知ったかぶりの話し

知ってるつもりの思い込みの感覚に、非常識な横やりを入れて覧る試みです

賛成という反対者の話

 全員賛成は危ない、反対もいてこそ話し合いの価値があるとも言われますが、賛成と声高に叫びながら、その条件は事業破壊と言う企みを持っている人が紛れていると結構厄介です。反対者は、その事業が差し止められないと知ると条件闘争としてどこまでなら自分たちの意志が反映されるか真剣に交渉しようとします。しかし、賛成と叫ぶ反対者は最後まで差し止めそのものを狙い続けるのです。そんな分かりやすい事例が身近に起きました。障がい者グループホーム建設に関わっているのですが、そもそも障がい者差別禁止法では付帯決議として設置に当たり地域住民の同意は必要ないとされていますから、建設に当たって地域住民説明会を行う必要もない事は明確なんですが、行政は申請書の必須書類に、説明会の開催と議事録の要求をします。この時点で行政のルール違反と抗議しても良いのですが、申請書類不備で受付さえしてもらえなくなります。やましいこともないのに、手続き不備では悲しいので説明会を開くのですが、こんな時代に反対なんか中々出来ないのではないかと思う人がいたなら大間違いです。障がい者の親がそこにいたなら、涙流すような言葉は溢れかえります。「女の子が住んでいる」「通学路にあたる、子どもに何かあったらどうする」「障害者の施設が出来たら、地価が下がる」「怖い」「建てるにあたって、誓約書を差し出してもらいたい」なんてことは普通に出ます。そしてそんな言い方は差別に当たるから止めてほしいと事業者が言うと「被害者意識は止めていただきたい。弱者の恫喝になる」と反撃されてしまいます。反対者は、そんなことを言いながら「近隣住民と上手く付き合えないと、住むことになる障害者に罪はなくても、恨みを買うことになりますよ」と恫喝もしてきます。何せ、喧嘩を売られても買うわけにはいきませんから、我慢するのですが、賛成と言う反対者は、決してこの様な差別的発言を注意するどころか、障害者を擁護する言葉を発することもありません。そして、人権問題とならないように私は賛成ですと言いながら、障害者が暮らすには酷いところだと地域の欠点を並べ立てるのです。中でも、渋滞や交通事故等の危険に会うという余計な心配を得々と語り、障がい者の事を考えるとかわいそうだぐらいに宣うのです。それだけではなく空気が悪い、ゆったりとしていないと言い出し、川向うの田んぼの中にも物件はあるし、この土地はこの素晴らしい計画を実行するために相応しい土地ではない事は住民だからこそ分かる理由があると言い出すのです。そして、皆が普通に生活している場所をなぜ選定したのかと障がい者がそこで暮らすことは普通の生活が失われるぐらいのそれこそ被害者意識丸出しにするのです。賛成者と言う反対者は、何を言っているかと言うと、施設を作ることは賛成だ、必要だ、良いことだ、でもここは障がい者には向かない場所だから、設置することは、障害者も地域も被害者になるというのです。さらに、事業の理解をして欲しいと訴えておられるが、事業には賛成で理解もしているのだから、事業者も住民の気持ちを理解していただきたいというのです。結論として、この計画は、障害者のためにならないし、近隣住民のためにもならないと言うのです。総論賛成各論反対者が全体を潰すように、総論としての福祉には賛成だが各論としての障がい者施設の設置場所は他にしてくれと言う事です。何故、俺たちが犠牲にならなければならないんだということでもあります。ここには、施設を設置する側が加害者で、地域は被害者だと言う意識が明確にあります。皆が普通に生活している場所に突然の不幸が降りかかってきたとしか考えていません。そして賛成と言う反対者は、自分たちこそが障がい者を守ると言うかのように、敷地や建物の設計図にまで要求を突き付けて、計画を断念させようとするのです。建築基準法と専門的支援者と資金力で検討したものに対して、障がい者の生活など知らないと公言しながら、間取りにまで口を鋏んで、狭いからダメだと言い出すのです。とにかく嫌だからの組み立てですから、どんなに説明しても同じところを繰り返し、結論を出させないことで遅延を誘い結果としての断念を狙うのです。反対としての作戦ですから、一概に悪いわけではありませんが、はっきりと反対と言う人よりはずっと狡く立ち回りますので言動には大いに警戒が必要です。子供から大人までが暮らす普通の地域であるのに、ここは危険だの繰り返しや、事業者が交通等では支援して利用者は守りますと言うと、住民は守ってもらえないのかと発言するのは、障がい者が加害者になると暗に示唆しているとしか思えません。そんな、賛成と声高に言うから一生懸命譲歩対応しても、次の無理難題を繰り出してきます。そんな賛成者の事業つぶしが繰り返されても、設置する方はただ我慢するしかありません。何故なら、それでも10年前から比べたら少しは良くなっているからです。

