人がいると言うことは事実です。ボランティアと語って盗む人もいます。義援金と言って集めた挙げ句に、人件費・諸費用を引いたら被災者には1円も届いていなかったなどという募金まであります。災害で困っている人から身ぐるみを剥ぐような輩が実際にいるのです。それを知っている行政マンは、公平に本当の被災者に善意を届けたいとします。だからすぐには届かなくなるのです。被災者が欲しがっている物を確認し、援助物資を仕分けして、正確に届けたいとするから時間が掛かると思うのです。被災直後は、ヘリだろうと、自転車だろうと、仕分けしていなくても、余っても良いから少しでも近くに配布するぐらいの思い切りが必要だと思うのです。そんなことをすれば、すぐに、過不足で批判されるでしょう。正確なはずの行政がこんなに誤差があって良いのかと。でも、災害なんて一生に何度も経験が出来ないものなのですから、災害直後に支援物資の配布のノウハウを持った人なんか偶然に頼らなければいないと思うのです。経験も無い、初めての事ばかりという現場の人に自由な裁量を与えて、よかれと思うことは何でもやって良いと決裁権を委譲すべきだと思うのです。そして、初めは粗くても良いのでは無いかと思うのです。今回も、家が被災していなくても心配で避難している人は、被災者なのかと言い出せば、支援物資を渡すべきか渡さないか、考えてしまいます。そして、中には、心配だからと言うだけで、支援物資の配給を望む人も出るかも知れません。どんなときにも、ずるいと思われる人はいるのです。支給された支援物資を横流しして儲けるような人もいるのです。だから、慎重に、適正に、確実に被災者に渡そうと頑張る行政は時間が掛かってしまうのです。その結果、被災したときにこそ欲しかった義援金が、被災後1年たっても被災者に配布されていなかったという事例も沢山出てしまうのです。支援物資の宛先では無かったと言うだけで、行政区の境界で、支援物資が隣の町には渡せないと言う事まで発生して仕舞うのです。災害は、人間の行政区など全く関係ないのに、災害になっても人間は行政区に縛られてしまいました。それは、習性であり非難されるべき事ではないのです。むしろ、緊急時には、失敗があっても後日非難したり処分されたりしないから、現場の判断で思い切り最善と思われることを実施して良いという法がないことが問題だと思うのです。

 一部の非道な人間がいるとしても、困っている人がいるなら緊急支援は、送られてきたなら、現地に運んで被災者に仕分けを委ねる対応が必要だと思うのです。役にたつかたたないかは、被災者が選択してくれれば良いと思うのです。過不足を批判されても、盗人に盗られても、ゴミとして捨てられることがあっても、まずは被災者へ配布することだけを考えて被災者のより近くに配布してあげる事が必要だと思うのです。報道のヘリがうるさいと苦情を言われるよりも、一品でも空から配達してあげるなら報道への協力も得られると思うのです。そして、早急に正常な行政機能へ移行するという並行した対応をして行けば良いと思うのです。車で寝ている人に、運動するようにチラシを配るより、被災者だけでなく、心配で車に寝ている人にでも、レジャー用でも良いから家族用のテントを無償で配布すべきだと思うのです。広範囲の失敗を恐れない、そして後日とやかく言わない現場判断を緊急時には与える度量が国には必要だと思うのです。