知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

天上を見つめての話

 カーテンが閉められて、一人になった。案内されたベットで、着替えてごろり。明日は手術。やることも無いからボッと見る天上の電気は無性に眩しい。横を見れば窓の外、青空が見えて雲が動いているとただ視覚的に確認する。カーテンのヒダさえも、飛ぶ鳥の様に見える。そんな、感情的になるほどのものでも無かったのですが、やっぱり明日は手術だとなると、まるで悲劇が訪れたように自分をそっちへそっちへと向かわせる気持ちが湧き上がって来ているなと思うと、本当の病気の人はもっと遙かにもっと、精神的に押しつけられるのだろうなと思いました。私は、老人になったのに自覚が足りなくて、いわゆる脱腸になりました。左の鼠径部に時々玉が出てきて、やたらかたらと腸の動く音が鮮明に聞こえるようになったのです。もしかしたら癌なのかと思うときもありましたが、医師は軽く、脱腸と宣言したのです。後は、手術するか、そのままほって於いて最終腸閉塞になる様な状態で手術するか、好きな方を選んで下さいと、ボールを投げられたら即座に手術しますとしか言い様がありません。それからは淡々としたもので検査があり、手術日が決まり、感傷的になれる状態も無く、慌ただしくこの日を迎えて、ベットに寝転んだらその気になったという流れです。入院・手術は初めてではありませんでしたが、病棟の雰囲気も随分変わったなと感じました。長期入院は御法度の時代部屋主のような人などいません。手術後に一日だけ入った部屋の対面側の人の話を術後の痛みに耐えながら聞こえてくるので聞いてしまいました。一人暮らしの男性で脳梗塞で倒れ救急車で運ばれて数日、急性期としての対応は終わったので、リハビリ病院があるからそこへ移る手続きをしなければならないと、ワーカーに言われています。本人は、そのままにしてきたアパートの事情を話していますが、側にもう1人いるのか、もう二階の部屋で階段上れないでしょときつめの声も聞こえてきます。本人があそこ知っている老人ホームの名前を挙げて、そこへ行くよ。と諦めたように言ったのに、即座に、そこは無理、順番待ちだから、まだ介護認定も受けていないしと制度上でばっさりと言われています。そうなんだよね。福祉の制度複雑だし、聞く限り生活保護を受けていたのだろうか身内も無く暮らしてきて倒れてみれば、気持ちの整理や感傷にボッとしていることも出来ないまま次の生活を決めなければならないのです。今の福祉は自己決定が原則なので、制度の理解も無いままに言われるまま結局、行くしか無い年寄りがそこにいるのです。麻酔も切れてきて痛いので、目を開ければ天上石膏ボートの柄でさえ、年寄りの目に似ていたりしました。部屋は、4人部屋でしたが、カーテンが閉められてプライバシーが守られているのですが、音は容赦なく入ってきます。天上を見つめながら、ぼんやり聞いていても、他の人の病状や疾病が何となく想像する事が出来ます。やっぱり自分が一番の軽症に思えて、自分ではどうにもならない病気に罹った人がこの天上とどんな話をしてきたのかと思うと、痛いのですが声だけしか聞こえない環境で良かったなとも思いました。もう一つ、声が筒抜けだと面会者がいる人との差はとても大きいと感じました。他愛の無い話でも案外聞こえてくる環境の中で、年老いて一人暮らしの中での入院、刻んだ人生のどこかに思い当たるような面会者の言葉が、天上の石膏ボードの図柄を替えてしまうのかなとも思いました。手足を動かしても、体位を変えても寝具は、音を立て、身体が発する咳もオナラも、特別大きく聞こえます。そんな音さえも気になってしまうぐらい刺激が限定された環境ですから、小さな音にも妄想でもしていないと何も出来ない身体には時間がゆっくりなのです。若いときは、痛みと闘ってこそと思っていましたが、年取ると少しでも痛くない様にと、脱腸の手術程度なのに天上に訴える日々でした。