知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

〝私の〞〝私の〞〝私の〞の欲と呪いと復讐の話

一つの事業開始のために、全権を委任されて二年間に渡って対応してきました。そして、自分の城が出来るまで、あと三か月という所で本部の方が「何してるのだろう」「なんか変だな」て感じさせる言動をしてしまいました。本人は、自分の準備に自信を持っていますから、「間違がっていませんか」などと指摘されることなど想定だにしていませんし、事業では途中の修正もあるという事すら全く眼中にありません。ですからこの期に及んで指摘する相手に対して、「これでいいのにこいつ何を言っているんだ」「日本語を話せ」位にしか受け止めません。目前になっての修正など聞く気もありませんから何度話し合ったって話は噛み合わず、指摘するリスクと問題に対しても始めてしまえば何とかなるとしか返答もしません。事業開始の時間が迫っているからどうしても畳みかける様に働きかけますと、本人の反発は益々ひどくなり、指摘する相手は最低の人間にしか見えてきません。リスク回避のどんな提案さえも選別する事さえ出来なくなり、自分のやってきたことすべてを抱え込んで指一本触れさせたくないと、説明する事よりも守る事だけに専念し始めます。こうなると人の話など何も聞きません。何故なら、聞くことは騙されることと本人は思い込み始めますし、一つでも譲歩すると次々に奪われてしまうと言う被害者意識に覆われていますから、人の意見を聞いて選択するなどという事は出来なくなっているからです。そして、後は全て拒否という手段で、自分が抱え込んでいる全ての事項を防衛バリアーを張って籠ってしまいます。事業を失敗させるわけには行きませんから、一枚ずつ引きはがさなければなりません。すると今度は、手を引くと言う捨て身攻撃を始めます。芸術的な事では創造していく過程で、自分の中での肯定と否定、評価と破壊が繰り返されて昇華していきますが、事業ですから、自分の中で解決する事よりは他者との関りの中で解決しなければならない事が多いのに本人だけが捨て身行動をされても孤立するだけで回りは唖然としてしまいます。しかも、捨て身の最も基本は、自分を必要としている、自分でなければならないと相手が感じているかどうかを推し量ってその度合いに応じて言動しなければ、ご自由にどうぞとなってしまいます。私は辞めますと言った途端に、どうぞと言われる状態なのか、待ってくれと言われる状態なのかは、賭けに近いし、自尊心と業務評価の最終判断そのものとなってしまいます。その事業に自分が必要と思われていれば引き止められますが、不要と思われていたなら丁度良かったという事にしかなりません。そんな重要な言葉を感情的に興奮して発することも3度にもなれば、分かりましたどうぞお引き取り下さい、という事にもなります。でもそんな言動をする人に限って一時間もすれば熱は冷めて、「撤回します。すみません」と謝罪しにきます。一身を掛ける気概がないのに、「うぬぼれちゃいけないよ」とばかりに対応されて初めて「しまった」と思う人の良くある言動とも言えます。事業の展開は「我慢と辛抱」しかありません。出来上がった城に兵糧を入れて入城して門を閉めるまではただただ頭を下げ続けることしかありません。同じ捨て身になるのなら城に入ってから、籠城戦をして負けたとしても自分の好きにさせてもらいますと宣言できるまでは、「我慢と辛抱」を繰り返すしかないのです。事業の展開では、短気は損気と言われ、自分の陣地を築くまでは反撃なんかしていたら一度にひっくり返されてしまいます。堅牢ではなくても自分の陣地が出来るまでは守備一徹、攻撃はひたすら我慢するしかないのです。しかし、この方はそうではなかったのです。方針の修正でさえ反撃するし不貞腐れるし報告はしないし、情報を隠すわと様々な抵抗をするのです。そうなると、任せきっていた業務内容まで確認しなければならなくなり、芋ずる式に不備が見つかりますからどんどん追及と指示命令が細かくなっていきます。そして恨みつらみを満タンにして本当に身を引かなければならない事態を引き起こすのです。こうなると残されている手段は、脅しの呪いと復讐しかなくなって自分が事業を始めたときの高邁な思いよりも破壊の方が強くなってきます。お前たちには、絶対に成功させない、事業そのものが潰れてしまえばいいと言う思いになりますから、何かしら妨害行為が出来ないかと、何でもかんでも思い出すように仕掛けてきます。私の城、私の物、私の職員、私の努力、私の協力者、私の関係者にその不当を訴え少しでも取り戻そうとし、出来ないものは奪われてしまったと風評を流します。何もかも騙されて、私を追い詰めるための罠だったぐらいに言わなければ気が済みませんし、怨念しか残っていないと言う事でもあります。事業の展開は人生ではありませんから修正も回復もやり直しも出来ます。その時は素直に従ってくれれば良かっただけのことが、意地と自己利益ばかりに拘わっているうちに最悪の結果を招きました。何とかしなければならないから、押っ取り刀でその方が、準備してきた事業の蓋を開けてみると、他力に頼った事業であったのに、自己の利益本位に組み立てていた構造も明らかになって、再建する方が新設するより大変だと言う展開になりました。後を引き継いだ者として、いつもなら去った人にでも事業を始める初心に戻って帰ってきたらと声かけるところですが、精査するほど初心から私利私欲だったとしか思われない事業経過に驚いてしまいました。事業の目的よりも自分の利益しか考えていなかったのかと考え込んでしまう状態に悩んでいたのに、「私からここを奪い取った。絶対に許さない」と怒っていると言う伝聞が流れてくると、もともと公的お金が投入されて、他人の褌で事業を始めたのですから、私の物など何もなかったことになぜ気づけないのか不思議です。どんなに苦労しても組織の一員として働いている限り、「私の物」になるはずがないという事すらわからない社会感覚も不思議です。