ラーメンの命が付け汁の不思議の話

 世間には、ラーメンのうんちくは数あるのですが、なんで付け汁(スープ)ばかりが脚光を浴びて麺料理なのに麺にはほとんど触れられないのかという不思議があります。それは、ラーメン店と言っても、自家製麺よりも製麺所の機械で製造された麺を使用しているので麺のうんちくを話すことが無いからとも言えますが、どこのテレビ放送でも、付け汁造りに3日も掛かるなんてことばかりが強調されると、麺料理なのに麺はどうなのと聞きたくなってしまいます。一方、同じ麺料理の蕎麦・うどんは、麺への拘りが主流です。その為か、蕎麦、うどんだと店主が年寄りだったり修行に何年なんて自慢がありますが、ラーメン店では若い店主がスープづくりのアイデアを語ることが多いと感じます。そのまま受け取ると、製麺は技能が必要で、付け汁づくりはアイデアの多彩さが必要なのかとも思われ、ラーメン店の方が一発的で、意外と誰でも挑戦が可能だという感じもしてしまいます。インスタントと言われるラーメンが普及したことがラーメンを定着させた要因だとも思うのですが、即席めんでは、麺が拘りの主流でスープはお好みとなっています。家でラーメンがお店みたいに出来ない理由の一つは、生麺の場合、打ち粉がお湯をどろどろにして麺に絡みついて、べたべた感が出てくるからです。ですから、同じ麺の、蕎麦、うどんでも生めんで茹でる時は、たっぷりのお湯で茹でてくれと説明されます。ラーメンとの違いは、茹でた後に、蕎麦、うどんは冷水で締め洗いをすると言う工程がある事です。ですから、茹で方が上手に出来ない家庭の小さな鍋でもなんとかなるという事があります。しかし、ラーメンは、冷水締めをしませんから生めんの打ち粉が付きまといますので家庭の鍋の範囲だと一人前を茹でるのがやっとぐらいの限界が出てきてしまい、一玉茹でるたびにお湯を捨ててしまうぐらいでないと茹で上がりにどろどろ感が出てしまうのです。店の場合は、鍋が大きいということもありますが、まず業務用の機械麺なら打ち粉そのものが少なく出来ていますし、蕎麦茹機の様に、釜に火を入れっぱなしにして水を足し続けて垂れ流す方法によって打ち粉を排出することができます。麺に拘っている店なら深い釜で、お湯の中で麺が踊るようにして麺全体を一気に、茹で上げると説明したりもしますが、普通のラーメン店だと、釜の中に広がった麺を全部すくうのは大変だと、1人分ずつ小さな手ざるで茹でていることがみられます。そして湯切りをカッコよく振り回していることを見せて本格的だと思わせていますが、麺を茹でるとしたならいい方法とは言えません。何故なら、振り回して茹でた麺に衝撃を与えたとしても、うどん・蕎麦のように打ち粉を剥がしてしまうわけではありませんから、麺がべたつくだけです。湯切りの目的は付け汁が薄くならないようにお湯を少しでも減らそうとしているだけですが、洗濯の脱水の如く振り回しても、手ざるの中で浮かせて底に打ち付けても打ち粉は纏わりついています。要するに、機械麺で細く打ち粉が少ないから塊でお湯の中に入れても、何とか火が通るという事で、麺同士がひっつかないように被膜された打ち粉を引きはがさないと麺本来のおいしさを付け汁に絡めさせられないどころか、付け汁で麺を洗うぐらいでないと打ち粉は落ちないという事です。ここを考えても、ラーメン店では麺のことはやっぱり二の次なのです。ですから、ラーメン店ではだし汁造りが出来れば経験がほとんどなくても出店が可能と言う、駅ナカの茹で蕎麦と一緒なところがあります。蕎麦も江戸時代からの麺料理で、機械で麺が出来るようになったのは近年ですからそれまでは、全部手打ちだったのですが今日では、手打ち麺と言うだけでさも価値があるみたいな言い方をします。さらに「通」と呼ばれる人は、蕎麦の香りだの咽喉越しだのと言う褒め言葉を使いますが、付け汁に関してはさらりと流されて醤油ベースでお仕舞です。落語では、蕎麦にだし汁は、ほんのちょっとしか付けないのが通と言っていたすごいそば通が、死ぬときにたっぷり付けたかったなんて話もあります。そして、うどんはどうかと言えば、やはり手打ちなんてことやコシなんてことに拘っていて麺が命ですが、具材は意外と多彩で、付け汁も醤油や味噌がありますし、煮込みなどと言う調理方法や、水炊きやすき焼きの後に入れて食べるなど食事的要素も大きくなり、家庭料理のご馳走の時代もあります。ラーメンでは、付け麺などと言う事はあっても、スープと言う言い方が一般的で、スープも醤油から味噌、塩と様々で何でもありです。しかも、具材として載せるものも何でもありです。つまり、関心のない麺以外は、多種多様で次々と新商品も出しやすく広報や話題作りも広く出来ます。ラーメンと言う麺さえ神輿に乗っていてくれれば、スープと具材が何であってもいいという事が現象として起きてしまうのです。いっそのこと、麺料理などと言わずに、スープ料理の具が麺ですとでも言えば良い状態です。製麺所に、発注するときには、自分流の仕様書があって、麺も独自のものという事もあるとは思いますが、ラーメンにはかん水と言うアルカリの添加物によって出来る独特な麺ですから、かん水の配分から拘ると麺は蕎麦にも負けない技能が必要ですし麺を主役で楽しむということも出来るのにと思うと、スープ料理の具材の如く扱われている麺が哀れです。

