知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

絶対音感なんて表現ミスの話

 音は、音源からの振動の伝達ですから、音源があって振動を伝達する空気や水があれば音として成立します。その成立した音を受信機があって音として認識できれば音として確認されます。ですから、受信機の性能として人間の耳が音として認識できる範囲の振動しか音として認識することは出来ません。自然界では、音源は無数にあって音に溢れていますが、人間は極一部を聞いているに過ぎません。また、生後から聞いた音と音源の確認を繰り返す中で、危険な音、気持ちいい音、変な音などと認識していますから、生活する環境や状態によっても耳の訓練が違ってきます。騒々しい音に溢れている中で暮らす人と、静かな環境で暮らす人では音への反応も違ってきます。さらに、振動を伝える物質によっても音は違い、空気(気体)や水(液体)、金属(固体)など様々ですが、人間は多くを空気振動の形で音として確認しています。ですから、真空では振動を伝えるものがありませんので人間は音を聞くことが出来ませんが、自然界そのものは、空気振動ではない振動も沢山あって実際はもっとうるさい状態とは言えます。もし、地球の周りが真空でなく空気なんかがあったら、宇宙の大爆発音なんかが聞こえてうるさくて大変なことになってしまいます。人間の耳に聞こえてくる音の事を一般的にはdB(デシベル)で表現して聞こえる範囲の確認として聴力検査をしていますが、それは単純音で複雑音の仕分けではありません。音楽そのものも、単純音の組み合わせで、周波数で音階の音を決めています。現在では、1953年ISOによって制定された国際基準値A=440Hzが一応の基準となっています。しかし、音楽と言う表現形式はそんな古くはなく、様々な音律や音階も、文明や民族により違っています。さらに、この基準値で世界が統一されたかと言うと音楽は芸術ですからそんなことはなく、アメリカでは440Hzですが、ヨーロッパでは444Hz、448Hzなどが主流であったり、日本では442Hzが使われていると言われている様に、世界的、歴史的には極めて多彩な基準音があって一つではない事が明確です。すると、絶対音感て何を指すのかという疑問が湧いてきます。逆に、基準音でしか聞けなければ雑音だらけの中で絶対音感を示さなければならなくなります。楽譜の音符の位置は世界基準でも、楽器や音声の実際のチューニングでの基準音の周波数は微妙にずれていて、その倍音で出される音楽全体は、基準値からすると違うものになっているということでもあります。それは、440Hzが絶対音と聞き分けられる人には、それこそずれた音の洪水に襲われているということになってしまいます。同じことは、カラオケの機械などに基準音で設定してしまえば、それ以外で音を出せば音程が外れていると言われてしまいます。国際的な交流の中で、基準が作られていても、音楽の表現としては、聴くものに心地よいように、ドレミファシソラシの音階の実際音は微妙にずらしているし、敢てずらしている場合もあるという事です。極端な事例では、絶対音感の人は、鳥のさえずりも音階で聞こえるなどと言いますがそんな単純なことは錯覚でしかないと思うのです。人間は20Hzから2万Hzまでの音が聞こえると言われていますが、自然の中では複雑な雑音だらけの世界で楽器の音の様な単純な音の世界はありません。だから単純な音を出す楽器が求められますし、単数倍音ならどんな音でも楽器として成り立ちますから世界には様々な音楽が成立しています。複数の楽器を心地よく聞かせるには、チューニングが必要だという事で絶対音感と言うことでは必ずしもないという事です。相手が出している音を分析し楽譜にすると言うことが出来るほどに音を整理認識することが出来る人は、沢山いると思うのですが、なんでもドレミファと聞こえてしまうことなどないと思うのです。それに、そんな能力があっても、それほど便利なものとは思えないし、音楽を楽しむということにはつながらないと思うのです。つまり、絶対音感なんて表現そのものが誤解を招く表現ミスだと思うのです。それに、素晴らしい音分析が出来る受信機としての高性能耳と解析する能力があっても、現代の機械ほどには出来ません。だから、絶対音感などと言う事が適切だとは思わないのです。