教育者の「気概」を話せぬ腰抜け管理者の話

 山口県周南市の県立周南総合支援学校の男性教員が、高等部の生徒が集まった校内での朝礼で、肢体不自由や知的障害がある生徒らに「指導されることに感謝(の気持ち)を持つことはとても大事です」と諭し、介助が必要な生徒を念頭に「朝からお姫様抱っこしてもらって、何でかなって考えてください」などと促したという記事が出ました。この発言に苦情が上がり、県教委特別支援教育推進室の主幹は「学校からの報告で大きな問題ではないと捉えたが、不愉快に思う人もいるので、配慮した言葉遣いが必要だと指導するよう、校長に口頭で指示した」とし、「誤解があったことは申し訳なかった。今後、発言には気を付けるよう該当教員を指導した」と 周南総合支援学校の校長は釈明したそうです。この報道に接し、主幹や校長の新聞取材に際しての発言が配慮したものだったとしたなら教員よりも酷い発言だと思うのです。それは、校長らは教員の言い方のテクニック不足として「本音をそのままいうな」と言っているとしか読めないからです。障害のある大変な生徒の面倒を見ているのは分かるけど、もっと間接的に遠回しに言わないと現代は苦情が来るから気を付けてと言っているとしか思えないのです。事案の発生したこの場面には、教員と生徒しかいなかったのでしょうから、生徒が家に帰って先生がこんなことを言っていたという話を親にしたことが発端だと思うのです。教員が朝礼をどれほど大事にしているか分かりませんが健常児の学校でも朝礼での話を聞き留めて家に帰ってから家族に話をするというほど印象に残る朝礼など多くはないと思うのです。まして、家族が、障害児の伝聞で教師が云った言わないになりかねない事で苦情まで言ってきた真意は、言葉の配慮で片付けられる内容ではないと思うのです。その生徒が何を感じたのかは報道されていませんから推測するだけで正しくはないかもしれませんが、今の自分の目線で考えると、もし、生徒が健常に言葉を発することが出来たのならこう答えたかと思うのです。「自分で歩けたらここには来ません」「障がいがなかったら、教師が生徒を抱っこなんかしたら性的虐待になりますよ」「給料貰った分働けよ。ボランティアじゃないんだから」「弱いものの前で、ありがとうの恐喝ですか」「謙虚にして驕らずを感謝の代わりに贈ります」と次々に溢れてきます。本質は教師としての、気概だと思うのです。特別支援学校ですから、障害があって普通の学校へは行けない人が来ていることを知っている教員が、周囲からは大変ですねと評価されているのに、生徒に手を差し伸べながら「ありがとうは」と聞いたら謙虚さを忘れ、傲慢になったと言われても仕方がないことだと思うのです。医療の現場で、看護師が患者を抱きかかえなければならなくても、患者にありがとうはなどと言いませんし、健常児の学校で教師にありがとうを考えろなどとも言いません。それは、給料を貰っているから当然のことをしているまでと言うことではなくて、職業的使命のことだと思うのです。つまり、感謝されるは、結果として付いてくることで感謝を目的としていないという事です。特別支援学校の教師になる為に努力してきたとしても、障害があって学校を選ぶことも出来ない文句を言えない、障がいを持つ子供の教師をしているうちに、知らず知らずのうちに慢心し、自己満足を強要するかのごとくなってしまったとしか思えないのです。良い事例に、誘拐監禁による支配の関係があります。誘拐された女の子が拘束監禁された環境の中で犯人は優しかったという事例があります。自由を奪われ苦しめられると、通常では考えられない程度の対応も光の如く思えるようにすることが出来るという事です。冤罪の場合でも、拘束監禁して周りを遮断して飢えさせれば少量のエサでも食いつくというやり方と同じです。だから、県教委特別支援教育推進室の主幹や校長の発言は、特別支援学校で日々努力している教員への背信行為だと思うのです。障がいを持つ子供たちの前に立ち教育ができることに感謝している教員がいることを何も伝えようとしていません。障がい児教育に気概を持って取り組んでいる教師がいるのに、本音は大変だと思っていてもそれを言っちゃいけないよとしか報道からは読めないのです。どんな職業でも辛い時や苦しい時があって、「感謝しているって言ってほしい時も」も愚痴を言いたい時もあります。給料に比べて仕事がきついという事もあります。でも多くの職業人は、自分の仕事への気概によって立ち続けていると思うのです。一方、今回の発言は、社会に出ていく高等部の生徒に社会性として感謝の心を持とうという事を指導したかったというかもしれません。しかしその場合でも、感謝と言う事を教えるのに、本人の障害から出発してしまうと、本人が歩けない限りが周りに感謝しながら生活しなければならないことになります。それは食事のたびに食べ物が得られたことに感謝することとは全く違うのです。社会的な感謝心は必要ですが、障害により支援やサポートを受けるたびに感謝をせよは、「卑屈」に生きろと言っていることと同じだと思うのです。今日では、障害者の権利が誤解されかねない時代の中で、教育を受ける環境の整備にさえ感謝しろと教員が言うことは、教員が謙虚にして驕らずと言う指導者としての原点を忘れた発言としか思えないのです。そして管理者は根性論ではなく、気概を諭すだけの謙虚さが必要だと思うのです。

 

偉大な人に逆らう弟子たちの話

 日本人の好きな3大○〇として、仏教、キリスト教イスラム教を世界の3大宗教と言うのですが、これは間違いなく根拠のない非常識だと思っています。学校教育で堂々と言うのでみんな刷り込まれていますが、こんな括り方そのものが実に失礼だと思うのです。日本は戦前の国家神道の反動で宗教に関わってはいけないような雰囲気が強い分、私は無神論などと言いながら、神社仏閣に詣でて、家は仏教の何とか宗ですと知っていることを誇らしげに話すような状況になってしまいました。実際は、明治になるまでの長い神仏混合の深い歴史を持つだけでなく、土着信仰まで取り入れ、多神教の何でもありの宗教多様国家なのに、大きく人数で分類したなら、あなたも仏教徒と言われて、そうなんだと言ってしまうほど、宗教に疎い国民となりました。元々、宗教を人数で考えること自体が間違いで、日本の宗教団体の公表信者数を足していくと、日本の人口では足りないということが言われているように、宗教は多種多様で人数などで括ろうということが間違いそのものです。また、仏教と言っても、仏教の経典を他言語に翻訳するだけで意味が変わってしまうということがあります。翻訳された言語で研究して解釈や展開をすると、翻訳者の力量によっては違った解釈となってもおかしくはないのです。原本とその背景を踏まえなければそこに書かれている文字の意味内容が大きく違うということは沢山あります。さらに、歴史の中の師となってしまい、教えを受けたこともない遠い弟子たちは、自分に都合のいいように解釈して、宗派や派閥を作り私利私欲に利用しているなんてこともしばしば起きています。絶体神のキリスト教であっても、旧約聖書新約聖書も一つなのに解釈の違いで多くの宗派があるように、時代に応じて弟子たちは自分の都合のいいように解釈し、利用してきたという歴史的事実もあります。それは、偉大な人を頂いていても、弟子は尊師を超えられないということでもあり、弟子は尊師の言うことを実践するどころか、逆らっているかの如く見てきたようなウソを云う実践しているとしか思えないのです。例えば、仏教 「どの方向に心で探してみても、自分よりもさらにいとおしいものをどこにも見いだせなかった。そのように他人にとってもそれぞれの自己がいとおしいのである。それ故に自分のために他人を害してはならない」(ウダーナヴァルガ第五章第18節)と尊師は言ったということです。イエスキリスト「イエスは言われた(中略) あなたは隣人を自分自身のように愛さねばならない」(マタイ22-39新世界訳聖書)と言って、自分を愛する如く他者を愛せと言ったそうです。イスラムの聖人は、「人間にとって最も愛しいのは自分自身であり、自分が生きながらえることであり、自分が人格的かつ能力的により完璧な存在へと高まっていくことであり、また反対に最も憎らしいのは自分自身が消滅してしまうことであり、自分自身が傷付くことであり、自分自身の完璧さが損なわれる事である。この事実は生きとし生けるものすべてに当てはまり、自己愛のない生きものなど考えられない。」(イフヤ・ウルミーニッニディーン、ガザーリー師)と簡単明瞭に自分を大切にすることを説いています。もし、世界3大宗教の弟子たちが偉大な師の言葉を実践すべく人に伝えていたのなら、戦なんてあろうはずがないのです。弟子たちが他人を「救う」なんて偉人だけにしか出来ないことを自分でも出来るような事を吹聴せず、偉人の言う、「自分が一番大切だ」だから「自分を大切にしている他人に害することをしてはならない」と自分の利益のために、他人を攻撃することを止めさせたなら戦争なんてないと思うのです。どの偉人も言うのは、「自分を大事にしなさい」であり「他人に害なしながら自分を大事にすることは駄目だ」と言うことでそれは真理だと思うのです。だから、戦争なんて絶対ダメだと言われているのと同じです。なのに、歴史を見ても、宗教が戦争の一端を握っているのは事実で、それは偉大な人に弟子が逆らっているからだとしか思えないのです。宗教だからこそ、「自分を大事に」「他人に害せず」を諭してほしいと思うのです。

宗教は支配関係で成り立っているの話

 ネアンデルタール人は家族単位で生活し、我らの祖先は複数家族の連合体として生活していたことが、生き残った主たる要因ではないかと言う放送を見て、なるほどと感心していたら、ダメ押しとしてその連合体を結びつけたのが原始宗教ではないかというところでまたもや引っかかってしまいました。確かにどんな小さな社会にも、宗教があって、世界の密林の中の部族もシャーマンがいて儀式があるというのは事実かもしれませんが、そんなことまで宗教の始まりとするのは、無理があると思うのです。例えば、埋葬と言う儀式は人類しかしませんが、なぜ埋葬するのかと問われると現代の人は、葬式仏教と言われるほど埋葬が宗教儀式として行われている事にしか接していませんから、宗教的なものと推測しがちです。でも、実際は、単なる死体の処理方法の一つにすぎませんから宗教などなくても出来ることなのです。死んだということは、生命体としての活動は絶対に出来ませんから、他の動物に食べられないように土に埋めても腐敗して原型は留めませんし、乾燥させてミイラにしても死体が変形するだけで、復活はありません。つまり、3万年も前の埋葬遺跡から、人間は死んだらどうなるのかと言う事を考えていたのではないかと言う事を、推測することには異論はないないのですが、埋葬が原始的であるとは言っても宗教的な成立を証明するとは言えないと思うのです。そして、その埋葬の儀式を初めとして儀式が複数家族を連合体として結びつける共通の要素を含んでいるので原始的宗教の始まりの大きな要因だったということには疑問があると言えます。何故なら、人間は死んだらどうなるのかと見えない世界を推測する前に、目に見える実感として先祖の事を考えると思うのです。それは、自分の前に親がいて、親の前に祖父母がいるけれど、一体どこから来たのか。我らはどこから来たかと言うことが死んだらどこへ行くのかを考える事前に考えることだと思うのです。ですから、どこの民族にも、どこから来たかの伝説が残っていて、死は、そこへ帰るということが多くあります。その様な考え方では、埋葬の儀式は、帰るためのサポートにすぎず、その方法は様々で宗教的要素はなくても出来ることです。死後の世界はあるのかと言う疑問に答える形で宗教的要素が付加されていくものと考えられますから、家族の連合体を構成する主要要素に宗教の芽生えを考えるのは片寄を感じざるを得ないのです。むしろ、家族が連合体として活動するようになったのは、学習能力によってだと考えた方が分かりやすいと思うのです。つまり、食糧確保の狩りをする上では多人数で鋏うち的だったり、取り囲む集団戦の方が遙かに効率的だということの発見とボス的要素が薄かったからと思うのです。縄張りを確保して家族単位で狩猟していても生活が出来る何万年ものネアンデルタール人生活様式では、強い雄の元家族で暮らすことが安定した生活であったと思われます。ところが地球規模での気候変動などが大きくなると縄張りの中での安定性が失われます。動物が少なくなれば狩猟は難しくなりますし相手の反撃による損害も大きくなって、家族単位での狩猟に適した人員が減れば尚更食糧難になります。動物で考えると、単独で狩猟する力が強いトラが集団で狩猟をすれば確実なのにトラは集団を組みません。ライオンは、グループで狩りをします。オオカミは家族単位で暮らして集団で狩りをしますが、複数の家族が連合することはありません。しかし、分配になれば人数が多いほど不利で余程多量の収穫がなければ集団の意味は失われます。トラは、仕留めれば全部自分のものですが、ライオンやオオカミは上位の者から食べますから下位の者は十分に食べられるほどの収穫がなければヒモジイ思いをしなければなりません。一方、多人数でいる方が、防衛と言う意味では敵対する動物や相手に対しては有利です。肉食動物に襲われる心配も多数で暮らしている方が有利ですが、その人数を養うだけの収穫がなければ集団は維持できません。つまり、精神的な宗教の儀式よりも現実的な生活の維持のために家族単位が適切か、複数の連合の方が適切かの選択を、気候変動と言う大きな変化によって試され、一匹ずつ吊り上げる竿方式よりも、一網打尽にする網方式の方が、有利だったとしか思えないのです。そして集団での狩りには、合図から作戦からと打ち合わせや役割分担が必要になってくることから縄張りを維持してきた強いボス同士では、どうしても出来ないと思うのです。我らの祖先は、君臨するボスの元ではなく、調整型の雄の集まりだったから役割分担が苦にならなくて適応していたのだと思うのです。そして、連合体の気分を盛り上げるのが儀式で、儀式の進行は体力で最上級者でなくても可能でそれがシャーマンであったとも思われるのです。宗教心を持っている人には、集団の心のつながりとしての宗教を意識するのでしようが、我らの祖先が何万年と続けた複数家族の連合体には、原始であったとしても宗教よりも生活の利益を共有するための儀式が優先されていたと思うのです。リーダー的存在も、リーダーを権威づける儀式も必要ではあったと思うのですが、それが宗教の芽生えとは言えないと思うのです。宗教を信じる人にとっては、人間が集団を維持している根底に宗教を据えたいと思うのでしょうが、宗教は権力者に利用されたり、宗教自身が権力者に成ったりと決して人間の良心であったわけではありません。自然に対する畏敬は、自然の中で暮らしていた人類には当然のことで、死への不安も死後の世界もそれほど意識されたものではなかったとしか思えません。3万年前の埋葬された遺跡に、宗教性や死後の世界感があったとも思えないのです。つまり、日本で言えば、縄文時代の人が何を考えていたのかさえ分からないし、遺跡なんて偶然そのもので砂浜の一個の砂金ぐらい珍しい価値はあっても、それが一般的とは言えないのです。しかも残っているのは形があるものの一部であり、生活の実態の100%はわからないのです。言語に関していえば、完全に分からないのです。例えば、人肉は食べないというのは現代の感覚ですが、死ねば食料になったとしても何の不思議もない事です。近親婚も普通にあったでしょうし、雌と雄としての成り立ちでは特別なルールはなく普通の哺乳類としての反応しかしていなかったと思うのです。だから、宗教の発端ともなる死への不安とか、死後の世界への不安は、自然との関係よりも、人間同士の戦いの中にこそ必要となったと思われるのです。3万年も前に埋葬された遺跡が見つかったことは実に素晴らしいことだけれど、そのことから宗教の存在を語るのは、無理があると思うのです。

 

後ろ盾あっての自分だったと自覚しない高齢者の話

 神戸市こども家庭センター(児童相談所)で夜間対応にあたっていた委託相談員が、午前3時半ごろ、児童相談所を訪れて「家を追い出された」と訴え助けを求めた小学6年の女児に「来るところを間違えている。警察に相談しなさい」と言って、女児の年齢や名前も確認せず、インターホン越しの短い会話で済ませ、マニュアルに定められたセンター係長への報告もせず、追い返すという事件がありました。この女児は、午前3時40分頃におよそ300メートル離れた交番を探し当てて駆け込み「児童相談所に行ったが『警察に行け』と追い出された」と説明し詳しい話を聞いた警察は、真夜中に家を追い出す行為は虐待にあたるとして児童相談所に連絡し、女子児童は午前5時半すぎになって結局児童相談所に保護されました。相談員は、自分の行為が間違っていたとは思っていませんから当然報告もしません。その為、担当の係長は同日朝、警察署からの連絡で初めて事態を知ることとなったのに児童相談所は、同日中に男性職員に聞き取りを行いますが、所管する市のこども家庭局には報告しないのです。市は報道機関の問い合わせを受けた18日午後になって問題があったと確認します。つまりどこの接続部分も断線していて、大変な事、報告すべきこととは思っていませんから、本来のルートではないところから指摘されては確認している状態なのです。その為、本来なら隠ぺいしていただろうことが、表面に浮かび上がってしまった氷山みたいなことになってしまいました。神戸市は、阪神・淡路大震災後の行財政改革の一環で、民間委託を2005年度から導入しNPO法人「社会還元センターグループ わ」と言う団体に約15年ほどこの夜間・休日業務の委託を実施してきました。この団体は、神戸市シルバーカレッジで3年間学んだ人を会員として一人ひとりの知識や経験を生かし、災害復興支援や高齢者の生涯学習サポートなどを行うとしており、児童相談所の夜間の対応業務には自ら志望した32人があたっていたとのことです。この状況から推測しても、この相談員も過去の履歴は、教員とか福祉施設職員とか、教育や福祉の経験者ではなかったかと思うのです。だから、自分の判断に独断で自信を持って、マニュアルにある係長への報告も必要ないと判断していたし、露見して取材を受けても、「見た目が大人っぽかったので緊急性を感じなかった」とか「(インターホン画面では)高校生にみえ、冗談だと思った」と話しているように反省なんか一つもしていません。さらに追い返したこの70代の男性相談員は、既に5年ほど業務に従事していますから、自己判断で報告も相談も連絡もしなかった追い返された事例は、何件もあったと思われます。だから居直るかのように、今後この業務は担当しない意向を示しているというだけで、罰も受けなければ、人の人生に関わることだという自覚もないまま、そんなことを言われるのならやめてやると言う態度を示しています。市は、言い訳コメントとしての、相談員用マニュアルの改訂や研修方法の見直しを進めると言い、NPO法人の大槻隆文理事長も研修などを行い、相談所からの指示に従うよう徹底したいといいますが、何も変わるとは思えません。深夜3時に、女の子が訪ねてくればまず中に入れますが、インターホン越しで直接会おうともせず、助けを求めているのに、内容も確認せず緊急性がないと自分で決めつけられる感覚は、自分の経験値による判断で、児相は高校生も対象なのだということさえ自覚なく、高校生に見えたから確認もしないというのは自分の経験上これは対象外だと自信を持っていたから出来たのです。そして、女の子が警察へ行かなければ誰にも知られることなく、経験者としてこれからも続けていたのです。そして、自分のその経験値からくる驕りが、身勝手な越権行為の判断まで行っていた事実があるのに謝罪できないのです。前歴に余程自信があったのか、どんな経験があったのかわかりませんが緊急性なしと勝手に判断しただけでなく、追い返すという業務違反まで行っていても、謝罪することが出来ないのが、高齢経験者が陥る過去の背景へのすがり付きなのです。それは高齢者が経験を生かして再就職するときに、以前の職場の地位や経験値をそのまま持ち込むことが多いというはいけいです。そればかりではなく、その時に後ろ盾になっていた組織の感覚をそのまま持ち込むということです。退職したなら、あなたはもうその組織の後ろ盾はなくあなたの実力で独り立ちしなければならないという事が理解していないということです。特に公的機関に勤めていたり、人に指示したり、人に説教をしていた人は、教わるという姿勢になれず、すがり付く様に自分の経験を振り回します。しかし、その経験で出来たことはその組織の権威や後ろ盾、人的資源があって成り立っていたのであってあなたの力はその一部でしかなかったという自覚が出来ません。逆にそれを外してしまうと、普通の高齢者よりも柔軟性のない困った高齢者になりかねないのです。高齢者が、自分の経験を生かしてボランティアのつもりで、人の人生に関わる仕事に付くには、固まってしまった自分の思考と感覚を洗い直さなければ出来ないという事が分かっていません。高齢者の雇用で過去の経験を尊重するとき、組織人の中での個人を自覚していない人を雇用すると、所属していた組織の亡霊を背負った身勝手な高齢者に任せてしまうことになってしまいます。組織と言う後ろ盾は、あなたが駒だったから守ってくれていたのであって、退職後は、使い捨てられた駒であることを自覚しなければならないのです。定年退職後の生活の中で、過去の経験を生かして世のために何かしたいという人は、教育や福祉に多くいて素晴らしい事ですが、意地を張らない、素直な学びの頃に一度戻らないと、事例の様な事になってしまうと思うのです。

 

 

生きていたらまた施設にいれるんでしょの話

 被害者の家族というのは、障害とか身分とか関係なく、みんな加害者を憎み、非難します。それは当然と言えば当然で、罪を憎んで人を憎まずなんてことは、当事者ではない人の観念の話で普通の感情を持っているなら出来ることではありません。ですから植松被告に相当厳しい言葉を投げかけても当然と言えます。しかし、その言葉は、植松被告を変えないし、感情的な言葉は植松被告の確信をさらに強めることになると思われる行為としか思えないのです。

 何故なら、43歳の息子を亡くした甲S(名前は公表されていないので裁判名)さんの母親は出廷し生の声で言ったのではなく陳述書で、「息子が亡くなった日から時間は止まったままです」「息子を返してほしい。息子ともう一度、会いたいです」と訴えました。被害者のほとんどが匿名の中、ちゃんと『美帆』という名前があるとして、初公判に合わせて名だけを公表した母親は、「私の人生はこれで終わりだと思いました。自分の命よりも大切な人を失ったのだから」「未来をすべて奪われたのです。美帆を返してください」と言いました。しかし、母親は、被害者特定事項秘匿制度に基づき意見陳述の際には植松聖被告と対峙したのではなく、傍聴人からも見えないよう、法廷内の衝立に隠れて話しています。甲Sさんの母親も美帆さんの母親も、植松被告に面と向かって話したのではないのです。だから本人を返してくださいと言いっても、もし帰ってきたら結局また施設に入れるんだろうという植松被告の問いかけに全く反論していないのです。

 植松被告は、「この裁判の本当の争点は、自分が意思疎通を取れなくなる時を全員が考えることだ」と言ったように、重度障害者を念頭に意思疎通の難しい人たちを排除することが「社会の役に立つ」と言っています。その根底には、入所施設に入れることは、家族から排除されていることだと結びつけているからです。自分の命より大切と言いながら、結局施設に預けてしまわなければならない現実に、障がいを持つ子を持って幸せだったというのなら、なんで施設なんかに入れるんだと言う問いに答えていないと思うのです。

 現在正確に統計が計られていませんが、知的障がい者と認定されている人は100万人ぐらいいる中で、施設入所をしている人は約13万人程度で、そのほとんどは家庭の事情です。自らではありません。施設生活で掛かる1か月の費用は約30万円程度で個人の負担は、最大で6万円ぐらいですから約25万円程が税金となります。悲惨な事件があったと、やまゆり園が取り壊しになっても自宅に帰った障害者はごく限られていて、ほとんどは新しく出来る入所施設に移るだけです。県は、約120人のやまゆり園の利用者に対して、1施設に66人定員で2施設作ると言っています。それに対して、家族会長は「ずいぶんと規模が縮小し、家族の納得とはほど遠い」と話すように、初めから入所施設を利用する事が前提なのです。

 そのことを捉えて植松被告は、重度の障がい者が家族にとって負担だから、家族から排除されて施設に捨てられているのだから、それは社会にとっても負担なんだ、だから排除した自分と同じではないかと思っているだけだと思うのです。知的障がい者の入所施設が満床なのは、死なないと空床にならないからで、生きているうちに地域に戻れるシステムが構築されているのなら、植松被告にお前は間違っていると明確に言えますが、実際は、残念ながら重い障がいで家族や地域で支えられないと言われたら、施設で暮らさなければならないのが現実です。

 植松被告は施設で働くことで、施設の中にある虐待の類似行為や怪我をしても出ていけと言われることを恐れて、可愛いと言いながら何も言わない家族の本音をどこかで見たり聞いたりしたのでしょう。そして、文句も言えない重度者が誰からも守ってもらえないでいると感じたのかもしれません。そして、死んだら手のひらを返したように自分の命より大切だと言うよりも生きているうちに施設なんかに入れるなと言いたいのだと思うのです。今回も、死んだ子の親は返してくれと植松被告を非難しますが、帰ってきたら施設へ入れなければならないとしたら、植松被告にやっぱりなと言われてしまいます。公判で美帆さんは自閉症で言葉を発することはなかったが、「とても人が好きで、人懐っこい子」「笑顔がとてもすてきで、まわりを癒してくれました。ひまわりのような笑顔でした。」と母親が話すなら尚更に、なんで施設に入れたのかと誰もが思うことです。結局、家族の一員の証明である苗字も出せないことや顔も出せない問題を語ることなく、植松被告だけを非難しても、植松被告からしてみれば大切と言いながら施設に捨てるじゃないかと益々確信を持つだけだと思うのです。

 障がい者にも生きる権利がある、障がい者の人権を尊重すると話す事は簡単ですが、その権利は誰が保証してくれるのかと言う事が一番の問題だと思うのです。障がい者に対する理想や理論は、誰もが受け入れ反対もしませんが、現実社会では保証人にも権利を守る人にも簡単にはなってはくれません。神仏に祈ってくれる人はいても、障がいと言う試練ばかりを与える神仏は、障がい者を守ってはくれたことなどありません。守れるのは、生きている人間だけです。世界の中で子供たちが虐待され、殺され、売買されていても、その国に守る力がなければ守られないのです。奴隷の如く扱われ、飢えて死んでも、守る力がなければ守れないのです。日本の障がい者を国が守ってはくれない廃棄民の時代はついこの間まで続いていました。どんなに人権を尊重すると言っても具体的な対応がなされなけば生身の人間は守られません。重度の身体障がい者が一人暮らしをすると介護費用が月に80万円ぐらい掛かります。そのお金を誰が負担するかと言うことです。人権を守り権利を守ると言う、今の、国の福祉観は自立です。しかし、国の言う自立とは国に迷惑を掛けずに自分で稼いで生活しろと言うことなのです。その為には障がい者が稼げる環境を作ろうと、障がい者の工賃を上げろ、障がい者を雇用しろと罰則まで設けて進める政策を掲げて努力しているように見せていますが、その背面は、障がい者の権利を守るためではなく、障害者年金や生活保護の様な公金の支出を減らし社会から広くお金を集めるという事が目的で、障がい者に掛かる負担を広くみんなに求めているにすぎません。

 その広報に利用しているのが「人は働くことに喜びを感じる」と言うフレーズです。綺麗な言葉に見えますが今日の経済活動と生活を考えた場合の労働は、人間の本質ではなくお金を得るために働かなければならないという強制された環境の労働です。つまり、国の言う自立は、扶養ではなく自分でとにかくお金を稼げの働くことであり、お金を稼ぐという意味の働けるようになることなのです。ですから、働けない人はどうするのですかと言う問いには国は答えないのです。国にとっては今でも、働けない人は、お荷物であり負の資産でしかないのです。植松被告の言う排除される対象なのです。

 母親は植松被告に「私は娘がいて、とても幸せでした。決して不幸ではなかった。『不幸をつくる』とか勝手にいわないでほしいです」と言ったように、多くの障がいを持っている子供を抱えた母親が、「不幸」ではないと言いますが、やまゆり園の施設長が「家族の不安に向き合って説明し、利用者の暮らしの場をつくっていきたい」と言うように現実には国の支援なしには子どもを守っていくことが出来ない人もいるのです。だから、施設と言う障がい者だけを集めた生活の場に送り込みながら私は「幸せ」と言えるのは少し違うと思うのです。障がい者を家族に持つ、兄弟姉妹の苦労を考えたら、母親が私は幸せだったとか、人生を学んだ教師だったと言っていることが空虚に聞こえるのです。障がいを持たされた本人は本当に大変なのです。だから広い理解と支持が必要で、障がい者を家族が抱え込んではならないという施策が、排除の論理に立ち向かう世論が必要なのです。

 人の不幸は蜜の味と言う言葉があるように、差別と偏見の根源には個人の力ではどうにもならない様々な不幸があると思うのです。母親が、障がいの子がいても不幸じゃないと言うのなら、人に頼ることもないという事になってしまいます。障がいは、個人の力ではどうしょうもない本人の不幸だからこそ、社会が幸せにしなければならないということだと思うのです。不幸な人が一人もいなくなるように、国や社会が考え行動しなければ、植松被告の言う排除の論理が拡大してしまいかねないのです。障がい者を守る施策は今も日本では確立されていません。障害者差別も厳然と続いています。被害者感情は大事ですが、そればかりが強調報道されて植松被告を特別な犯罪者に仕立てしまうことでは、植松被告の言う排除の思考を否定出来ないし、障がい者を守る国の施策に反映されるとは思えないのです。